第六章:一 赤の宮――緋桜の決意
赤の宮ーー緋桜は王以外が立ち入ることの出来ない朱雀殿へと足を向けた。暁が足音もなく背後に付き従う気配がする。磨き抜かれた板張りの廊で、緋桜は歩みを止める。
振り返ると、無駄のない所作で暁がその場に平伏した。
「暁、今は私よりも客人の殿舎へ……」
緋桜が歩み寄りながら指示すると、暁がゆっくりと顔を上げる。
「なぜ、陛下に緋国の真実を語られないのですか」
暁の真摯な声に、緋桜はふっと息をついた。暁は朱桜が生まれる前から事情を知っている。彼女を信頼し託したことで、朱桜も自分もどれだけ助けられてきたのか。暁の労わりは痛いほどわかっていた。自分を思いやっての訴えであることも承知している。
「過ぎ去ったことです。今さら語る必要もないでしょう」
「では、このままご自身の立場も打ち明けないのですか」
「私が母であると打ち明けても、陛下は戸惑うだけです。それに今となっては、陛下に憎まれていた方が良いのです」
「緋桜様」
「私に母を名乗る資格があるとも思えません。私はあの子に数多の試練を与えただけです」
「しかし、それは」
「それで良いのです、暁。私はもうあの子に哀しい思いをしてほしくありません」
暁がぎゅっと唇を噛んだのがわかった。これから起きるだろう先途も、暁には全て打ち明けてある。
思えば暁にとっては、残酷なことを打ち明けたのかもしれない。
先代の娘として、緋桜も幼いころから数えきれないほど面倒を見てもらってきた。暁が自身に抱く情愛は、もしかすると自分が朱桜に抱く気持ちと等しいかもしれない。
暁の気持ちを酌むことができない我儘。自覚しながらも、緋桜は何も言えない。
鮮やかな袖を振って、ただ暁に命じた。
「朱雀の結界が成ったら、陛下には世のために役割を果たしていただかなくてはなりません。それまではゆるりとなされるように、客人と共におもてなしを」
暁はまだ何か言いたげだったが、分をわきまえたのか無言で平伏し、するりと立ちあがると、音もなくその場を辞した。緋桜は暁の後ろ姿が見えなくなるまで見送り、踵を返す。
(ーーごめんなさい、暁)
緋桜はそっと心の中で詫びて、気持ちを切り替えるように顔を上げた。
内裏の最奥の結界はすでに成っているのだ。
眩い輝きを纏って、静と自身の愛娘ーー朱桜が現れた。無事に相称の翼となった。
闇呪は静の占いの通りに、朱桜を護ってくれたのだろう。うごめく闇にとらわれることはなく、娘は無事に金を纏ってここまでたどり着いた。それは最悪の先途が描かれていない証だった。
緋桜はようやく独りきりになり、ほっと気持ちを緩める。
娘との再会を果たした。
震える心を押しとどめることは、なんとも難しい。
そして。
(ーーまさか闇呪の君が黄帝陛下であったとは)
さすがの静もそこまでは視えなかったのだろうか。あるいは視えなくされていたのだろうか。けれど、透国の皇子の発言が緋桜に答えを与えてくれた。
最期の時、静が語った数えきれないほどの経緯。静は朱桜のために禁忌を犯し倒れたが、結果的にそれが先途を守ろうとして倒れた数多の先守の想いに繋がった。
ただこの世を守ろうとした稀有な先守、朔夜の助言。
透国の第一皇子に託された希望。
静から伝え聞いただけだが、当時の緋桜には何を意味するのかよくわからなかった。きっと静にも真意を思い描くことができなかったのだろう。
けれど。
今ならわかる。朔夜が白虹の皇子に賭けた希望。
彼女が自身の名誉よりも、何よりも守ろうとした存在。
それが何であったのか、今なら緋桜にもわかる。
白虹の皇子はひそやかに託された期待を裏切らず、先守が果たせなかった真実を暴いてみせた。
華艶の占いに対して、静が不信を抱いていたのは間違いがない。けれど静でさへ、華艶が禍であると明言することはできなかった。
全ての試練を退けて、朔夜の願いの通り、白虹の皇子はたどり着いたのだ。
陛下の真実に、そして、禍の正体に。
先途がどのような形で結実するのか。緋桜は許される限り見定めたい。今はもうそれだけだった。残された時間は限られている。
だからこそ、娘が幸せになることを信じて、母国の守護である神獣ーー朱雀に、王座の継承についてを伝えておかなければならない。




