252 Xデー
硫黄島ダンジョンで「全体化(極)」を手に入れたことで、計画の大幅な前倒しが決まった。
「逃げる」クリスタルはクリスタルルームの三分の一ほどを埋める大きさに育っている。
元々の計画では部屋の半分、できれば完全に埋めるほどの大きさが必要だったんだが、このスキルの使用を前提に計算し直した結果、「もう足りる」ということがわかったのだ。
シャイナたちが開発し、探索科が設置していたダンジョンドレインの魔導装置のおかげで思ったよりもリソースが回収できてたことも大きいな。
Xデーは十二月の二十一日。
硫黄島ダンジョンの踏破から一週間もない。
そんなにも計画を急ぐのには理由がある。
凍崎の「作戦変更」による世論の過激化が、思ったよりも早いのだ。
凍崎は「作戦」だけで世論を操作してるわけじゃない。
どうも凍崎は、ロシア軍機撃墜のような対外的な危機を巧みに利用して、国民の自衛意識を煽っているふしがある。
国民全体に共通の危機感を抱かせることで、世論を太い一本の流れに集約しようというのだろう。
だが、凍崎の計画にはどうにも解せない部分もある。
たしかに、異世界への回廊があることは、この国の切り札になりうる。
しかし、それは長期の話であって、今すぐに他国の侵略を跳ね除けるような力になるわけではない。
異世界移民の受け入れは月に数千人のペースで、ゆくゆくは毎月一万人を目指すと凍崎は言っている。
だが、凍崎が演説でぶち上げた人口倍増計画が実現するには、月一万人のペースで受け入れても、人口を一億人増やすのに一万ヶ月――およそ83年もかかる計算だ。
逆に、十年かけて一億人を受け入れようと思ったら、一年あたり一千万人――一月あたり83万人もの受け入れが必要になる。
83万というのは、ちょっとした政令指定都市の人口に匹敵するくらいの人数だ。
それだけの数の異世界人に、受け入れに必要な簡易的な教育を施すだけでも不可能に近い。
受け入れ先の探索者の数だって、すぐに足りなくなるだろう。
となると、現在は探索者をやっていない人たちにまで異世界人を割り当て、探索者に転職させる、なんて話になってくる。
凍崎が国難を煽ってるのは、非探索者を強制的に動員したいからなんじゃないか? そんな勘ぐりもしたくなる。
だが、もしそんな大がかりな強制転職ができたとしても、今度はそれだけの探索者を養えるだけのダンジョンがないはずだ。
もちろん、その転職によって他の業種に空前の人手不足が生じることになるわけで、探索業以外の現在の産業が軒並み機能不全に陥ることになる。
ダンジョンからは食糧も出なければ、機械製品を製造できるわけでもない。唯一賄えるのはマナコインによる魔力発電だけだからな。探索者が増えればアイテムの売買が活発化するとは思うが、それだけで国が回るわけではない。
アイテムを輸出して生活必需品を輸入に頼るのだとしたら、今の対外対決路線とそぐわなくなる。
……あるいは、探索者さえ育ててしまえば、必要なものは武力で取ってこれるという計算なのか。
もう少し現実的には、日本人と異世界人のカップルを大量に作り、次の世代での人口増を目指すことだろうか。
戦後のベビーブームでの人口増のペースを考えると、数十年かけて異世界からの移民を受け入れ続ければ、人口の倍増は夢物語ではないらしい。
凍崎自身もあの演説ではそのように説明していた。
だが、いずれにせよ、今すぐに人口が倍になるわけじゃないんだよな。
演説に伴う「覚醒」の影響もあって探索者になるやつが増えてるという話はあるが、それにしたってすぐに大国間の軍事バランスを揺るがすほどの数ではない。
ステータスを持った探索者は、たしかに治安の面では脅威ではある。
しかしさすがに、重武装した軍隊を相手にできるほどではない。
高レベルの探索者の中には軍隊相手に戦える奴もいるかもしれないが、それはあくまでも局地的なもので、一国の軍隊を滅ぼせるほどの力の持ち主はいないだろう。
それこそ、遠くからミサイルを撃ち込まれたり、空爆されたりしたら(俺以外の)大抵の探索者は死ぬと思う。
異世界との回廊が開いたことで長期的には日本の軍事力が伸びるとしても、今この瞬間のミリタリーバランスは凍崎の首相就任以前と変わりがないのだ。
……まあ、俺という存在を除いては、だけどな。
あるいは凍崎は、いざとなれば俺が動くと当て込んで、他国との軍事衝突を恐れていないという可能性もある。
実際、ロシアが核を撃てば俺がそれを撃墜することは確実だし、ロシアが北海道にでも上陸したら、なんらかの対抗策は取るかもしれない。
いくら自分が招いた事態ではないといっても、放っておくわけにもいかないからな。
だとしたら、凍崎の動きを放置することは、何よりも俺にとってリスクとなりうる。
好むと好まざるとにかかわらず、俺が他国との戦争に巻き込まれるかもしれないのだ。
自分の意志で悪事を働いてる不法探索者ならともかく、国に命令されて従軍してるだけの兵士を殺して回るなんてことはやりたくない。
だが、焦りだけで計画を前倒しして失敗しては意味がない。
限られた時間の中で慎重に検討し、十分に実行可能とわかった上で前倒しを決めたのだ。
俺は緊張とともにXデーを迎えた。
「ユウトさん……緊張なさっていますか?」
「逃げる」クリスタルのあるクリスタルルームで、シャイナが俺に訊いてくる。
芹香がそばにいてくれれば……と思うが、芹香は「表」の人間だからな。
さっき「フレンド召喚」で最後の打ち合わせを済ませた後、芹香には地上に戻ってもらってる。
最近は二人きりの時間も取れず、ストレスが貯まる一方だな。
シャイナは青い前髪の奥の琥珀色の瞳で俺を気遣わしげに見つめてくる。
シャイナにはかなり助けられた。
魔導技術のことはもちろん、王族としての立ち居振る舞いについても教えてもらった。
まあ、俺は王ではないと思ってるんだが。
「ん、ああ、まあな」
と、俺はあいまいにうなずいた。
「すみません。事前にメッセージを録画できればよかったのですが……」
「いや、魔法によるライブ映像の搬送技術を確立してくれただけでも十分すぎるよ」
シャイナがこの世界にやってきて最初に興味を惹かれたのはテレビだという。
アサイラムに来てからはコンピューターやインターネットにも興味を持ってるみたいだが、「ヘカトンケイル」に所属させられていた時には気を紛らわせられるのはテレビくらいしかなかったらしいからな。
また、エリュディシアの国情を考えると、コンピューターやインターネットよりも、まずはテレビによる公共放送が重要だと考えているらしい。
そんなシャイナの「自由研究」の成果が、魔法によるライブ映像の搬送だ。
電波の代わりに魔力の波を使うことで、電波よりも鮮明に映像を送信することができる。
何よりも大きな特徴は、魔力波による搬送には、特別な受像機が必要ないことだ。
使うのが魔力だけに、人間の精神そのものを「受像機」として映像を送りつけることができてしまう。
仕組みとしては幻影魔法と同じですね、とシャイナは言うが、細かいところでは違いもある。
幻影魔法は基本的にレジストされないようにかけるものだが、映像搬送はレジストされても構わない。
見たければ見ればいいし、見たくなければ拒めばいい。
まあ、いきなり映像を送りつけられた方は迷惑だろうが、抵抗する自由はあるということだ。
この仕組みが実用化されることがあったら、その時にはなんらかの規制を考えればいい。
シャイナは、この魔力波を利用した映像搬送のことを、魔法放送と名付けている。
そこで、また別の人物が俺に向かって言ってくる。
「べつに緊張したっていいと思いますよ。内容を考えれば緊張するのは当然です。緊張せずにへらへらしてたらそのほうがよっぽどおかしいですから」
と、微妙に生意気さの残る口調で言ってきたのは、アパートのお隣さん――桜井大和だ。
大和が配信していた内容はともかく、配信そのものの技術には舌を巻くものがあったからな。
俺は大和をアサイラムに連れ込んで、機材の手配から演技指導に至るまで、さまざまな協力をさせたのだ。
「まあ、それもそうだな」
「今回は内容自体にインパクトがありますからね。お面もかぶってることだし、声さえ震えなければなんとでもなりますよ」
「……そこが心配なんだけどな」
「あれだけ練習したんです。カラオケで歌うのと大差ないですよ。逆に、あまりになめらかすぎても違和感なんで、気持ちを込めることは忘れないでくださいね。蔵式さんにとっては何度も繰り返した話であっても、聞く方にとっては初めてなんですから。ゆっくりすぎると感じるくらいでちょうどいいです」
「ああ、わかってるよ」
「多少失敗しても大丈夫です。魔法放送とは別に、ネットに上げる動画も用意してますからね。後で引用されるのは動画のほうです。魔法放送は録画なんてできませんから」
魔法放送の唯一の難点がそこだ。
魔法放送は録画ができない。
あらかじめ録画したものを配信することも不可能だ。
人間、自分の体験したことであっても、案外記憶は曖昧なものだ。
時間が経ってから振り返れば、現実に経験したはずのことでも夢の中の出来事と大差ないように感じることもある。
魔法放送は精神で直接受け取る方式だけになおさらだ。
今大和が言ったように、直後にネット上にも動画を上げる手はずになっているので、最終的に人の記憶に残るのは動画の方ってことになる。
動画の方は、大和によって言葉の間をカットするなどの編集が施され、視聴しやすいものに仕上がってる。
何度もリテイクをくらって語り直したからな……。
「うまく演説してやろうなんて思う必要はないですよ。そういうところで勝負しても凍崎にはかないっこないじゃないですか。俺の配信スタイルとかも完コピしてるんでしょ、あいつ」
「みたいだな。当然、政治家の演説や、経営者のプレゼンなんかも人格ごとエミュレートしてるんだろう。たぶん、国内外問わずに、だな」
「たしかに気持ち悪いと思ったんですよね、あの演説。なんか、俺に妙に似てるとこがあるなって。さすがに自意識過剰かと思ってたんですけど」
俺は大和の動画をそんなにしっかり見たことがなかったから気づかなかったが、凍崎のあの演説の一部には大和のやり口をコピーした形跡があったらしい。
「蔵式さんは、これから圧倒的な奇跡を起こすんです。言葉少ななほうがミステリアスに見えていいですよ。行間は勝手に想像させたほうが、いい演説に仕上がります」
「さすがに研究してるな」
その研究を社会的に望ましい方向に使ってほしかったもんだけどな。
まあ、本人も深く反省してるようだし、お姉さんが責任を持つと言ってたから、俺から何かを言うことはない。
「ユウトさん。そろそろ予定のお時間です」
「おっと。いつまでも現実逃避してるわけにはいかないな」
俺はクリスタルルームに作った撮影ブースに入ると、アイテムボックスからおなじみのお面を取り出して装備する。
もちろん、「烏天狗のお面」だな。
信用を得るために素顔で配信すべきか、という議論もしたんだが、俺のリスクが大きくなりすぎるということで、結局はいつものお面に落ち着いた。
俺が大和みたいに美少年だったら顔を武器にしてもよかったのかもしれないが。
俺はこの時のために用意しておいたいくつかのスキルを重ねがけする。
気持ちが落ち着き取り乱しづらくなる「沈着」。
他者を説得する言葉が浮かびやすくなる「説法」。
困難な状況でも自分の取るべき行動が自然にわかる「天衣無縫」。
こういうスキルは固有スキルに多いんだが、最近の固有スキル研究の蓄積により、似たような効果のスキルを取得できた。
魔法的に、あるいは武術的に、自分の精神を落ち着かせるすべも知っている。
他者に作用する精神操作系のスキルもいくつかあるが、今回はそれは使わない。
凍崎の「作戦変更」を暴露するのに自分が似たようなスキルを使っているのでは筋が通らなくなるからな。
どうせバレないからいいじゃないか、と割り切ることは俺にはできない。
俺はひとつ深呼吸してから、
「よし。始めるぞ」
俺の一言に、クリスタルルームに緊張が走った。





