七章:ニ 闇の地:繋がれた心
華艶の肌は甘い。身動きするたびに濃密な香りが漂う。
男なら誰もが望む女なのだと云う。闇呪にも心から欲しがった時期があった。華艶に対して得体の知れない予感を抱くようになるまでの、ほんのひととき。
今となっては当時の情熱は跡形もない。出会う度に苦しいかけひきをするかのように、神経が張り詰める。
朔夜を失ってからの多大な恩。華艶が自分にとって掛け替えのない存在であることは変えられない。美しい理想であることも変わらないのだ。けれど、心の内に充満していく疑惑から目を逸らすことはできなかった。
複雑に揺れる心がある。悟られないように振る舞うこと、ただそれだけのことに必要以上に気力が削がれていくのだ。
先守という肩書きのせいだろうか。全てを見抜かれているのかもしれないという恐ろしさがつきまとう。昔のように何のわだかまりもなく接していたいのに、どうしても気が抜けない。
甘い毒におかされたようなひとときが終わると、闇呪は余韻を断ち切るように衣装をととのえ居室から広廂へと歩み出た。
柱に寄りかかるように手をついて中庭を臨む。
「あの可愛らしい姫君はお元気ですか」
格子の奥から華艶の声が追いかけてくる。他愛ないことを尋ねるような問い。やがて身支度をととのえた華艶がゆるりと隣に現れた。
再び濃密な香りに包まれる。
「守護が何も云ってこない処を見ると、そうなのでしょう」
関心のないふりを貫こうとすると、華艶が小さく笑う。
「その手で救っておきながら、冷たい云い様をなさいます」
闇呪はぎくりとしたが、動揺をさとられないように華艶を見つめた。朱桜が鬼の坩堝に迷い込んだことを話した覚えはない。黒麒麟が華艶に語るはずもないのだ。
じわりと疑惑が色濃くよぎるが、先守の華艶には視ることもできたのだろうと思いなおす。
「あなたには隠し事ができない」
「――そんなことはございません。ただ闇呪の君の幸せを願っているのです」
慈しみを含んだ声。それが本心であるかどうかも、もう闇呪にはわからない。
「姫君については、これ以上ここに迎えた者を亡くす理由もない。ただそれだけです」
「妾は闇呪の君のお心を動かすのではないかと、期待しておりました」
「妃とはいえ姫君はまだ幼い。私の相手を務めるのも酷でしょう」
華艶がふうと溜息をつくのがわかった。
「女はあっという間に大人になるものです。以前、金域でお見かけした時、姫君は今にも花開きそうでした。きっと美しい女性におなりでしょう」
どういう意図があって朱桜のことを語るのか、闇呪は華艶の思惑を推し量ろうとしたがうまく言葉が選べない。何かを問うと自分の変化を見抜かれそうで恐いのだ。
禍であることを理由に逃げることはやめた。朱桜とは関わる決意をしたのだ。これまでの妃とは明らかに違う。それを華艶に知られることは避けなければならない。
あるいは華艶は既に全てを視ているのだろうか。
拭えない得体の知れない不安。例え華艶が全てを知っているのだとしても、朱桜は守りぬかなければならないのだ。
どうすることが最善の策であるのか。
闇呪は確かな答えを得られぬまま、ただこれまで通り華艶を迎え入れることしかできない。




