第一章:二 幼い二人
彼方は奏と雪を伴ってマンションに戻り、今後どうするかを三人で模索していた。考えても、これといった案が出てこない。
彼方自身、ひとまず当初の目的を果たしたと云っても良かった。相称の翼の正体をつかんだのは大変な成果である。
なのに、気持ちは暗い。
「相称の翼の行方を知りながら、これからどうすべきかを迷っている。……おかしいですね」
黙りこんでいる彼方の傍らで、奏が柔らかな声で呟いた。彼方は奏と目を合わせると、困ったように笑う。
「たしかにね。僕たちのすべきことは、本当は決まっているのに」
相称の翼の行方を、今すぐにでも天界へ報告するべきなのだ。本来ならば今後の方策は四天王や黄帝に委ねなければならない。
天地界には猶予もない。
わかっているのに、なぜか彼方にはそれが正しいとは思えないのだ。奏――白虹の皇子のように闇呪 に仁を以って真名を捧げたわけでもない。
なのに、何に、誰に従うべきなのかがわからなくなっている。
闇呪を愛していた朱桜。
彼方にはそれを否定することができない。闇呪に関われば誰だってそう思うだろう。
いずれ世の禍になるとしても、彼の人となりが凶悪なわけではない。呪をもって鬼を昇華し、彼はこれまで独りきりで世のために尽くしていた。
こちらに来て知った彼の行いの全て。彼方には否定できない。
朱桜を愛している闇呪。
平穏な世界を引き裂いたのは、いったい何だったのか。
これまで信じていた世界こそが、どこかで狂っているように思えて仕方がなかった。
「だけど。まだ朱里さんは何もわかっていないのでしょう?」
雪がぼんやりと小さな椅子にかけたまま、奏に問いかける。
「そうだね。天落の法を行う前の記憶はないと考えるべきです」
二人の会話を聞きながら、彼方は大きくため息をついて顔を上げた。
「委員長は何も覚えていないのに、彼に――闇呪に想いを寄せた。なんか、すごいよね」
「二人の絆が強かったということかしら。私はうらやましい気もします」
云ったあとで、雪は「不謹慎ですね」と力のない笑みを浮かべた。
「ですが、彼女は天落の法を解く方法を求めていました。もし遥の真実の名で発動していたのなら、術が解ける可能性があります」
「委員長が全てを思い出したら、どうするのかな」
「――わかりません。ただ金域で何があったのかは明らかになるでしょう。なぜ、このような事態になってしまったのかも」
雪が重いため息をつく。
「朱里さん――朱桜の姫君は、認めたくなかったのではないかしら」
「認めたくないって、何を?」
彼方が雪を見ると、彼女は迷わず答えた。
「自分が相称の翼であることを。だって、彼女は闇呪の君を愛しています。私が同じ立場だったらと考えてみると……」
たしかにそのとおりかもしれない。彼方はやりきれない思いがする。どのような経緯があったのかは分からないが、闇呪に向けられた朱桜の想いだけは間違いがない。
朱里の中で、失われず蘇った想い。
「結局、私たちには委ねることしかできないものかもしれません」
「うん」
奏の言葉に頷きながらも、彼方には二人の結末は決まっているように思えた。遥と朱里――あるいは闇呪と朱桜には決別しかないことがわかってしまう。二人が世界の破滅と引き換えに想いをとげるとは思えなかった。
遥にも朱里にも、周りを気遣うだけの心があるのだ。
ふたたび室内が沈黙に包まれると、何の前触れもなくインターホンが鳴った。一瞬緊張が走ったが、小さなモニタが映す人影を見て、彼方はすぐに訪問者を迎えた。
やってきたのは東吾と、二人の子どもだった。
「何なの? 何なのよ! この狭苦しい部屋は」
「悪趣味なのはおまえだけにしてくれよな」
呪われているのではないかと思えるほど、見事に艶やかな黒髪黒目の少年と少女だった。無邪気に東吾の背後で悪態をついている。こちらの世界の子どもなら、十歳を数えるくらいだろうか。くるりとした癖のある黒い頭髪。黒曜石のような瞳。棒のように細い手足と、幼い顔立ち。
彼方は云いようのない異質な感じがして、思わず顔が険しくなってしまう。けれど、この感じはどこかで味わったことがあるような気がするのだ。
「まったく皓月もどういうつもりなの? 私たちは一刻も早く名を呼んでもらう必要があるのに。こんな所で油を売っている暇なんてないのよ?」
「皓月のじいさん、まさか耄碌してたんじゃないだろうな」
「それはありえるわね」
二人の悪態はやむ気配がない。彼方はあっけに取られていたが、隣の奏は驚きを隠せない表情で子どもたちを眺めている。
「まさか……」
東吾は奏の呟きにいつもの底の知れない笑顔で答える。
「お気づきになられましたか」
「気づくも何も――。まさか、あの黒鳥が霊獣だったとは思いませんでした。それに人型に変幻できるとなると……」
彼方は「え?」と目を見開いて、改めて少年たちを見る。小鳥と比べて面影などあるはずもないが、この異質な感じにはたしかに覚えがある。
奏が自身の宮殿で放し飼いをしていた黒鳥から受けた印象と同じだった。変幻を果たしているのなら、彼らはまぎれもなく霊獣だろう。
「しかし、霊獣は本来金色の体躯をもつはずです。黒い霊獣なんて、聞いたことがありません」
奏の言葉に、二人はむっとしたように顔を曇らせた。
「白虹の皇子。俺たちには俺たちなりに、いろいろと理由があるんだよ」
「理由?」
聞き返す奏には答えず、少年はいらいらとした様子で辺りを見回す。
「俺たちはさ、皇子に会いに来たわけじゃないんだけど。こちらに我が君がいらっしゃるとも思えないし」
「そうね。こちらにはいらっしゃらないわね。全く気配を感じないもの」
「俺たちの主、可愛いけど鈍そうだったからなぁ。あー、あの時に名さえ呼んでくれていたらなぁ」
呆然としていた雪もようやく自分を取り戻したのか、そっと東吾を見る。
「東吾さん。あの、このお二人はいったい――?」
雪の控えめな問いかけに、東吾は笑顔のまま、何でもないことのように、さらりと信じられないことを告げた。
「この方々は、相称の翼の守護である鳳凰です」
「え?」
声を発したのは雪だった。彼方は声も出ない。何かの聞きまちがいかと奏をみると、彼は目まぐるしく何かを考えているのか、目の前の幼い子ども達を見つめたまま身動きしない。
「では無事ご案内申し上げましたので、わたしはこれで失礼いたします」
少年と少女の素性だけを紹介して、東吾はあっさりと姿を消した。
ごくありふれたマンションの一室に、ありえない面子がそろっていることになる。彼方はあまりの成り行きに、ただ呆然とするだけだった。




