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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第五話(最終話) 相称の翼

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第三章:六 新たな役割

「主上に(とが)はありません」


「本気で言っているのか」


 苛立たしげな声が、怒りをはらんでいる。鳳凰の嗚咽(おえつ)が、張り詰めた沈黙をわずかに緩めていた。主の気迫を前に身動きできなくなった黒麟(こくりん)の前に、すうっと(そう)が立ちはだかった。何も恐れる素振りを見せず、白刃(はくじん)(ひらめ)きを思わせる強い眼差(まなざ)しで、(はるか)と対峙する。


朱桜(すおう)の姫君が遥を愛していたとしても、あなたが(わざわい)になるとは限りません」


「奏。今はあなたの気休めに耳を貸すことはできません」


 とりつく島のない遥の気色(けしき)にも怯まず、奏は一歩彼に歩み寄る。黒麟(こくりん)の与えてくれたこの機会を逃さないという強い意欲が、彼方(かなた)と雪にも伝わってくる。


相称(そうしょう)(つばさ)が黄后である必要はありません。朱桜の姫君があなたを比翼として、黄帝に仕える(みち)も残されています。相称の翼があなたを愛していても、彼女は役割を(まっと)うすることができます。それが世の正しい(ことわり)です」


「あなたの気休めに付き合うつもりはない」


「これは事実です」


「――莫迦(ばか)げている」


「事実です」


 言い募る奏に、遥は苛立ちを隠さない。


白虹(はっこう)皇子(みこ)、ご自身の立場をわかっておいでか?」


「もちろんです」


「これ以上私を怒らせることは、御身にとって得策ではない」


「私は我が君に事実を申し上げているだけです」


 遥から滲みだす怒りの濃度が高まっていくのがわかって、彼方は(てのひら)に汗が(にじ)んでくる。その時、ふっと上着をひっぱっていた力が緩む。彼方(かなた)が視線を動かすよりも早く、すぐ(かたわ)らから雪の震える声が聞こえた。


闇呪(あんじゅ)(きみ)、兄様が今更あなたに嘘をついて、何の意味があるでしょう?」


 遥の射るような視線を受け止めて、雪は気持ちを奮い立たせるようにぎゅっと手を拳に握りしめる。


「兄様の言っていることは、事実です。兄様の言葉も、朱里さんの――朱桜(すおう)の姫君の想いを信じないのも、それはただ、あなたの弱さではありませんか。あなたは全てを恐れて、ただ目を逸らしているだけです」


「ゆ、雪!」


 闇呪(あんじゅ)逆鱗(げきりん)を覚悟して、彼方は咄嗟に雪の前に進み出た。遥が瞠目(どうもく)するのを見ながら、彼方は心臓が握りつぶされるような危機感に耐えられず、固く目を閉じる。


 どんな制裁が下るのかと生きた心地のしない瞬間。背筋を冷や汗が流れていくのを感じながら、彼方はただ雪を背にかばったまま、長い(とき)を立ち尽くしていた。


「――その通りです、姫君」


 止まっていたかのような刻が、遥のよく通る声で流れ出す。彼方は恐る恐る顔をあげた。拒絶を(かて)に膨れ上がった怒りは、すでに息を潜めている。遥は激昂することもなく、額に手をあてて自嘲的に笑う。


 赤銅色(しゃくどうしょく)の瞳が、なぜか闇を映していた時よりも(くら)く見えた。


「私は恐れている、――最悪の事態を」


 低く笑う声に、悲嘆が震えている。彼方(かなた)は思わず眉根を寄せた。


「主上」


 麟華(りんか)も労わるような眼差(まなざ)しを向けている。鳳凰も涙で頬を濡らしたまま、遥を見つめていた。遥は守護を振り返って「すまない、麟華」と詫びる。


「本当は朱里を――朱桜を信じるお前の気持ちは嬉しい。彼女を憎むことのないお前の想いが、私の救いだと言ってもいい」


 遥は内に巣食うわだかまりを吐き出すように吐息をつくと、奏を見た。


白虹(はっこう)皇子(みこ)。私は禍になることは厭わない。けれど、それが朱桜を苦しめる結末になることを恐れている。どんな経緯(いきさつ)があろうと、誰を愛していようと、彼女は私が破滅することに心を痛めるでしょう。それが役割であるとは割り切れない」


 奏は全てを心得ていると言いたげに頷く。


「だから、何もできない、動くことができない。そういうことですか?――闇呪(あんじゅ)(きみ)、あなたが(わざわい)になるとは限らない。いいえ、むしろ私はもっと違うことを思い描いている位ですよ」


 遥が怪訝(けげん)な表情をすると、奏はいつもの調子を取り戻したのか、涼しげに微笑む。


「鳳凰を相称の翼に(さず)ける。それがあなたの新たな役割ではありませんか」


「新たな役割……」


「そうです。そんなふうに考えてみるのも悪くないでしょう。これからも、あなたが相称の翼のためにできることはあるはずです」


 奏は遥を促すように鳳凰に視線を移す。


「それに鳳凰(かれら)は、あなたの助けを欲していますし、簡単に諦めるとも思えません。これも何かの縁でしょう」


 遥が振り返ると、さっきまで泣きじゃくっていた幼い二人が、途端にパッと顔を輝かせた。脱兎(だっと)のごとき素早さで遥にまとわりつく。


「本当? 黄王(おおきみ)? 我が君のところまで一緒に行ってくれるの?」


「本当に?」


 まだ何も答えていない遥に、鳳凰は既に返答を決めつけて嬉々(きき)としている。幼い容貌のせいか、図々しいというよりは愛嬌だった。ころころ変わる様子が可笑しかったのか、遥がふっと小さく笑う。嬉しそうに声を揃えてはしゃぐ鳳凰の期待を無碍(むげ)にはできなかったのか、ついに降参したかのように頷いた。


「そうだな。――私でよければ、力を貸そう」


 遥の声にかぶる勢いで、二人の甲高い歓声が響き渡る。けたたましさに拍車のかかった鳳凰を微笑ましく眺めながら、彼方も胸を撫で下ろす。無事に当初の思惑通り、遥を天界へ導く筋道は描けたようだ。

 雪と「良かったね」と顔を見合わせていると、遥が鳳凰に(すが)りつかれたまま、何の前触れもなく雪の前に立った。端正な顔が、彼方が見たこともない柔らかな表情(かたち)に歪む。


「姫君。ありがとう」


 遥が言い終わるか終わらないかのうちに、彼方の隣で雪の顔がボッと盛大に紅潮した。


「い、いえ。あの、生意気なことを申し上げました」


 いつも毅然と背筋を伸ばしている雪が、気まずそうにうつむいて、指先を(せわ)しなく組み替えている。


「君は、私の恐れを(あば)いてくれた」


「申し訳ありません」


 遥の背後から顔を出して、鳳凰が反射的に謝ってしまった雪を仰ぐ。


黄王(おおきみ)が感謝しているのに、謝るなんて変なの」


「そうよ。黄王(おおきみ)をその気にしてくれて、ありがとう」


 鳳凰の生意気さに、遥は何かが吹っ切れたかのように声を立てて笑った。雪はますます頬を染めて、もじもじとしている。彼方は見たこともない雪の様子に、じりじりと心が()ける。遥が麟華を振り返って背を向けた瞬間、思わず舌を出していた。

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