T-02 大逆の勇者よ、我が剣に眠れ
勇者、国王を斬殺す。
国を覆う混乱の中、勇者の師は監視官と共に愛弟子を追う。
追討失敗は、すなわち死。連座での死罪か、あるいは返り討ちか。大逆人の縁者に選択肢はない。
――孵したのは竜の卵だった。はずだ。
――だから望みを託した。強く大きく育てと。俺の代わりに天を翔けろと。
繰り返される勇者の凶行。
師との思い出が残る地で、ひとりまたひとり、剣に斬られて人が死ぬ。
共に在った日々の記憶を頼りに、追跡者は堕ちた勇者の足取りを読む。
魔物を狩る剣を、人へ向けた理由を質すために。
だが。
「ありがとうございました、師匠。あなたが僕に『生きる』意味をくれた」
長い路の果て。
泣きそうな顔で血染めの剣を向けられれば、応える道はただひとつ。
「おまえは『生きる』意味だった。俺にとっても、な」
師は剣を握る。
圧倒的な才覚の差。若さを失い始めた体。それでもなお、己が教えた剣技の隙を探して。
親父をぶちのめした日のことは、よく覚えている。
「トカゲの子は、どうあがいてもトカゲだ」
あいつは酒臭い息で吐き捨てた。俺が冒険者を手伝って稼いだ、なけなしの銀貨を掴みつつ。この金もきっと酒代に消える。そして稼ぎの少なさを罵られる。いつもの、ことだ。
俺は唇を噛んだ。あと二年。十五になれば、大人になれば、大手を振って家を出られる。それまでは我慢だと。
『いつか邪竜をも倒し、勇者として王城へ招かれる』――野放図な夢を語る荒くれたちの横で、俺は荷物を担ぎ、時に見張をし、時には狩の援護をして端金を得ていた。魔物討伐は、平民に許された数少ない立身出世の手段。客は多かった。長続きする奴は少なかったが。
いつかは俺もと耐え続けた。が、あの日あの言葉は止めの一撃だった。
「コンラート。てめえは絶対、竜になれはしねえんだよ」
腹が煮えた。
こいつの子に生まれた俺は、一生地べたを這うトカゲなのか。家を出ようが、鍛練しようが、死ぬまで誰かに踏みつけられ、絞り取られて生きるしかないのか――考えれば何かが切れた。
「やってられるか!」
体が勝手に動いた。
親父の鈍い呻き。拳に残る痛み。何をしたか解った瞬間、大笑いした。もっと早くこうすればよかった。
反撃は簡単に躱せた。酔った拳は小鬼よりも遅く、魔兎の子よりもひ弱だった。
さらに数発叩き込むと、反撃は途絶えた。俺は散らばる銀貨をかき集めた。待つ気はもうなかった。
「俺はならねえ。てめえと同じトカゲにはな!」
叫んで家を飛び出したのは、もう二十何年も前のこと。
考えを今へ引き戻す。目の前の広葉樹林には、一箇所だけぽっかりと空隙が開き、崖に覗く黒い裂け目が禍々しい気配を発散している。獣の気配も鳥の声もない。樹も獣も、洞穴の主――「地竜」を恐れているようだ。
本物の竜を前に、思う。俺は結局何者になった。
才ある「竜」でないのは確かだ。十五で晴れて冒険者となり、無数の小鬼や魔獣を斬ってはきた。二十数年生き延びた以上、実力はそれなりだ。とはいえ経験から判りもする、俺に大物は倒せない。竜も巨鳥も狩れない冒険者など、堅気の連中にとっては流れの用心棒でしかない。
だが、俺は無力なトカゲでもない。惨めに地を這う何かでは、決してない。
「準備できました、コンラート師匠」
目の前で、童顔の青年が子犬のように笑む。一本にまとめた黒髪を揺らし、腰に携えた剣の具合を確かめつつ。
「おう、俺の方も問題ねえ」
己の背負い袋を開け、魔物が嫌う香草の束と、その粉を詰めた匂い玉を出す。今回は腰の長剣より、こちらが俺の主な武器だ。
「ようやく『竜殺しの勇者』アルブレヒト様の誕生を見届けられる」
「まだ早いです師匠。討伐成功するかどうかは分かりません」
「大丈夫だアル。いつも通りやれ」
アルの肩を叩きつつ、心中ひとりごちる。
俺はトカゲだ。だがトカゲも竜の卵を孵せる。共に飛べずとも、爪と牙の振るい方は教えられる。
『てめえは絶対、竜になれはしねえんだよ』
耳に蘇る声。あえて振り払わない。
見てやがれ。俺が育てた「竜」の咆哮が、国中に響き渡るところをな!
裂け目の傍らにある大岩を、アルは軽々と登る。俺が地竜を燻り出し、アルが上から背に飛び移る算段だ。首周りに「竜砕剣」を叩き込めれば、討伐は成る。
「いくぜアル!」
声をかけ、積んだ香草に火を点ける。
芳しい煙が洞穴に流れ、地を揺らす唸り声が響き始めた。大人五人ほどの体長がある蜥蜴状の地竜が、顔を出す。
鼻先へ匂い玉を投擲。狙い過たず玉は割れ、香草の粉が竜の顔に散る。
苛立ちの唸り。黒い裂け目から巨体が這い出る。
大岩から、革鎧の長身がひらりと身を踊らせた。吸い付くように背へ降り立ち、頭の大角を掴む。流麗な動きに微塵の危うさもない。相変わらず神がかった身のこなしだ。
なら俺は全力で援護だ。
竜の目へ匂い玉を投げる。眉間で炸裂し香草粉の塵が立つ。
竜が激しく首を振る。常人なら振り落とされる勢いだ。だがアルは、片手で角を掴んだまま、吸い付く蔦のごとく完璧に乗りこなす。
匂い玉を更に目へ、鼻へ。竜の顔が粉に染まり、竜の動きが鈍る。
もう一押し欲しい。俺は腰の長剣を抜き、足先の鱗に狙いを定めた。今なら一撃くらいは竜砕剣が入りそうだ。
竜砕剣――これも往生際が悪いトカゲの悪あがきだ。
水晶質の竜鱗は鉄の武器を弾き返す。人に竜は倒せないと噂される理由だ。ゆえに「竜殺しの勇者」は伝説的存在と尊ばれる。
だが実は、竜鱗には特定の破砕点がある。精確に見抜いて狙い打てば、鉄剣の一撃で破壊もできる。それを知った昔の俺は、丸一年かけ竜鱗を割る技を編み出した。
破砕点を一息に貫く。陶器が割れるような音。前肢が引っ込み、竜が吼える。
同時に強烈な衝撃が来た。腕が痺れる。俺では認識できないわずかなズレが、強い反動を生んでいた。
二撃目は打てない。だが注意は惹けた。あとはアルさえ――
思考を、高く鋭い音が断つ。
舞う光の破片。竜の首で鱗が砕かれていた。
二撃、三撃。アルの剣が輝く雨を散らす。暴れる竜の上、一撃も外すことなく。不確かな足場で、俺ならば狙いを定めることも困難だ。俺の技が、俺を遥かに超える技量で振るわれていた。
砕ける鱗。きらめく陽光の下、降り注ぐ水晶の雨。
光を浴び、青年剣士の輪郭が眩しく輝く。天の祝福に包まれるかのようだ。
見ろ、親父。いや、国のすべての人間たち。
これこそが、伝説にも比すべき「竜殺しの勇者」。
俺がすべてを懸けて育てた、生ける至宝。
竜が苦悶の声を上げる。竜爪が宙をさまよう。
注意をアルから逸らさねば。
匂い玉は既に尽きた。長剣で前肢に斬りかかる。
破砕点を逸れた一撃は、たやすく鱗に弾かれた。無秩序に暴れる爪が、小煩い羽虫たる俺へ襲い来る。ぎりぎりで躱す。
次の瞬間、内臓が出そうな衝撃。前肢で薙がれたか。倒れた俺へ、竜の爪が振り上げられる。
終わりか――
見上げる俺の顔へ、生温い飛沫が飛ぶ。黒く鉄臭い雫だ。竜の首から、黒い液体が激しく吹き上がっていた。アルの身が、鴉の羽のように濡れている。
地竜の巨体が傾いだ。灌木をなぎ倒しつつ、首と四肢が地面に投げ出された。動きが止まる。
竜討伐が成った、瞬間だった。
「大丈夫ですか師匠!」
真っ黒なアルが駆け寄ってくる。
「この程度、大したこたぁねえぜ……竜殺しの勇者様」
立ち上がろうとした。だが力が入らない。いまここで、弟子を抱き締めてもやれないのか。情けない師匠だ。
まあ俺は、ここで終わっても悔いはない。見出されるべき才は花開き、伝説を創った。
「立派になれよアル。俺の分まで……おまえにはその資格がある」
「何、死にそうなこと言ってるんですか師匠」
「構わねえよ。おまえさえ報われるならな」
辛うじて動く手で、アルの頬を撫でる。
「師匠。僕にだって『何か』ができると……教えてくれたのはあなたです。『何か』を成すための技も、体づくりも、全部、あなたのおかげで」
「それはおまえの力だ。無二の才は、正しく使え」
口角を思いきり引き上げてみせれば、ほどなく、生温い滴が頬を打った。
こいつは本当によく泣く。どれだけ鍛えても音を上げやしないが、俺のこととなると子供みたいに心配をする。気にすんなと何度言っても。
考える間にも、眼前の童顔はぐしゃぐしゃに乱れる。竜血の黒で濡れた頬に、涙の跡が二筋描かれた。
「弟子の名誉は、師匠の名誉……さっさと王都に帰って、花吹雪で迎えてもらえ」
嘘偽りない本音だ。弟子が竜となったなら、師はその育ての親。もはや一介のトカゲではない。
さあ天翔ける竜よ、地上の民へ存分に勇姿を見せつけろ。それこそが、俺が何者かであった証だ。
大通りで観衆へ手を振ってやれ。貴族たちに竜鱗を見せつけろ。王の御前で賜杯を干せ。
そうして、俺は世界に痕を残すのだ。自ら育てた者の爪で。
アルの肩を借りて下山し、馬車で王都へ戻った後、俺は傷病院へ担ぎ込まれた。治癒に要すは十日ほど、後遺症はないだろうとの見立てだった。
アルの名声は傷病院にも届き、治癒師の娘さんが何人も武勇伝を聞きに来た。手当の合間に少し語ってやれば、娘さんたちは目を輝かせ、頬を染めて聞き入る。これまで俺たちに向けられていた、流れの荒くれを見る目とは、明らかに違っていた。
やがてアルの功績を讃え、王家主催の祝宴が催された。病床で俺は安堵した。竜殺しの武勇がお偉方に伝わった今、アルには衛兵や近衛騎士の声もかかるだろう。安定でも自由でも、望む道へ踏み出せる。
「どんな望みでも叶えな、アル……それが、俺の望みでもあるんだからよ」
さあ掴め。騎士でも伝説の冒険者でも、世界が寄越す祝福を――考えるうち、意識はまどろみに落ちていった。
どれくらい眠っていただろう。乱暴な足音で目が覚めた。目をこすりつつ身を起こすと、病室の扉が不意に開かれた。
兵がふたり踏み込んでくる。背後で王都警備隊の隊長殿が、蒼白な顔で俺を睨む。
冒険者の勘が、ただならぬ空気を読み取る。背を強張らせる俺へ、隊長殿が震え声で告げた。
「コンラート、お前を逮捕する……大逆人アルブレヒトの関係者として」
「何?」
訳が分からない。言葉の意味はわかる。だが大逆人とは――
「アルブレヒトが、国王陛下を殺害し逃亡した。祝宴の席で……近衛兵の剣を奪い、一刀の下に」
「……なんだって!?」
呆然とする俺へ、兵士が枷をかけた。冷たい鉄の重みが、手首に、乗った。





