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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第五話(最終話) 相称の翼

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第四章:三 折れた麒角(きかく)

 闇呪(あんじゅ)が崩れるようにその場に膝をつく。彼方には何が起きたのかわからない。咄嗟に胸を押さえた闇呪の両手に、じわりと不似合いな色がにじむ。それが鮮血の赤だと気付いて、ようやく金縛りが解かれたように、彼方も駆け寄った。


 守護に支えられてはいるが、闇呪は意識を保っている。胸に突き立っている何かを引き抜こうとしていたが、力を込めるたびに血がしぶいた。


「お、黄王(おおきみ)


 さすがの鳳凰も動揺を隠せないのか、彼に縋り付いて涙目になっている。


闇呪(あんじゅ)(きみ)。無理に引き抜かない方が……」


 白虹の皇子(みこ)も膝をついて、血に濡れた闇呪の手に掌を添える。彼が胸に突き立ったものから手を離した。


「ーー!」


 麟華(りんか)が小さく悲鳴をあげる。


 血に濡れた、鋭利な何か。

 それが何であるのか。

 翡翠には焼かれた古木にように見えたが、しっかりと見極める時間はなかった。

 鳳凰が叫ぶ。


「ダメだ! 黄王(おおきみ)!」

「来る! 霊脈(みち)から!」


 甲高い声を聞きながら、翡翠は時の流れがゆったりと狂うのを感じた。ただ身動きも出来ず、知らない世界の出来事のように一部始終を見ていた。


 いつか異界の教室で見た、悪意に触れた()に似ている。

 不気味な(うず)

 黒い――悪意の竜巻。もがき苦しむように動きながら、猛烈な勢いで迫って来る。


「!!」


 来ると思った時には、既に巻き込まれていた。視界が闇に呑まれ、身体ごともっていかれそうな風圧が襲う。()に構える隙もない。全てが瞬きするほどの一瞬だった。呆気なく風が収束する。光が戻った。


「主上!」


 麟華(りんか)の悲鳴で、翡翠(ひすい)は呪縛を解かれたようにハッと呼吸する。

 闇呪(あんじゅ)は衝撃で気を失ったのか、力なく守護の腕に抱かれていた。鳳凰はまだ辺りを警戒している。

 闇呪の胸に刺さる古木に、迫り来た全てが吸い込まれて行くのを、翡翠は見ていた。


 標的は闇呪。


 だから自分達は無事だったのだろうか。

 怒涛の鬼にその身を侵されて、赤銅色(しゃくどうしょく)の輝きが失われている。漆黒までは至らず、異界で初めて見た時と同じ、深い色合いに染まっていた。


 翡翠はふと違和感を覚える。闇呪だけが、違う。

 異界に渡っても、自身が(まと)う色は歪まない。彼だけが、なぜ漆黒を纏っていなかったのか。朱桜(すおう)の禁術が解けて、なぜ赤銅色の輝きを手に入れたのか。


 突如、胸に芽生えた予感。

 泉を満たす湧水のように、緩やかに心を侵す憶測があった。

 まさかと思ったが、振り払うことができない。


黄王(おおきみ)……」


 ようやく鳳凰が警戒を解いて闇呪を取り囲む。


「これ、麒麟(きりん)(つの)じゃない?」


 少女が闇呪の胸に刺さっている物を示す。顔色を失ったまま、麟華(りんか)が力なく頷いた。


「あなたの片割れの?」


 少年の声にも、彼女は頷くだけだった。さすがに立て続けの出来事に動揺しているのだろう。闇呪(あんじゅ)を支える手が震えている。


翡翠(ひすい)様」


 寄り添う(ゆき)も顔色をなくしている。自分の指先からも血の気がひいて、手が冷たくなっていた。

 翡翠は改めて闇呪の胸に刺さる古木のようなものに目を向けた。

 叩き折られたかのような断面。鳳凰のように麒麟の角だと見分けられないが、麟華の様子からは愚問だった。

 霊獣である黒麒麟を凌ぐ力。例え黄帝でも一筋縄ではいかないだろう。


「鳳凰、彼を乗せて飛べますか」


 誰もが狼狽(うろた)える中で、白虹(はっこう)皇子(みこ)だけが次の展開を思い描いていたようだ。


「もちろん! 皇子(みこ)が一緒に乗って黄王(おおきみ)を支えてくれたら良い」


「わかりました。助かります」


「じゃあ、私はあなた達を乗せて飛ぶわ」


 少女の面影を宿した(おおとり)が、翡翠と雪を見る。翡翠はようやくいつもの自分を取り戻した。


「ちょっと待ってよ。朱桜の姫君の居場所が、闇呪に安全だとは限らない」


「はぁ?」


 少女は黒目がちの瞳を見開いて、大袈裟なくらいに翡翠を侮蔑(ぶべつ)する。


「主上が黄王(おおきみ)に害を与えるわけないでしょ?」

「姫君の気持ちの問題じゃない。置かれた立場と状況が問題なんだよ」


「はあぁぁ? むしろ主上が守ってくれると考えるでしょ? ふつうは!」

闇呪(あんじゅ)でもやられる相手なんだ。そんな簡単な話じゃない!」


「主上は相称の翼よ!」

「だからーー」


「まぁ、待ってください。二方とも」


 白虹(はっこう)が小競り合いの仲裁のためか、闇呪の傍らから立ち上がった。


「翡翠の王子。明らかに闇呪の君を狙っている何かがある。暴かれた居場所に居続けるのも危険です。いえ、きっと彼はどこにいても危険でしょう。何を選んでも危険が伴うなら、私は朱桜の姫君を追うことを優先したい」


皇子(みこ)


 たしかに天界に闇呪の居場所はないに等しい。

 皇子(みこ)の示す通りかもしれない。彼の住処(すみか)だからといって、安全な訳でもない。翡翠はただ闇呪が回復をはかる(とき)が必要だと考えただけだった。


「――はい。行きましょう。皇子(みこ)の言う通りです」


 闇呪の回復をはかるよりも重要なことがある。何よりも、自分達は朱桜の姫君の真実の名を守りたいのだ。それが、一番闇呪の平穏に繋がるはずだった。


「わかったのなら、乗って!」


 不思議な仕掛けのように、唐突にバサリと大きな翼が風を切る。少女の面影は跡形もなく、黒い炎を纏っているかのような、美しい姿へ変幻を遂げた。

 少年の容貌をした(おおとり)は、主を支える麟華に労わるように声をかけた。


「大丈夫? 麒麟(きりん)なら俺達の後を追えるよね」


「ええ」


 頷く麟華(りんか)の顔色は青白い。闇呪が不死身であることは守護なら承知しているだろう。


 折れた麒角(きかく)


 翡翠にはそれが何を表すのか、どれほどの意味を持つのか、はっきりとは掴みきれない。只事(ただごと)ではないという危機感があるだけだった。


 麟華は同胞である麒一(きいち)の行方が気がかりなのか、あるいは最悪の予感を抱いているのかもしれない。

 けれど、闇呪が倒れた今、守護としてどうあるべきなのか。麟華の矜持(きょうじ)が翡翠にも伝わってくる。彼女は迷わず、麒一の安否よりも闇呪の側に在ることを優先したようだ。


「行こう!」


 闊達(かったつ)な声が響く。少年もバサリと翼を広げて黒炎を纏う巨鳥に変幻を果たした。

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