第三章:二 至翼
「そうです。もう予想はされているようですが、朱里は緋国の六の宮、朱桜です。私の最後の妃で、私が愛を以って真実の名を捧げた翼扶だった。けれど、彼女は相称の翼となった。どんな経緯があって禁術を望んだのかは、私にはわかりませんが」
以前の彼方なら、なぜすぐに黄帝のいる金域へ導かなかったのかと、彼を責めたのかもしれない。不思議と今はそんな気持ちが沸いてこなかった。遥が何の理由もなく天地界の掟を破るとは思えない。
朱里が、――朱桜が望まない限りは。
彼女がなぜこちらの世界に逃避行したのかはわからない。
ただ全てを思い出した彼女が、何を考えてしまうのかは彼方にも想像がつく。
相称の翼としての役割と、それ以上に望むのは、おそらく闇呪の未来。
「副担任は、これからどうするの?」
何気なく訊いたつもりだったのに、声が乾いていた。遥はちらりと彼方を一瞥しただけで答えない。つまらないことを言ったと彼方も視線を伏せた。
朱里がーー朱桜が立ち去った今、彼方自身も目的がなくなったような気がしていた。こちらで共に過ごした記憶から、朱里が自身に与えられた役割や責務を放棄するとは思えなかった。
天地界は相称の翼を得て、輝きを取り戻すだろう。
そう安堵できるのに、心は晴れない。遥の胸中を思うと、ただ全てが暗く哀しく見えた。
「ねぇ! 我が君は天界に戻ったの?」
しんみりとしそうになる彼方の隣で、鳳凰の二人がけたたましい声をあげる。さっきまで辟易していたのに、今は甲高い声に救われる気がした。
「俺たち、早く我が君に会いたいんだけど。っていうか、会わなきゃならないの!」
遥が不思議な色合いの眼差しを鳳凰に向ける。目が合うと、少年は首を傾けた。
「あなた、なんだか、やっぱり変な感じだな」
「私が? まぁ、そうだろうな」
無理もないという自嘲を含んだ遥の声に、少年はきょとんとした顔になった。
「悪い意味じゃないよ。あなた、とっても綺麗だ」
「うん。それは私も思う。まるで黄王みたいね」
少女の言葉に、少年が指を鳴らす。
「そう!それ! 黄王みたいな感じ」
少年はいたく納得したようだったが、彼方には皆目わからない。思わず助け舟を期待して雪を振り返ると、彼女も首を傾げた。
さらなる助け舟を求めて奏を見るが、彼方は思わず息を呑んだ。得体の知れない気迫のこもった灰褐色の瞳が、鳳凰の相手をしている遥をじっと凝視している。
「奏?」
声をかけると、彼はハッとしたように彼方を見た。それでも成り行きは心得ているようで、すぐに知的な声が答える。
「彼らの言う黄王とは、至翼のことでしょう」
「え? たしかに副担任は委員長の至翼だけど……」
彼方が遥を見てから鳳凰を見ると、こちらを見ていた二人としっかりと目が合った。
幼い二人は「やっぱり!」と漆黒の瞳を輝かせて、再び遥を仰ぐ。
「じゃあ、やっぱり黄王じゃん!」
「とっても綺麗!」
嬉しそうな二人の様子に戸惑ったまま、遥も助け舟を必要としたらしく奏を見る。嬉々として二人に懐かれている状況が吞みこめないらしい。彼方も鳳凰が思い違いをしている気がして、同じように奏の答えを待った。
「鳳凰の云う黄王とは、基本的には黄帝のことになります」
「えっ?」
彼方が思わず声をあげると、奏が口元に手を当てて遥に纏わりついている鳳凰を見る。
「相称の翼の至翼は黄帝ですからね」
「あ。そういうことか」
鳳凰は「黄王、黄王」と声を揃えて、再び遥にまとわりつく。遥は苦笑しながらも、朱桜の守護だと心得ているためか、二人を邪険にすることはなく受け答えしている。
「闇呪が、委員長の……、相称の翼の至翼なんて」
皮肉だなと彼方は複雑な気持ちになる。
至翼は、自身に真名を捧げた者を指す。
彼方にとっては雪が翼扶であり、同時に至翼でもある。相思相愛の恵まれた関係だが、もちろんそうではない場合もある。
翼扶が、必ず至翼を比翼に望むとは限らない。
同じように、比翼が、必ず至翼を翼扶に望むとは限らないのだ。
本来、翼扶または比翼を数多持つことは天意の定めに反する行為ではない。
けれど天界では古から繰り返されてきた悲劇により、数多の翼扶、比翼、または至翼を持つことは禁忌であるという風潮があった。
唯一、その暗黙の了解を無視できるのは、四国の王を至翼とする黄帝だけである。
「じゃあ、委員長は闇呪と黄帝を至翼として持つことになるんだね」
それが古にも起こりえたことなのか、やはり稀なことなのか、彼方には分からない。
(……分からない?)
不意に気づいた自分の変化に、彼方は戸惑う。相称の翼が黄帝以外の至翼を持つこと。以前なら間違いなく、ありえない事態だと考えていた筈だった。
けれど、今はわからない。自分の内に形作られてきた天帝の御世とは、全てがかけ離れている。
遡れば、相称の翼が必ずしも黄后ではない例もあるのだ。
親子で築かれたと言う、天帝の御世。
そして、今。
黄帝を愛してはいなかった、相称の翼。
これまでに刷り込まれてきた感覚には、許しがたいほど添わない形。
「相称の翼は、誰を比翼とするのでしょうね」




