第九章:一 緋桜の導き
麒角を標として闇呪に膨大な鬼が収束し、取り込まれていく。重くよどむ空気が密度を増し、朱桜でさえ気持ちを張りつめていないと気を失いそうになる。
闇呪がーーこの世の黄帝が、禍へと変化してしまう。美しい顔貌は怒気に歪み、別人のように恐ろしい。滲み出した黒い模様が見る間に肌を覆いつくしていく。
「陛下のお力を、お借りいたします」
誰もが身動きを忘れるほどの最悪の状況を前に、緋桜が一歩前に進み出た。
緋色の鮮やかな袖が舞う。女王の振る舞いに相応しい優雅な仕草で、虚空から自身の剣を引き抜いた。朱桜が刀剣のすらりとした赤い反射を見たのは一瞬だった。
「我が魂魄を以って、呪を滅す! 朱雀!」
女王の刀剣ーー紅旭剣に光が一閃した。朱桜が朱雀に預けた力を、女王の刀剣が受け止めている。
紅旭剣が黄金の炎を纏った。
「陛下。黄帝陛下にかけられた呪を一時的に払います。私にお任せ下さい」
「そんなことをすれば、宮様がーー」
「そのために陛下の力をお借りしたのです。私のことは構わず、黄帝陛下の麒角を引き抜いてください」
緋桜が朱桜の手を引く。紅旭剣が一振りされると、踊る炎が広がり、闇呪に集う鬼を焼き払っているかのように見えた。
「良いですか、陛下」
女王は美しい黄金の炎を纏っている。自分を導く緋桜に、朱桜は全てを委ねる覚悟を決めた。コクリと息を呑む。頷くと女王が大きく紅旭剣を振るった。
麒角を源として竜巻を起こしたかのような鬼の激流に、女王の放った炎が激突した。さらなる衝撃を覚悟したが、まるで時が止まったかのように、全ての流れが相殺する。突き刺さった麒角が、何の障害もなく朱桜の目に映った。
「陛下!」
女王が呼吸を合わせるように叫び、刀剣を振り上げると、麒角から得体の知れない黒い塊が引きずり出された。そのまま紅旭剣に吸い寄せられ、吸収される。
朱桜は古木のように見えた麒角が本来の輝きを取り戻すのを見ていた。一目散に進み出て、手を伸ばす。灼熱の痛みもなく、手になじむ感触。
何も考えられず、力の限り麒角を引き抜いた。視界に血しぶきがあがり、身に闇呪の血が降り注ぐ。
「先生!」
朱桜はその場に崩れ落ちそうになった闇呪の身体を支える。無自覚に自身の礼神を発揮し、途轍もなく邪悪な変化を遂げていた彼の身体を抱きしめた。
朱桜は強く身体にしがみついたまま、その場に倒れこむ。
「陛下。そのままお力を黄帝陛下へ。そして、呼んでください。翼扶の声は必ず届きます」
緋桜が傍で片膝をついて朱桜の手をとると、そっと闇呪の胸にあてがった。朱桜は力を解放したまま叫ぶように呼びかける。
「先生!――闇呪の君!」
闇呪の身で無数に絡みあい、肌色を黒く変化させていた模様が、縄を解くようにゆるやかに解けていく。まるで朱桜が呼びかけるごとに、美しい姿を取り戻していくかのようだった。
「闇呪の君、私はあなたに伝えなければならないことがあるんです」
ぽつりと、朱桜の涙が美しい闇呪の頬に落ちる。
「聞いてほしいことがーー」
ぽつぽつと、涙が彼の頬を濡らす。
「だから、私の傍にいてください。これからも、ずっと……」
闇呪の胸に添えている手から、少しずつ彼の体温が戻るのがわかる。
やがて呼吸が蘇り、胸が緩やかに上下すると、とくりと鼓動が触れた。
「朱桜ーー」
大きくはないのに、よく通る声。聞きなれた声が聞こえる。眩しそうに開かれた闇呪の漆黒の双眸に、自分の影が見えた。
「先生!」
ゆっくりと身を起こした闇呪に、朱桜は力の限りしがみついた。




