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T-25 私の名はライラ

 帝都の裏社会で暗殺者として生きるライラは、弟の薬代を稼ぐため、仕事を請け負っていた。ある日、彼女はギルド長から「厄災討伐」の英雄として知られるヘールストレーム伯爵家への潜入調査を命じられる。任務は伯爵の生活ぶりを監視するだけの簡単なものに思えたが、莫大な報酬が約束された。

 伯爵邸は外界から隔絶(かくぜつ)された、息をのむほどに白い世界。敷地内に入れる女性は、ライラという名の者に限られる。

 しばらくして、一人のメイドが姿を消した。そして、もう一人……。さらにライラは、名前を偽り伯爵邸に入ろうとした女性の悲惨な末路を垣間(かいま)見た。

「一度入ったライラは二度とここからは出られない。抜け出そうとすれば、偽のライラと同じ目に遭う」

 しかし、メイド長だけは自由に外へ出られた。

 ライラは任務の遂行と、弟の元への帰還のための鍵が、メイド長にあると直感し、彼女の周辺を調べはじめた。

 また一人、ライラが消えた。忽然(こつぜん)と、跡形(あとかた)もなく。

 二週間前に消えたのは赤髪のライラ。昨日消えたのは、そばかすのライラ。

 私は、ヘールストレーム伯爵家のメイドを(つと)めるライラの一人だ。執事から、そばかすのライラが使っていた部屋の清掃を命じられた。

 

 伯爵家は異様なまでに白で統一されていた。壁や床、窓枠だけでなく、メイドが身につけるドレスまで真っ白なのだ。

 息が詰まるほど清らかな空間。メイドの部屋も例外ではなく、ベッドのフレームやシーツ類の全てが純白だ。


 私はまず、窓際に立った。侵入者がいたのなら、何かしら痕跡(こんせき)が残っているはずだ。私も暗殺任務の時にはよく、窓から入る。

 窓から外を覗くと、ガラスに、自分の顔が映った。

 伯爵邸には鏡が一切置かれていないため、自分の顔を意識するのはひと月ぶりだ。

『そういえば私は、こんな顔をしていた』と、思った。


 白いキャップから覗く白金の髪と青白い肌、瞳だけが若葉のように光っている。ギルド長からは、「美しすぎて任務の邪魔にしかならない」と言われる顔だ。私の場合、任務の時は変装することが多く、今回のようにありのままの姿で潜入するのは珍しい。偽名も使わなかった。すべて、ギルド長の命令だ。


 メイドの部屋は三階にあり、窓に届く範囲に足場は見当たらない。窓からの侵入はないと判断した。窓辺の確認は、はじめから、可能性を潰す作業でしかなかった。

 私が、そばかすのライラを最後に見たのは夕食時だ。朝には見かけず、そして、執事から掃除を頼まれたことで、何かがおかしいと気づいた。

 

 私が何よりも不審に感じるのは、誰もメイドの失踪を気に留めていないことだ。赤髪のライラの時もそうだった。

 私も、黒髪のライラから忠告を受けていなければ、単に仕事を辞めて故郷に帰ったくらいに思っていたはずだ。

 黒髪のライラは、私の教育係をしている。伯爵邸での決まりや振る舞いについて教えてくれる中で「命が惜しいのならば、絶対に、伯爵邸から出たいと思わないこと」と言われた。私はその場で「承知しました」と返した。しかし、絶対に守れるはずはない。そもそも私は、数ヶ月の間、伯爵邸の様子を探る目的で、入ってきたのだから。


•┈┈┈•✦☪︎✦•┈┈┈•


 あの日私は、帝国アカデミーの教授が書いた論文の草稿(そうこう)を入手するため、学内に潜入していた。


 教授の部屋へ向かう廊下で、アカデミーの生徒から声をかけられ、紙片を渡された。見ると、小さな文字で『中断し帰還せよ』とある。

 少年は本物の生徒ではなく、私にギルド長から命令を伝えにきたギルド員だった。

 咄嗟(とっさ)に、弟に何かあったのではないかと焦ったが、すぐ、ギルド長が弟を理由に帰還を命じるはずがないと気を取り直した。


 どちらにしても、私に任務を中断させるほどの何かが起こったのだ。急いでアカデミーの制服を脱ぎ目立たない服に着替え、ギルドの根城である酒場に戻った。


 酒場は、昼間から酒を飲んで騒ぐ輩で賑わっていて、表まで声が聞こえていた。私は裏口に回り、中に入った。


「突然、悪かったな」


 ギルド長は悪びれもせずに言う。白髪混じりの(ひげ)の間からヤニで黄ばんだ歯が覗いた。ギルド長は若い頃に魔物の討伐で名を上げた元傭兵だ。引退した今でも屈強な体を維持している。部屋には葉巻の匂いが立ちこめていて、私は思わず顔を(しか)めた。


「どうしても、お前にしかできない依頼が入ったんだ。アカデミーの方は、他のに引き継がせた――」

 

 ギルド長からの命令を伝えに来た少年が次の任務遂行者だろう。


「――不服そうだな」


「間もなく、完了できるところでした」


 ギルド長は、何を不満に感じているか察し「アカデミーの報酬も全額支払うから()ねるな」と言った。私は「それなら問題ありません」と、頷いた。


 私が金に細かいのには理由がある。たった一人の肉親である弟クラエスの薬を買うためだ。クラエスは幼い頃から呼吸器の病を(わずら)っていた。ひどい発作が起これば命にも関わるため、薬で症状を抑える必要がある。


 私とクラエスは、スヴァンホルム伯爵家の庶子(しょし)だ。先代伯爵の寵愛(ちょうあい)を受けた母が健在だった頃は、何不自由なく暮らせたが、父母が相次いで亡くなった後、伯爵夫人からは冷遇された。まだ私が10歳、クラエスが6歳だった。

 散々虐待されたあげく、私たちは雪の降る寒い夜に、市中に置き去りにされた。母によく似た顔をした私たちが目障りだったからだ。


 凍える私たちをギルド長が受け入れてくれたおかげで今がある。

 しかし、クラエスの薬代を餌に、私が良いように使われているのも事実だ。

 ただ、私が手を汚すことで、クラエスの命がつながるのであれば、構わなかった。

 

「任務の話の前に確認だ。お前の名はなんだ?」

「私の名はライラです」

 ギルド長は「そうだよな」と頷いた。

「ライラ、お前にはヘールストレーム伯爵家の使用人になってもらう」

「使用人として潜入し、伯爵を殺せば良いのですか?」

 ギルド長が大きな声で笑い出した。


「お前、ヘールストレーム伯爵を知らないんだな。やすやすと殺せるような相手じゃない。『厄災討伐』の英雄の一人だぞ。俺でも無理だ」


 厄災が討伐されたのは、私が生まれるより前だ。皇帝がまだ皇太子だった頃、聖女とともに厄災を滅ぼしたことは知っているが、その他の討伐の英雄までは覚えていない。


「では、何をすれば?」

「だから、使用人だ」

「使用人に扮して何をするのかを訊ねています」

 ギルド長は太い腕を組んで「言葉のままだ。数ヶ月、伯爵家の使用人として働き、屋敷内の様子を報告するだけでいい」と言った。


 任務の内容は簡単だが、提示された報酬を聞いて、私の疑念は深まった。

 ギルド長は「かなりの太客からの依頼なんだ」と、口をひねり上げて笑った。

 報酬は魅力的だった。しかし、私はすぐには引き受ける気になれなかった。まず、期間が長すぎた。ギルド長の説明によると、伯爵邸は結構遠く、行き来が容易ではない。病気の弟と長い期間離れるのは不安だった。

 

 それでも引き受けたのは、報酬に加え、クラエスの病に効く稀少な薬草を手に入れてくれると、ギルド長が約束してくれたからだ。


 私は違和感を覚えながらも、伯爵家の使用人をこなせば良いだけだと、高をくくった。その時の私は、ギルド長が「お前にしかできない依頼」と言った理由を、まだ知らされていなかった。 


•┈┈┈•✦☪︎✦•┈┈┈•


 私は、黒髪のライラとともに、メイド長の部屋に呼ばれた。当然、メイド長の名もライラだ。伯爵家に勤めて、20年近いと聞いている。目元や口元に刻み込まれた深い(しわ)。それは、メイド長がここで過ごした時間を表していた。

 メイド長は真っ白な執務机の前に立ち、無表情なままで「本日午後、新しいライラが来ます」と言った。私と、黒髪のライラで出迎えをするよう命じられた。


 私は初めて伯爵邸に来た日のことを思い出し、背筋が寒くなった。


 伯爵邸は、帝都の外れの大森林の奥にある。帝都の中心部から馬車で一時間以上かかるのだ。鬱蒼(うっそう)とした森の中で伯爵邸の敷地だけが開けている。巨大な鉄の門を通り敷地内に入った瞬間、私はおびただしい数の気配を感じ、濃い血の臭いを嗅ぎ取った。


 異様な気配を感じたのは、門の辺りだけだ。門から屋敷までは馬車で移動するほどの距離があり、途中には、色鮮やかな花で埋め尽くされた庭園と、白い大理石の天使像がいくつも飾られていた。

 屋敷は、私がこれまでに見てきたどんな建物よりも巨大で豪奢だった。染み一つない白亜の壁には、繊細な彫刻が施されている。あまりにも完璧で現実味のない美しさだった。

 

 黒髪のライラに声をかけられ我に返った。

 二人で、伯爵邸の入り口にある広間の掃除をはじめた。広間には、真っ白な大理石が敷き詰められ、天窓から光が降り注いでいる。柱の一本一本に聖人や聖女が彫刻してある。


 私たちは、磨き上げられた床をさらに磨き上げ、埃一つない空間から、見えない汚れを拭い去る。黒髪のライラは、無言で、手際よく作業を進めていた。彼女の表情には、何の感情も読み取れない。あえて、感情を抑えているようにも感じられた。


 新しいライラを迎える時間。

 応接室で出すお茶の準備も整い、黒髪のライラと扉の前に並んで、待っていた。

 扉が開いた。私は、どんなライラが来たのかと、真っ直ぐ入り口を見つめていた。しかし、入ってきたのは執事一人だ。

 黒髪のライラが小さくため息をつく。私は、執事の顔を見て、思わず身構えた。いつもは完璧に整えられたその顔に、微かながらもはっきりと、血の痕がついている。

「せっかく準備してもらったが、無駄になってしまったね。本物であることを願っていたのだが……」

 黒髪のライラは「いえ、良くあることですから」と抑揚のない声で返した。

 執事は「この後はもう休んでもらっていい」と言い残し、屋敷の奥へと入っていった。黒髪のライラから、用意しておいたお茶を飲もうと誘われた。あらかじめ、カップも二人分用意していたらしい。

「お給料が良いから、名を偽ってでも働きたい気持ちはわかるけれど――」

 黒髪のライラが、淡々と話し始めた。

「――伯爵邸に入れる女性はライラだけ……それだけじゃなく、一度入ったライラは二度とここからは出られない。抜け出そうとしたライラは、名を偽って入ろうとした者と同じ運命を辿る」

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