187 曇りなき憎悪
「じゃあ、また後でね」
歓迎会の準備があると言う芹香と別れた俺は、微妙に空いてしまった夕方の時間を潰すため、とくに当てもなく新宿駅のほうに向かう。
「……ん?」
新宿駅西口に近づくと、駅前になにやら人だかりができていた。
西口ロータリーの駅の入口正面に選挙カーがあり、周囲にはのぼりが林立してる。
制服警官の姿も目につくな。
探索者としての経験を積んだ今の俺には、制服警官以外にもそれとなく周囲を警戒してるやつらの気配も察知できる。
なんだ街宣か……と思い引き返そうかと思ったが、のぼりに記された名前を見て足を止めた。
のぼりにはこう書いてある。
『あなたの夢を叶える政治――自政党所属参議院議員・凍崎誠二』
「……よりにもよってあいつかよ」
俺が顔をしかめたところで、奴が選挙カーの上の演壇に上がった。
周囲を行き交う人たちがちらちらと演壇に上った政治家に目を向ける。
「……誰?」
「ほら、あいつだよ、羅漢の会長の……」
「ブラック企業の親玉かよ」
「娘が悪質な探索事故を起こしたんでしょ?」
「なんでまだ議員を続けられてんだよ……」
行き交う人々の視線も声も、お世辞にも温かいとは言えないな。
こいつが国会議員なんて世も末だと思ってたが、通りすがりの有権者がまともなようで安心する。
ならなんでこいつが当選したのかって?
自政党の比例名簿に載ってたからだな。
一時政権を奪取した野党が国民からの失望を買ったことで自政党が地滑り的な勝利を果たした年の参院選だ。
「今年って参院選の年だっけか?」
解散がある衆議院に対し、参議院は任期満了での改選だよな。
ニュースを見ないわけじゃないんだが、選挙の時期まで把握するほど政治に関心があるわけじゃない。
そんな俺の独り言に、
「――何寝ぼけたことを言ってるんだ」
後ろからいきなり声をかけられ、振り向く俺。
これだけ人が多いと気配を読んでてもあまり意味がないんだよな。
簒奪者に吸収された「索敵」の光点も通行人のほとんどが青判定だし。
振り向いた先にいたのは、マンションの隣部屋に住む政治に熱心な高校生だった。
学校帰りなのか学ラン姿だ。
中性的な美少年だけに、嘲るような表情をしても十分さまになっている。
近くを通り過ぎた若い女性が、「わっ、あの子かっこいい」と連れの女性とはしゃいでるな。
「大和君か」
「……気持ち悪い。君付けなんかしないでくれ」
「桜井君じゃまぎらわしいだろ」
「大和でいいさ。ろくでもない親父だったが、この名前だけは役に立ってるからな」
まあ、高校生保守系言論マイチューバーとしてはぴったりの名前だよな。
「蔵式さん……。あんたもう少しニュースを見たほうがいい。高校生の僕とは違って、あんたは選挙権を持った成人なんだ」
「お、おう。悪いな」
未成年から正論をぶつけられ、思わず謝ってしまう俺。
実際、ひきこもってるあいだは選挙なんか当然行かなかったからな。
さっき、どうしてこいつが国会議員に……なんて他人事のような感想を抱いたが、俺の無投票だって一因だ。
俺が投票してたところで当選を食い止められたわけじゃないが、有権者全体が担う責任の一端が俺にあることも間違いない。
「今度の選挙は、衆参同日選挙なんだ。選挙自体は自政党が勝つだろうが、一部で注目を集めてる候補が……あいつだ」
顎をしゃくって、大和が街宣を始めた凍崎誠二を示した。
「凍崎誠二は参議院議員だよな」
「ああ。今期までは、な」
「今期まで? ってことは……」
「そう。悪名高い羅漢グループの会長は、参議院から衆議院に鞍替えしようとしてるんだ」
と、頼んでもないのに解説してくれる。
「どうして衆議院に?」
「さあ……企業経営に行き詰まりを感じて政治に本腰を入れようとしてるとか? ゆくゆくは総理大臣に……なんて思ってるのかもしれないな」
「冗談だろ……」
「総理大臣は基本的に衆議院議員から選ばれることになってる。憲法上は参議院議員からでも選べるが、今のところ参議院議員から総理が選ばれた前例はない。それもまた、今回の選挙の結果次第ではあるけどな」
「……勝てそうなのか?」
新宿のあるこのあたりが東京何区かは知らないが、都心の中の都心だからな。地方の選挙区ほどには自政党の地盤は固くない。
悪名高いブラック企業経営者が出馬するとあっては、むしろこの選挙区は野党候補が棚ぼた的に勝利する可能性までありそうだ。
「小選挙区は厳しいだろうが、小選挙区で落ちても比例区で復活当選することは可能だろう。凍崎誠二は自政党に多額の献金をしてるし、羅漢グループの力を使って党員集めにも貢献してる。比例名簿ではそれなりに上のほうになるはずだ」
「そうなのか」
「ただ、入閣を狙うのであれば、復活当選ではなく、小選挙区で直接国民からの信を得ておくべきだ。ただでさえ、ブラック企業の象徴的存在と見なされて、国民からの評判が悪いんだからな。小選挙区で落選したら、与党内で凍崎の入閣に反対する声が上がるだろう」
「なるほどな」
大和の解説はわかりやすかった。
さすが、腐っても言論系マイチューバーなだけはある。
「男児会はどうなんだ? 凍崎誠二を支持するのか?」
探索者ギルド「羅漢」の元構成員が多く合流してる男児会は、「羅漢」の真の親玉とも言うべき凍崎誠二を担ぐのだろうか?
俺の質問に、大和は顔をしかめた。
「……僕は男児会のメンバーじゃない。彼らの動きまでは知ったことじゃない」
「でも、ゲンロン.netに資金を供給してるのは羅漢の息のかかった企業なんだろ?」
「よく知ってるな。灰谷翡翠にでも知恵をつけられたか?」
「矛盾してると思わないのか? おまえのお姉さんは『羅漢』で酷い目に遭った。表向き『羅漢』は凍崎誠二の手を離れてることになってたが、そんな建前を本気で信じてるやつはいない」
「……目的を達成するのに使えるものはなんでも使うさ」
「目的?」
「ちっ、しゃべりすぎたか」
大和は舌打ちして目を逸し、冷たい視線を選挙カーの上の凍崎に向ける。
凍崎は、「あなたの夢を叶えたい!」「国民全員が夢を持てる国造りを!」「皆さんの夢を私に預けてください!」などと、具体案皆無のポエムみたいな演説を続けてる。
聴衆も完全に白けたムードだ。
これで小選挙区で勝てるとは思えないんだが……。
俺は大和に視線を戻し――驚いた。
凍崎誠二を睨む大和の視線の険しさに。
いつも冷たい目をしてる奴だが、凍崎を睨む目にはもはや冷たさすら感じない。
燃えたぎる怒りの炎もなければ、冷めきった軽蔑の色もない。
今大和の瞳に宿ってるのは、一点の曇りもない憎悪だけだ。
俺が息を呑み、戸惑っていると、
「……僕は帰る」
演説する凍崎に背を向け、大和が人混みの中に消えていく。
「あ、おい……」
と、声をかけるも遅かった。
「ま、あいつのことはいいか……」
歓迎会まで時間があるとはいえ、何が悲しくて凍崎誠二の演説を聞いて時間を潰さなければならないのか。
世の中にはもっとマシな時間の潰し方があるだろう。
だがそこで、俺はとあることを思いつく。
「――鑑定してみるか? 凍崎を……」
次は早めだと思います。





