青い目の商人
女王陛下を交えての、五大貴族会議。その準備を進めつつ、俺とノエルは希望の丘の子供たちへの慰問もこなさなくてはならなかった。
俺は貴族としての人脈なんてないに等しい。そこで協力してくれたのが、アデライドとファブリスだった。アデライドが懇意にしているという商人を一人、紹介してくれたのだ。
これで議会での承認が整い次第、大口の買い付けもできるというものだった。
「……オルド様、お客様がお見えです」
慰問の件を相談しなくてはならないから、俺はアペンドック邸に泊まっていた。当然、紹介された商人にもアペンドック邸に来てもらうよう頼んでいたのだが。
俺に来客を告げたナルの表情は、複雑な色をしていた。
「あぁ、ありがとう。アデライド言っていた商人かな……名は確か……」
「クラレット・ゴーニャ様です。お通ししても……?」
そうだ、そんな名だった。ゴーニャなんて、ちょっと変わったファミリーネームだと思ったんだ。
「もちろん。紅茶とお菓子の用意も頼む」
「かしこまりました」
ナルが下がるのを確認すると、俺は机に広げていた書類を片付ける。長椅子でクラレットなる商人を待っていると、程なく扉がノックされた。
「オルド様、クラレット様をお連れいたしました」
「どうぞ」
声を掛けると、ゆっくりと扉が開きーー……。
「え?」
俺の間抜けな声が部屋に響いた。
「お初にお目にかかりますニャ。アデライド様よりお力になるよう命じられ、馳せ参じましたニャ。クラレット・ゴーニャと申しますニャ」
流暢な……だが、どこか独特な話し方をする目の前の……猫。そう、猫なのだ。
子供ほどの背丈もある、大きな二足歩行の。
ふわふわの真っ白い体毛と、大きなくりくりの青い目。ピンク色の鼻のてっぺんには、小さな丸眼鏡。エプロンの様な衣服に、立派な皮の肩掛けカバン。
素晴らしく現実離れした出で立ちの、でも綺麗な猫だ。
「おや? オルド様は、ケットシーを初めてご覧になりましたのニャ?」
俺の不躾な視線も意に介さず、という様子で。目の前の猫……クラレットが頷く。
「あ、あぁ……これは失礼しました。ケットシー、なのですね」
ケットシーと言えば、長き時を生きた猫がなるとも言われる妖精だ。妖精の国に隠れ住んでいるのだが、たまにこうして人の世界で生きるものもいるという。
「ニャ? 気にしないで頂きたいのですニャ。それで……オルド様」
クラレットの眼鏡がキラリと光る。まちがいなく、商人の目だ。
「オルド様は、この国で新たな文化の創造をなさりたいと聞き及んでおりますニャ。このクラレットにお任せいただければ、必ずや成功させてみせましょう……ですが、まず」
「まず?」
「仔細な事業計画、必要になる物品のルートの洗い出し、雇用する人間に関しての調査……することは山積みですニャ。できれば、私の部下を使うことをお許しいただきたいのですニャ」
「え……いや、それはいいけど……。さすがに俺も手伝……」
ギロリ、と。クラレットが俺を睨めつける。俺はその表情に、思わず口をつぐむ。
「オルド様、その心意気は嬉しく思うのですニャ。ですが、オルド様は商売は素人。ここは我々の領分ですニャ。お使いになっている道具、材料のリストは欲しいですが……まずはお任せして欲しいですニャ」
「あ、うん……」
でも、とクラレットが口を開く。
「実際に商品を買い付ける際の検品は、オルド様にも立ち合って欲しいのですニャ。そこは、一流の料理人であるオルド様の領分ですニャ」
俺はなるほど、と納得してしまう。商人とは、ある意味魔術師と近い感性を持っているのだろう。
合理主義。無駄なことはしない。だけど、必要なことはきちんと行う。
「わかった。任せるよ。それと相談なんだけど……君は色々な国を行き来するんだろ? 冒険者に人気のものとかサービスとか、考えられそうかな」
「もちろんですニャ。明日までには仔細にまとめるつもりですが、まずは草案をお持ちしておりますニャ」
「早いね……」
アデライドからの要請から、まだ一日しか経っていない。その行動力たるや、驚くなという方が無理だろう。
「じゃあ、目を通しておくよ」
「はいですニャ。明日は今後の事業を取り決める重要な会議だと聞いておりますニャ。草案をご覧になった所見は、今日の夕刻までに頂けたらと存じますニャ」
「わ、わかった」
俺だって、五大貴族会議を舐めていたわけじゃあない。だけど、このクラレットは……。やるといったら、必ずやるんだろう。とんでもなく心強い味方が出来たことに、俺は胸が熱くなるのを感じていた。
「じゃあ、昼から夕刻まではノエル……この家の令嬢と出掛けるから、帰るまでには何かしら付け加えることがないか考えておくよ」
「はいですニャ」
そう言って、クラレットはカバンから束になった書類を取り出した。これが彼女の言う草案なのだろう。
「では、私はお許しいただいた部下の手配をしておきますニャ」
上機嫌のクラレットに頷き返すと、扉がノックされた。返事を返すと、ニナがカートを押して入ってくる。
「こちらは庭で採れたハーブのハーブティーと、焼き菓子でございます」
アイスティーとクッキーがクラレットの目の前に置かれる。クラレットはキラリと目を輝かせると、遠慮なくアイスティーを口に含む。
「ふむ……素晴らしい紅茶ですニャ」
ゴロゴロと機嫌よく喉を鳴らし、クッキーもパクリ。幸せそうに目を細めると、何度か頷く。
「ふむふむ……確かに、アデライド様が得難い料理人だとおっしゃる気持ちもわかりますニャ。これはなるほど……ミリューでならば、まだない文化ですニャ」
「まぁ、料理人じゃなく見習い魔術師なんだけど……」
どういう紹介の仕方をしているのか。今度アデライドに会ったら問い詰めようと心に決めつつ、俺は苦笑いを浮かべる。
「それで……どう思う? 君なら、この国の特異性もわかると思って聞くけど。これは武器になるかな」
恐らく、アデライドから説明を受けているだろうクラレットへ。俺はそう尋ねる。
クラレットは立派なヒゲをピンと伸ばすと、大仰に頷いた。
「成果が目に見えて出るのが遅い研究とは違い、料理とは……食とは評価がハッキリとするものですニャ。そういう意味で、新たな風を呼び込めるかと言えば、答えは決まってくるでしょうニャ」
「そうか……」
安堵しかけた俺に、クラレットが首を横に振る。
「ですが……オルド様。オルド様の料理は素晴らしい。でも、それは一つの憂いも生むのだということを覚えておいて欲しいのですニャ」
「憂い……?」
「オルド様はきっと、お優しい方なのでしょうニャ。でも、優しいが故に甘い。もし、オルド様の事業が成功されれば……当然、日陰へと追いやられる者たちもいますのニャ」
真っ直ぐな視線が、俺を捉える。クラレットに言われて初めて。おれはそこに思い至る。
俺が進出することで、職を失う人たちが出る。そんな当たり前の事実に。
「でも……」
「オルド様。全てを掬い上げることは不可能ですニャ」
でも、利を得る影で泣く者もいることを、忘れないで欲しい。クラレットはそう言うと、目を細める。
「俺は……どうすればいいかな」
「それは、オルド様がどうしたいかによりますニャ」
難しい。でも、できる限り下まで手を伸ばしたいのだ。
「……考えてみるよ」
俺がやっとそう答えると、クラレットは満足そうに頷いたのだった。




