169 手紙
いいね200件以上ももらえていてびっくりしました。
ありがとうございます!
灰谷さんから送られてきたAランクダンジョンのリストと自分の現在のステータスを突き合わせて、俺は今後の探索計画を練っていた。
ジョブ世界の俺’からアイテムボックス経由で「文藝界」が送られてきたのはその時のことだ。
ジョブ世界の紗雪が知るはずのない、紗雪の遺書。
それが、紗雪の文藝界新人賞受賞作「虫籠」の一節と、ほぼ完全に一致していた。
思えば、当時から違和感がなかったわけじゃない。
字が上手く、筆記用具やノートにこだわりのある紗雪が、遺書をノートの切れ端なんかに書き殴るわけがない。
スキル世界での俺と紗雪は、ジョブ世界の二人ほど親しい関係ではなかった。
それでも、大人しく見えて芯の強い紗雪が自殺を選んだことに、当初は信じられない思いがしたものだ。
だいたい、紗雪の「遺書」がどうしてSNSにバラ撒かれることになったのか?
それも、自殺の原因となった男子として俺のことを名指しにして、だ。
俺の個人情報までもが晒されたわけではなかったが、それでも高校の関係者なら俺のことだとすぐにわかる内容だった。
その結果、俺は高校にいられなくなり、凍崎純恋(当時は氷室純恋)のいじめへの関与も曖昧になって流された。
「……誰が得をしたか、と考えれば……」
もちろん、凍崎純恋だろう。
いじめで女子生徒を自殺に追い込んだ、というスティグマを曖昧にできたわけだからな。
いや、ちがうか。
紗雪は自殺していない。
だとしたら、誰かが紗雪の死を自殺に見せかけたということだ。
じゃあ、紗雪は本当はどのようにして死んだのか?
「いじめの最中に、なんらかの事故で、あるいは故意で、紗雪が死んだ」
凍崎純恋が紗雪を殺した――というのは行き過ぎだろう。
その支配力でいじめを見て見ぬ振りをさせていた凍崎純恋ではあるが、さすがにいじめの対象を殺してしまっては、周りの大人たちも動かざるを得ない。
凍崎純恋は自分の嗜虐心を満たすためにいじめてたわけで、紗雪を殺したいと思ってたわけじゃない。
凍崎誠二が言ってたようにあいつが天性のサディストだったとしても、快楽のためだけに殺人にまで及ぶとは考えにくい。
だが、暴力を伴ういじめをしてたんだ。
何かの拍子に紗雪が死んでしまったということはありえるだろう。
俺はあいつに階段の上から突き落とされたこともあるからな。
紗雪が抵抗して暴力がエスカレートし、何らかの事故が起きてしまった……という可能性はあると思う。
紗雪が死んで、さしもの凍崎純恋も慌てただろう。
だが、紗雪が所持していた創作ノートを発見すると、凍崎純恋はその一節に着目した。
遺書のように見えるそれをSNSにバラ撒いて、紗雪の死を自殺に見せかけた。
……あくまでも状況からの推理だけどな。
「もしそうだったとして……どうすればいい?」
いじめの首謀者だった凍崎純恋はもう死んだ。
奴隷同然に扱ってた「羅漢」の探索者たちに背かれて、な。
送られてきた「文藝界」には、女子向けのマスキングテープで封筒が止められていた。
さっきは気づかなかったが、封筒には「先にこっちを読んでください」とメッセージカードがついている。
中身は、いつも通りの俺’からの連絡事項――ではなかった。
「ほのかちゃんから……?」
『もう一人の悠人さんへ
紗雪ちゃんの受賞作が掲載された文藝界を送ります。
ですが、作品を読む際には、どうか心を落ち着けて読んでください。
事前に説明しようかとも思ったのですが、うまく言葉がまとまりません。
あなたにとって衝撃的な内容が含まれることをご理解の上で読んでください。
そして、作品をお読みになった上で、次の便箋を読んでください。
ほのか』
複数枚ある便箋の、一枚目の内容がこれだった。
「……忠告してくれてたのか」
俺はこのメッセージを読まずに文藝界に飛びついて、せっかくの気遣いを無駄にしてしまった。
俺は便箋を一枚めくる。
『私にとっても、「虫籠」の内容は衝撃でした。
私は崩壊後奥多摩湖ダンジョンでの戦いの折りに、失礼ながらあなたの心を読んでしまいました。
戦いが大変なものだったせいか、いつも以上に私はあなたの心の奥深くに分け入ってしまったようです。
まず、許可もなくあなたの心に踏み込んだことを謝らせてください。
申し訳ありませんでした。
私は、あなたがどんな人生を歩んでこられたかを、断片的にですが理解してしまいました。
あなたの記憶の中にある、高校時代の出来事は、とくにはっきりと見ることができました。
私にとっては身を裂かれるほどつらい幻視でしたが、あなたはその中を生きてこられたのですね。
その記憶の中に、あなたがSNSで、そちらの世界の紗雪ちゃんの「遺書」を目撃する場面がありました。
その「遺書」の内容も、私は幻視の中で見ています。
そして、それとまったく同じ文面が「虫籠」に登場したことに驚きました。
これは一体何を意味しているのでしょうか?』
ここで二枚目の便箋が尽きている。
『いくつか可能性を考えました。
まず、こちらの世界の紗雪ちゃんと、そちらの世界の紗雪ちゃんが、同じ文章を、片方は作品として、もう片方は遺書として書いたという可能性です。
ですが、この可能性は薄いと思います。
どちらも紗雪ちゃんが書いたものであるとはいえ、目的の異なる二つの文章がそっくりそのまま同じになるとは考えにくいです。
紗雪ちゃんにそれとなく訊いたところでは、この文章は作中人物の言葉として書いたものであって、自分の心境をそのまま代弁したものではない、とのことでした。
フィクションとはいえ、登場人物に自分の心情を重ねて書くことはありうると思いますが、紗雪ちゃんにとってこの暮葉という女の子は「虫籠の中の虫の一匹」なのだそうです。
すべての人物を俯瞰し、虫を描くような目で冷徹に描くことがこの「虫籠」という作品の主眼であると、紗雪ちゃん自身も言っていますし、賞の選考委員の人たちも同じように評価しています。まだ高校生ながら、あるいはまだ高校生だからこそ、人間模様を冷たく突き放して描けるのだ、と。
紗雪ちゃん自身は、女子高生という自分のプロフィールをからめず作品だけを見て選評してほしい、女子高生という「属性」を利用して注目を集めようとするのは歴史ある文学誌のすることではない、と不満を漏らしていたのですが。
逆に言えば、そんな不満を漏らすほどには、紗雪ちゃんは「虫籠」という作品を純粋に文学として本気で書いたのだと思うのです。
もうひとつの可能性は、あなたにとってつらいかもしれないものです。
そちらの世界の紗雪ちゃんの「遺書」は、遺書ではなかった。
そちらの世界の紗雪ちゃんが創作のために書きつけたノートの1ページを、誰かが破り取って遺書に見せかけたのではないか。
あのあと、紗雪ちゃんに創作ノートを見せてもらう機会がありました。
ずっと恥ずかしがって隠してたみたいですが、賞を取ったことでその必要がなくなり、最近は私たちの前でも小説を書いていることがあります。
ノートに書きつけた断片をノートパソコンで清書するのが、紗雪ちゃんの執筆手順です。
普段は達筆の紗雪ちゃんですが、創作ノートのほうは字が乱れてるページも多かったです。
最初からノートパソコンで書かないのは、手書きが好きだからという表の理由と、授業中に小説を書いていてもバレないからという裏の理由があるみたいです。
紗雪ちゃんが席を離れた隙に、紗雪ちゃんのノートをスマホで撮りました(ごめんなさい、紗雪ちゃん)。
紗雪ちゃんは今は別の作品に取り掛かっているので、問題の箇所ではありませんが、ノートの雰囲気がわかるかと思い、この封筒に同封しています。』
「これか」
俺は数枚の便箋の下に、プリントアウトらしき紙を発見した。
たしかに、内容こそ違うが、ノートの使い方や字の乱れ方がよく似てる。
『紗雪ちゃんには、このことは話していません。
さすがに、そちらの世界で紗雪ちゃんは自殺したことになっている……と話すのはためらわれます。
こちらの世界の紗雪ちゃんが知ったところでどうすることもできませんし……。
あなたの記憶を共有している悠人さんには話しましたが、春原さんには話していません。
私と悠人さんで話し合って、あなたにこのことを伝えることにしました。
最初、あなたを混乱させ、過去の傷をえぐるだけの結果になるのではないかと、私は怖れました。
しかし、あなたと過ごした四ヶ月ほどのあいだの交流や、あなたがそのあいだに成し遂げたことを思えば、あなたはきっとこの事実を知りたがるだろうし、乗り越えることもできるだろう、と思い直しました。
なにせ、私の大好きな悠人さんの「もうひとり」なんですから。
末筆ではありますが、もう一人の悠人さんのご活躍とご多幸をお祈りしています。
私をふって他の女性を選んだんですから、絶対幸せになってくださいね。
そちらの世界にいる私にも、たまには優しくしてあげてほしいです。
篠崎ほのか』





