T-05 呪いのせいで「女嫌い」と呼ばれる黒獅子殿下は、呪い集めの令嬢と共に解決方法を探す
ノイマン王国第二王子・フィンの身には、二年前から呪いがかけられている。
内容は『女性に触れない』というもの。
他者に呪いのことを秘密にしていたフィンだが、さすがにいろいろと支障が出てきた。
困ったフィンはひとりの令嬢に相談する。
聖女候補に名を連ねながらも、呪いに傾倒して忌み嫌われるようになった女性、『呪い集めの令嬢』イーリス。
幸いにもイーリスはフィンの呪いを解く手助けをしてくれることになった。
ただし困ったことがひとつ。
呪いを目にしたイーリスは、暴走する傾向があって――
「殿下! この指輪には背が縮む呪いがかけられてるそうですよ! 試してみますね!」
「いや、まずはあの木で効果を確かめてからでも遅くないだろう?」
うまくイーリスを御しながら呪いを解く。
そのことに気を取られてフィンは忘れていた。
『呪いにかかったのは、かけた人物がいたからだ』
角を曲がると、王宮の廊下はまばゆく光っていた。
フィンがそんな気分にかられたのは、長い金髪をなびかせて歩く令嬢がいたからだ。
――人の少ないルートを選んだはずなのに、もう女性に出会うとは。
朝の光の中で重いため息を吐き、フィンは足を踏み出す。気配を感じたのか当の令嬢が立ち止まり、こちらを向いて声を上げた。
「フィン王子殿下!」
「その声……もしかして、リタか?」
「はい!」
小走りに寄ってくるのは辺境伯令嬢のリタ、二年前に『光の聖女』として選ばれた女性だ。辺境伯領に長く滞在していたフィンは彼女のこともよく知っていた。
「二年ぶりですわね! 殿下はいつ王都へお戻りに?」
「六日前だ。しかし見違えたな。今年で十八歳だったか、もう立派な大人だ」
「殿下は相変わらずですのね。私と三歳しか違わないのに、お父様みたいなことばかりおっしゃる。剣術の師弟は言動まで似ますの?」
「手厳しいな。……っと、それ以上は来ないでくれ」
互いの手が絶対に届かない距離で制止すると、リタは小首を傾げる。
「お話するには遠くありません?」
「このくらいがちょうどいいんだ」
「私はもっと近くがいいですわ」
リタが進んでくる。フィンは同じだけ後ずさる。
しばらく妙な追いかけっこが続いたあと、立ち止まったリタがころころと笑った。
「殿下ったら、変な遊びを思いつかれましたのね!」
リタの声が廊下に響く。しかし、向こうを歩いていく召使いたちはこちらを見ない。互いにひそひそと話し合う、その内容にだけ意識が向かっているようだ。ここに来るまで同じような光景を何度か目にしたな、とフィンは思った。
「今日は城の者たちが落ち着かない様子だな。どうしたんだろう」
「ご存知ありませんの? 今宵の舞踏会のせいですわ。バルツァー公爵家のイーリス様がいらっしゃるので、みんな不安なんです」
リタがきゅっと眉を寄せる。
「イーリス様は私と共に聖女候補だったほどの方。なのに私が聖女に決まったあと、呪いの品を集めたり、呪いの研究に打ち込んだりと、奇怪な行動をとるようになられて。……その理由が聖女に選ばれなかったせいだとしたら、きっと私を怨んでの……」
「リタ。憶測でそのような」
「心配してくださるの? お優しい殿下」
空を薄雲が覆ったようだ。辺りがすぅっと陰りを帯びる
「私は呪いなんて平気ですわ。だって『光の聖女』ですもの。今日の舞踏会に欠席なのもイーリス様が怖いからではありませんのよ、信者の方から相談を受けてるためですの。殿下も相談がありましたら、ぜひ、私に」
微笑むリタが一歩近づく。その分だけフィンは後ずさった。リタが小さく吹き出す。
「本当に、変な殿下!」
軽やかな笑い声と甘やかな香りを残し、リタが去っていく。
遠ざかる黄金の髪を見ながら、フィンは再び重いため息を吐いた。
悩みはあるが、リタには切り出そうという気になれない。
ただ、バルツァー公爵家の令嬢、イーリスは。
呪いに傾倒している彼女のことを人々は『呪い集めの令嬢』と呼んで気味悪がっている。しかしフィンはこの二年、彼女と話がしたいと思い続けていた。
彼女が王宮に来るなら願ってもないことだ。
探してみよう。できれば舞踏会の開始前、まだ人が少ないうちに。
◆
そういうときに限って騎士団の訓練が押してしまい、舞踏会まで時間がなくなってしまった。
仕方なくフィンは軍服姿のまま走る。近道のため廊下を外れ、夕日に照らされた木立の横を通っていると、向こう側から男女の声が聞こえた。普段は閑散としているこの場所に珍しく人がいるらしい。
「あなたとの婚約ですが」
しかも取り込み中のようだ。
急いで去ろうとしたフィンだったが、次の言葉で思わず足を止めた。
「無理です。公爵家のあなたと子爵家の僕とでは、家の格が違いすぎるんです」
「そうですか」
「ほかに理由はありません。だ、だから、僕を呪わないでください」
「もちろんです。私は――」
女性は耳馴染みの良い声で、ゆったりと何かを言いかける。しかし男性は聞く気がないようだ。
「呪わないで、くださいね!」
上ずった叫び声のあとにはすぐ、走り去る靴音が続いた。
公爵家。
呪い。
もしやこの木の向こうにいるのは『呪い集めの令嬢』だろうか。
いてもたってもいられずにフィンが回り込むと、そこには奇妙な女性が立っていた。
腰まで伸ばした亜麻色の髪はボサボサで、最後に櫛を通したのがいつなのか見当もつかない。しかし着ている紫のドレスは一目で分かるほど高価だし、立ち姿からも見合った気品を感じる。
ならば貴族だろう。それも上位の。
彼女が顔を上向けた。理知的な水色の瞳がフィンをとらえる。涼しい夕の風に乗って爽やかな香りが届き、フィンはふと、今の自分は汗臭くないだろうかと気になった。
「突然すまない。私はノイマン王国第二王子、フィンだ」
「まあ。勇猛果敢と名高い、『黒獅子殿下』でいらっしゃいましたか」
ゆったりとした調子で言い、彼女は優雅に腰をかがめる。
「お初にお目にかかります。イーリス・バルツァーと申します」
やはり『呪い集めの令嬢』だった。髪は妙でも言動はごく普通のようだ。
「通りすがりに今の話を聞いてしまった非礼を詫びたい。大変申し訳なかった」
「開けた場所ですから、聞こえてしまうのは仕方のないことです。お気になさらず」
「ありがとう。ときに、ひとつ尋ねたいことがある」
「はい、なんでしょうか」
性急なフィンとは対照的に、イーリスは穏やかな態度を崩さない。ただ、
「君は呪いについて詳しいと聞いたが、本当だろうか?」
フィンが尋ねた途端、水色の瞳は輝いた。
「呪いに関して私の右に出る人物はいないと自負しております。呪いの話題を出されたということはもしや殿下は呪い関連でお困りですか。私でよければ話を伺いますよ」
「……他言無用で願えるか」
「もちろんです誰にも言いません、さあ遠慮なく思い切ってどんどん話してください」
やけに早口になったのは気になるが、イーリスの笑みはずっと優しかった。その表情に後押しされ、フィンは初めて秘密を口にする。
「私には『他者と接触できない』という呪いがかかってるらしい」
ただし嘘もついた。
触れないのは女性だけだ。
正直に言わなかったのは「女性に触りたくて必死になってる」と思われたくないせいだった。
「今から五年前の話だ。十六歳の私は辺境へ住むことになった。国内一の武芸者である辺境伯のもとで、剣術の鍛錬に励むことになったんだ」
異変が起きたのは辺境で三年を過ごしたころ、よろめいた侍女に手を貸した際、叩かれたような衝撃が伝わってきたのが最初だった。
しかもこの衝撃は相手にも伝わるらしい。ならば痛い思いをさせないようにと女性を遠ざけるうち、「王子は女嫌い」との噂が辺境で流れるようになってしまった。
これらの“女性”を“他人”に置き換えつつ、フィンは話を終える。
「この不可解な現象を私は呪いだと思ってきたが、君はどう思う?」
「呪いで間違いありません、それもなかなか珍しいタイプですよ! 殿下はこの呪いをどうしたいですか? もっと強くしたいですか? 効果を少し変化させたいですか?」
「いや。解きたいと思っている」
「あらー」
残念そうな声色の理由は聞かなくてもいい気がした。
「呪いの解除法を知っていたら、教えてもらえないか?」
「うーん。……あ!」
小さく唸っていたイーリスが、ひとつ手を打つ。
「私に触ってみてください! どこでもいいので!」
イーリスはニコニコしながら両手を広げた。
突飛な発言の意味は分からないが、もしかすると呪いを解くのに必要なことかもしれない。
フィンは仕方なくイーリスの髪に手を伸ばした。髪なら彼女が痛くないだろうと思ったからだが、当の彼女が笑みをニヤリとしたものに変えたので、思わず動きを止めた。
「殿下? どうしました?」
「違う場所にしようかと」
「一度決めたのですから髪にしましょう。大丈夫です、殿下の選択は間違ってません!」
なんだか怪しい雰囲気だったのでやめたかったが、イーリスが頭を差し出す様子は愛馬の「褒めてくれ」とねだる姿を思い起こさせた。それでつい肩近くの髪に触れると、やはり叩かれたかのような「パン!」という衝撃が手に来る。
問題はそのあとだった。周囲に焦げ臭さが漂って、亜麻色の髪が一房ハラリと落ちる。こんな現象は今まで見たことがない。
「なっ……大丈夫か!」
「すごいです!」
しかしイーリスはフィンの心配なんてどこ吹く風。短くなった髪を手にして喜色満面で叫ぶ。
「見てください殿下! 髪が焦げてます! 実は私の髪にもちょっとした呪いがかかってるんですが、今まで焦げたことはありませんでした! きっと呪い同士が触れたせいで威力が上がったんですよ! これは新しい発見です!」
――今の行動は好奇心によるものか。
未知の現象を目にして『呪い集めの令嬢』はご満悦のようだ。
先ほど普通だと感じたのは間違いだった、と苦笑するフィンの前に、イーリスの手が差しだされる。
「行きましょう殿下、私は面白い場所を知ってるんです! そこに解除の手がかりがあるかもしれません!」
「いや、しかし」
舞踏会が、と言いかけてフィンは口をつぐむ。しばらく考え、くすりと笑い、うなずいた。
「行こう」
そうだ。行先が違う。
女性に触れない王子と婚約を断られた令嬢が向かうのは、舞踏会なんかではない。





