幕間 メルジーネ
なんということだ。
どうして僕がこんな目に遭っているんだ。
ふざけている。許せない。
もう何度目になるかわからない呪詛の言葉を、男は胸中で吐いた。
すっかり疲弊しきった身体に鞭打つように、ひたすら夜の街道を歩き続ける。
ここはどこだ?
自分はいったい、どれぐらいこうして彷徨っている?
ギリ、と男は歯噛みした。
すべてはあの忌々しい転生者のせいだ。
たしか――シロウと呼ばれていたか。
やつが現れたせいで、僕は今こんな目に遭っている――
男は、自分を遥か遠くに殴り飛ばした人間の顔を思い出し、怒りをたぎらせる。
――まあいい。必ず復讐してやる。
手始めに支配していた港街へもどり、今度は問答無用で壊滅させてくれる。
そう誓う男の名はヴィント。
セクンドゥムの街を支配していた魔王軍第四師団・副師団長のヴィントだ。
木の棒を杖代わりに、ヴィントはヨロヨロと歩き続ける。
そんなヴィントの前方に、小さな村が見えてきた。
「ふ、ふふ……これは好都合だ」
今はなによりまず、身体を癒すのが先決。あの村で回復を図るのだ。
ヴィントは簡単なことだとほくそ笑む。
魅了の力をもってすれば、村人を意のままに操れるも同然だ。
食べるものに手厚い看護、寝床、若い女――欲しいものなど、すぐ手に入る。
ヴィントはふらふらと村の中に立ち入り、手近にいた若い村娘に、さっそく声をかけた。
「やぁ、お嬢さん」
「え?」
ヴィントの声に反応し、振り向いた村娘が不審そうに顔をしかめる。
警戒しているのだろう。無理もない。だがそれも最初のうちだけだ。
ヴィントは笑みを浮かべながら、村娘の肢体に視線を這わせる。
痩せていて、顔も少し野暮ったいが、まぁ不細工ではない。
最初の獲物は、この村娘に決まりだ。
今すぐに魅了を施し、身も心も我がものにしてやる――
ヴィントは双眸から、妖光を放った。
これで村娘はもう、自分の虜だ。
いつものように優雅なポーズを決めながら、ヴィントは村娘の手をそっと取る。
その瞬間、ヴィントは村娘に思いきり頬を引っぱたかれた。
弱りきっていたヴィントはそれだけでよろめき、地面に強かに尻をぶつける。
「な、なん……え?」
戸惑うヴィントを、村娘はまるでゴミでも目にするように見下ろしていた。
「いきなり、なんなんですか?」
冷たい声音が降ってくる。
「ば、馬鹿な……僕にすっかりメロメロのはずなのに……!」
「は? 冗談はその不細工な顔だけにしてください」
ヴィントから視線を切り、村娘はスタスタと去っていった。
「ど、どうなってるんだ……いや、それより僕が不細工だって? そんなわけあるか。この美顔のどこが……」
立ち上がり、ヴィントは近くにあった水の張ってある桶を覗き込んだ。
「な、なんだこれは!」
水面に映る自分の顔は腫れ上がり、デコボコだ。
「く、くそ……あの転生者に顔面を幾度も殴打されたせいか……許せん!」
たしかに今のヴィントは、かなりの不細工だ。
しかし、それは村娘に魅了が効かなかった理由ではない。
たとえ術者がどんなに醜い容貌だろうが魅了する――それが魔法というものなのだから。
「どうなっているんだ……?」
「ヴィントちゃん、みーつけた」
不意に背後から、女の声がした。
振り返り、ヴィントは瞠目する。
そこには妖艶な女が立っていた。
地面にまでつきそうなぐらい長く、透き通るような水色をした髪。
自らの豊満な肉体を見せつけるかのような、妙に布面積が小さな衣服を着ている。
隠れているのは胸の先と、大事な部分ぐらいだ。もはや衣服とは呼べない。
女が放つ甘ったるい香りが、ヴィントの鼻腔をくすぐる。
「あはははは! なぁに、その変な顔~」
愉快そうに笑いながら、女はヴィントのすぐそばまで歩み寄ってきた。
「メルジーネ……様」
震える唇で、ヴィントはそう紡いだ。
メルジーネ。
それがこの妖艶な女の名だった。
ヴィントは得心する。魅了が効かなかったのは、この女のせいだと。
おそらくさっきの村娘は――否、きっとこの村に住む者すべてが、すでにメルジーネの魔法によって精神を操作されているに違いない。
いったいなんの目的でそんなことを――自分をからかうためか?
あり得る話だ。ヴィントの知る限り、メルジーネとはそういう女である。
心底、忌々しい――
「心配したわよ~、騎士団にやられちゃったんだって~?」
ヴィントの耳元で、メルジーネが囁く。
底冷えするほど、甘い声音だった。
「は、はい……敵に、転生者がいまして……」
「ふぅん、転生者……かぁ。どんなやつなの?」
ヴィントはメルジーネに、シロウと呼ばれていた転生者のことをわかる限り説明した。
「へぇ、なんだかおもしろそうな子じゃない」
「メルジーネ様、早急にやつを始末しなければ……」
「そうねぇ、魔王様の邪魔になるでしょうねぇ。まぁ、ヴィントちゃんはもう気にしなくてもいいわよ?」
「は? それはどういう――」
言い終わる前に、ヴィントの首が宙を舞った。
◆
メルジーネは部下の――いや、元部下であるヴィントの亡骸を見下ろしながら、艶然と微笑んだ。
「よわ~い副官なんて、第四師団には必要ないのよねぇ」
もはや興味など失い、メルジーネはヴィントの亡骸から視線を外す。
現在、メルジーネがもっとも興味のある事柄は次なる獲物だ――
「シロウちゃん……か。うふふ、会うのが楽しみねぇ」
そうひとりごち、メルジーネは艶やかに唇を舐めた。
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