第十四話 幻惑の迷宮
なんだか辺りが騒がしくて、俺は微睡みから覚めた。
「でさー」
「きゃはははは! それな!」
ガヤガヤとやかましい教室……
は!? 教室!?
突っ伏していた机から上体を起こし、俺は室内に視線を走らせる。
見なれた教室、だった。
俺が通っていた高校の……二年D組の教室だ。
え。なんだこれ、まさかの夢オチ?
女神とか異世界とか、魔物とか……
リーゼさん、レオナ、イングさん……
なにもかもが夢だったっていうのか?
嘘だろ?
呆然としていると、予鈴が鳴った。
ワイワイ騒いでいた生徒たちが、自分の席に戻って授業の準備を始める。
やがて本鈴が鳴って、教師らしき人物が姿を現した。
「……?」
見たことのない教師だった。
いや、そもそも本当に教師か?
そいつは、六十代ぐらいの男だった。
豊かな白髪と立派な髭は、どちらも腰下まで届きそうなほど長い。
なんか教師というよりも、仙人とか魔法使いって雰囲気だ。
着ている服も、なんかローブみたいな感じだし。
教壇に立ったその老人が、鋭い眼光で俺を見る。
な、なんだ?
「ふむ、これは面白いもんがかかりよったわ」
老人が、しわがれた声でそう紡ぐ。
「シラヒナ・シロウ……か。ヒッヒッヒッヒッ、あのお方に報告せんとなぁ」
いきなり名前を口にされ、俺はガタッと椅子から立ち上がる。
なんでこいつ、俺のフルネームを知っているんだ?
いや、教師だから知っていても不思議はない……のか?
それより、あのお方に報告ってなんだ?
……駄目だ。状況がよくわからん。
ただ、どうやらここは俺の知っている教室じゃなかったようだ。
いつの間にか、教室内から生徒たちの姿が消えている。
老人と俺しかいない。
「さて、知りたいことは知った。小僧、そろそろ起きるがいい」
「俺、寝てるの? つーことは、これって夢?」
おかしい……。
転生してからは眠ったら必ずスキルが発動し、夢を見ることなんてなかったのに。
「眠っとるというより、気絶じゃな」
……気絶か。
たしかに睡眠と気絶は別物だよな。
睡眠は生理現象だけど、気絶は意識障害だ。
もしかしたら、気絶状態だとスキルは発動しないのかも。
「ついでにこれは夢ではないぞ。ワシがおぬしの心を覗くために、おぬしの心の中に作った特殊な場じゃ」
「なるほど、まったくわからん」
「ヒヒッ、理解せんでもええ。どうせおぬしは、じきに死ぬかもしれんのじゃ。ワシが作り出した幻惑の迷宮でな……」
よし、このじいさんが敵だってことだけはわかったぞ。
「せいぜいあがいてワシを楽しませてくれ。ではな小僧、目覚めの時間じゃて——」
言うだけ言って、じいさんの姿は搔き消えた。
次いで、周囲の景色も消失していって——
今度こそ俺は意識を取り戻したらしい。
まず目に入ったのは、不気味に蠢く肉の塊みたいなものだった。
「……なんだありゃ」
遅れて、どうやら自分が仰向けに倒れているということを知る。
てことは、あれは天井……なのか?
「……よっと」
立ち上がり、辺りを見回す。
一面、なにかの肉みたいものが脈打っている気味の悪い場所だった。
天井、壁、床……すべてが、ぶよぶよした赤黒い肉である。
「気持ち悪いな……」
まるで、なにかの体内に飲み込まれてしまったかのような感じだ。
巨大な魔物に飲まれてしまうってのは、RPGでありそうなシチュエーションだけど。
さっきのじいさん、『ワシが作り出した迷宮』とか言ってたよな。
この不気味な場所が、そうなんだろうか。
俺がいるのは、小部屋みたいな空間だった。
部屋の隅に、一本通路が伸びているのを見つける。
「とりあえず、進んでみるか」
独りごちて、俺は通路を歩き出した。
どこへ続いているかもわからない道を進む。
目を覚ました小部屋と同じく、肉壁に囲まれた通路だった。
なんというかもう、気が滅入ってくる。
床には赤い血溜まりみたいな液体がそこかしこにあるし、めちゃくちゃ不快だ。
今のところ、分岐はなく通路は一本道。どこか入れるような場所も見当たらない。
リーゼさんにレオナ、イングさんも、ここにいるんだろうか?
三人とも、無事だといいけど。
「……ん?」
通路の向こうから、微かになんらかの音が聞こえてきた。
俺は駆け足になって、奥へと急ぐ。
だんだん、音が近くはっきりとなってきた。
——ザシュッ!
なにかを切り裂くような音や、打撃音、空気が爆ぜるような音が響いてくる。
「ああもうっ、しつこいっ! どんだけ沸いてくんのよっ! って、しまっ……きゃああああああっ!」
音に混じって、悲鳴が聞こえてくる。
この声は……レオナだ!
俺は全力で通路を駆け抜けた。
やがて狭い道から、開けた場所に出る。
そこには——
「いやああああっ!」
粘菌のような姿をした魔物たち——スライムっぽい——に群がられ、床に組み敷かれているレオナの姿があった。
ぬらぬらと怪しく光る粘菌が、レオナの肢体をまさぐるように蠢く。
「ありがとうございます!」
「なにが!?」
しまった。つい叫んでしまった。
俺に気づいたレオナが、声を荒げる。
「ていうか、あんた無事だったの!?」
「ああ。そっちもな」
「これが無事に見える!?」
そうだった。早く助けないと。
俺はスキルを発動させ、レオナの身体からスライムを引っぺがそうとする。
ドジュウウウウ……
俺が放つオーラのせいなのか、触れたそばからスライムが蒸発するように消滅していく。
数分と経たないうちに、すべてのスライムが消えてなくなった。
「ほら」
レオナに手を差し出す。
「……あ、ありがと」
どこかバツが悪そうに、レオナはおずおずと俺の手を取った。
そのまま引っ張り起こしてやる。
手を離すと、レオナは自分の身体や装備をあちこち点検してから「ふぅ……」と息を吐いた。
「大丈夫か?」
「う、うん……平気」
あれ、そういや槍を持ってないな。
「なあ、槍はどうした?」
「わからない。あたしが気づいたときには、もうなかったわ。だから剣で戦うしかなかったのよね……」
ぼやくように言いながら、レオナは足元に落ちていた剣を広い上げ、腰の鞘に納める。
「リーゼさんと、イングさんは?」
「残念だけど一緒じゃないわ。その様子じゃあ、あんたもひとりみたいね」
「ああ、それにしても……なんなんだ、ここは?」
「……たぶん、魔族が禁忌の魔法で作った異空間だと思うけど……」
自信なさげに、レオナが答える。
「異空間……そういや変なじいさんが、わしの作った迷宮がどうのとか言ってたけど……」
「えっ、変なじいさんって……髪と髭の長いローブを着たやつ?」
「そうだけど……って、お前も会ったの?」
思わず顔を見合わせる。
が、レオナはすぐさまパッと顔を逸らした。
「……目が覚める前に、なんか出てきたわ。おぬしの心を覗いている〜とかなんとか、変態っぽいこと宣ってたけど」
変態って……まあ、そうかもしれないけど。
人の心を覗くなんて、あまりいい趣味じゃないよな。
「あの変態ジジイ、なんなの?」
「俺にもわからん。ま、敵なのは間違いないと思うけどな」
そう——と呟いたきり、レオナはむっつりと押し黙ってしまった。
なんか、沈黙が気まずい。
そう思っていると。
「あ、あのさ……」
不意にレオナが口を開いた。
「うん?」
「そ、その……なんか、ごめん……ね」
顔を赤くしながら伏し目がちに、レオナは消え入りそうな声でそう口にした。
「えーと、なにが?」
「いやほら……なんかあたし、あんたに会ったときから感じ悪かった……でしょ?」
「うん」
「そこはちょっとぐらい否定してくれる!?」
愕然とするレオナ。忙しないやつだ。
「だからその、ごめんなさい。ちょっとの間しか一緒に行動してないけど、あんたが悪いやつじゃないってことは、わかったからさ……変なやつだけど」
そこで言葉を切り、レオナは大きく深呼吸する。
「もう変に突っかかったりしないわ……だから改めてよろしくね——シロウ」
そう告げて、レオナは笑顔を向ける。
彼女が俺の名前を口にしたのは、これが初めてだよな?
うん、なんか、嬉しいかもしれない。
「こちらこそよろしく、レオナ」
どちらからともなく、俺たちは握手を交わしていた。




