132 外堀’
六月からは、父親が海外転勤になっている。
それも、アメリカ支社への重役としての出向という栄転だ。
スキル世界の時間線では、俺の父親が海外に転勤するなんてイベントはなかった。
父親の会社は構造不況の中で喘いでいる状況で、とてもじゃないが北米に事業を拡げる余裕なんてなかったはずだ。
そもそも俺の父親自体、とくに英語ができるわけでもなければ、国際的な業務の経験があるわけでもない、ごく一般的な会社員だった。
言ってしまえばマルドメ(まるで国内)の典型みたいな人だったのだ。
じゃあ、いったい何がスキル世界とジョブ世界における俺の父親の出世を分けたのか?
それはもちろん、ダンジョンだろう。
ジョブ世界ではスキル世界よりも数年以上早くダンジョンが出現してる。
探索者がダンジョンから持ち出すマナコインは円へと換えられ、日本ではマイルドなインフレが起きていた。
スキル世界では日銀がインフレ目標を出しては達成できずに信用を失うということを繰り返してた。
中央銀行はデフレと賃金の伸び悩みに長年無力だったわけだが、その役割をジョブ世界ではダンジョンが果たしたというわけだ。
その余沢を受ける形で、俺の父親の勤める会社も空前の利益を上げている。
国内市場で十分な資金を得た会社は北米市場を伺うまでになった。
昭和的な年功序列人事の中で上の椅子が全然空かないと長年ぼやいてた親父にも、晴れて栄転の機会が巡ってきたというわけだ。
父親の昇進と給料のアップ(具体的にどのくらいかは知らないが)に俺の母親もニッコニコ。
母親も父親とともに海外に渡り、俺は実家で一人暮らしすることになった。
俺を連れて行くという選択もありえたんだが、三つの理由があって俺は実家に残ってる。
理由の一つは、もちろん、高校に通ってるからだ。
高二の夏前に海外に渡ったばあい、高校卒業後の進学や就職はどうするのかって問題がある。
小さい頃から海外で暮らしてたならともかく、ずっと日本で生まれ育った俺に英語が話せるわけもない。
これまで高校で築いてきた交友関係だってあるわけだしな。
二点目は、「セイバー・セイバー」のリーダーとしての責任だ。
現在「セイバー・セイバー」は俺、春原、ほのかちゃん、紗雪の四人構成だ。
気心の知れた仲間ばかりの、居心地のいいパーティである。
探索者パーティとしては最小限の人数ではあるが、ここに誰かを加えたり、逆に誰かが欠けたりすることを、誰一人として望んでない。
それに……親父殿の昇進に水を差すようで悪いが、俺のほうが圧倒的に稼ぎがいいんだよな。
今の最高のパーティを解散してまで両親についていくだけの理由が、心理的にも経済的にもないってわけだ。
最後に三つ目の理由だが、これは俺個人の問題じゃない。
今世界では高レベル探索者の囲い込みの動きが活発化してる。
経済の面でも、安全保障の面でも、有能な探索者の国外流出は由々しき問題だ。
この世界の蔵式悠人は、日本の国内レベルランキング4位、レベル9999の超高レベル探索者。
自分で言うのもなんだが、国からすれば万一にも手放してはならない人材だろう。
もちろん、人権との兼ね合いから、表立って「出国するな」とは言われない。
だが、高レベル探索者の出国には、うんざりするほどの手続きが必要だ。
なによりうんざりさせられるのは、その手続きが申請者を諦めさせるために設計されてるってことだ。
なんとか難癖をつけて探索者の出国を阻止したい――そんな政府の意向が透けて見える手続きなんだよな。
そのやり口に不満を漏らしても無駄である。
大半の国民にとって、超高所得者である高レベル探索者がいくら困ろうと他人事だ。
税金を可能な限り搾り取って、国外には極力出さないようにする。
これは、政府のみならず国民全体の意向でもあるんだろう。
ともあれまあ、そんな複合的なあれこれの事情で、俺は六月から一人暮らしになっている。
経済的な問題はともかく、高校生の息子を一人残していくのはどうなのか? という話については、
「はるかさんも見てくれるっていうから問題ないでしょ」
というのが我が母の答えである。
ちなみに、ほのかちゃんと付き合うことになったときに、双方の両親への挨拶は済ませてある。
ほのかちゃんのあまりのかわいさに俺の両親は度肝を抜かれ、はるかさんの美貌とエルフ離れしたスタイルに親父殿の目が泳いでいたな。
もちろん、はるかさんが「おまえに娘はやらん!」などと言うはずもなく、俺とほのかちゃんの交際は双方の両親から円満極まる形で了承が出た。
まあ、うちの両親は「ほ、ほんとにうちの息子なんかでいいんですか?」としきりに恐縮してたけどな。
……自分たちの息子をなんだと思ってるのか。
いや、それはともかくとして。
うちの両親の海外転勤の話を聞いて、はるかさんは「それなら私がときどき悠人さんの様子を見るようにします」と言い出した。
先ほどの母の発言はそれを受けてのことである。
さらには、
「あんなかわいい子があんたに惚れるなんてこの先一生ないわよ。さっさと既成事実を作っちゃいなさい」
などと言い出す始末。
「それが母親の言うことかよ!?」
と夕食の席で抗議した俺に、
「そうだな。悠人はもう経済的な不安はないし、子どもができても問題ないじゃないか。あんないい子を離すんじゃないぞ」
父親までもがそんなことを言い出した。
とまあ、そんなわけで、なし崩し的に「両親の監視もなく実家で一人暮らしする男子高校生の図」という、エロゲも真っ青のご都合主義な盤面が出来上がってしまった。
スキル世界の俺が内心でお決まりのツッコミを入れたのは言うまでもないが、ジョブ世界の俺の感覚でもちょっと都合の良すぎる展開だ。
これから夏休みが来るというのに、両親のいない家に彼女を連れ込み放題になるんだからな。
うちの両親は冗談半分で言ってるとしても、はるかさんはわりと本気で俺とほのかちゃんを早く結婚させようと思ってるフシがあるからな。
結婚が人生の墓場かどうかは、ジョブ世界の高校生魔剣士はもちろん、スキル世界の元ひきこもりにもわからないことではあるのだが。
さて、実家の話が長くなったが、今俺たちがいるのは地元駅からほど近い馴染みの喫茶店のボックス席だ。
探索者協会からの緊急依頼で、岩城ヶ原古戦場ダンジョンという比較的近くにあるAランクダンジョンのフラッドを収めた帰りである。
「そろそろ夏の予定を決めようぜ!」
と言い出したのは、例によって春原だ。





