T-24 廻り髪結いは謎をとかない
時は江戸。吉原遊郭に出入りしては遊女の髪を結う、廻り髪結いがいた。若き女髪結いのりんは、吉原一、否、江戸一の人気を誇っている。
その理由はただ髪を結い上げる腕前だけにあらず。
「天晴れ! 太夫がお探しのかんざし、ここにありやした!」
りんは髪を結い上げながら、遊女たちの失せ物や困りごとをするすると解きほぐしてしまうのだ。
岡っ引きや同心からも頼りにされている彼女だが、ある日のこと、馴染みの岡っ引きに捕らえられてしまう。なんと千両もの大金を大見世から盗んだという疑いがかけられたのだ。
なぜか、自ら疑われるような嘘をつくりん。その理由も分からぬまま、りんは連れていかれてしまう。吉原に謎を解く人はもういない。残されたのは廻り髪結い見習いのたきだった。
「わたしなんかが師匠を助けられるの?」
小さな髪結い見習いは、残された師匠の櫛を握りしめ、夜の吉原に立ち向かう。
「そりゃ難儀でありんしたなあ。これからはあちきの名をお出しなんし」
ここは吉原遊郭、扇屋の二階。長い廊下の奥の奥。並の客では通されぬ豪奢な部屋の真ん中で、夕霧太夫は凛と前を向いたまま、背後のりんとたきに声をかけた。
「あたしらの顔を知らねえなんて、新参かって言ってやりやしたよ」
と、りんは胸を張り、
「し、師匠の顔は知れ渡ってますけど、わたしなんて後をついていくだけのただの見習いですから」
たきは下を向いた。
今朝、たきが大門をくぐろうとした際、背負った鬢盥を見張りに掴まれ止められたのだ。先に来ていたりんとは合流できたが、見張りは大門切手を見せろの一点張りで話が全く通じない。馴染みの岡っ引きに助けてもらい吉原には入れたが、あのままなら危なかった。
「お前さんらがおいでなんせなんだら、あちきばかりか、吉原中の姐さん衆が立ち行かんでありんすなあ」
そうでやすか、と笑いながら、りんは太夫の髪に梳き櫛を入れ、流れる水のように手を動かす。よどみなく動く師匠の手先を、たきは一心に見つめる。
予め挿さっていた後挿しのかんざしに、持参したこうがいや飾り櫛など合わせ、太夫の頭に当世風の大きな髷の輪がそびえ立ちあがる。どんな難しい髪型でもこれだけすぐに仕立てられるのは、江戸に数多いる女髪結いのうちでもりんくらいだ。
「そう言えばおりんに一つ、お願いがありんす」
太夫が鏡の中のりんと視線を合わせる。
「間夫から賜りんしたおかんざしが、ぱっと失せんして。どうにかなりんすかえ?」
りんが吉原で一番人気の理由は髪結いの腕前だけにあらず。
話を聞くだけで失せ物や困りごとをするりと解決してしまうのだ。
「伺いましょか」
貝がらで波の音を聞くように、りんは仕上げ櫛を耳に当てた。
「今朝のことでありんす。さるお方が帰り際に銀のかんざしをくれんした。さっそく今宵から使おうと思いんしたけど、いざ支度を致したら、いずこにもありんせん」
なあ? きくの、と太夫は傍に立つ禿に尋ねる。
「部屋中探しんしたが見つからず、引き出しなぞ三度もひっくり返しんした。終いにはきくのを素っ裸に脱がせんしたが見つからんした」
「誰ぞ忍びこんだとか?」
「どなたか入りんしたら、あちきは必ず目が覚めんす。あちきときくの以外、この部屋を出入りした者はおりんせん」
太夫の許しを得て、たきが手当り次第に探すも見つからない。
誰も出入りしていないなら盗っ人はきくのに違いないが、着物の下にもないと言う。もちろん、太夫の着物の下にも。
太夫の言うとおり、消えたとしか思えない。
さすがの師匠もこれは、と横目で見ると、晴ればれとした顔をしている。まさか⋯⋯。
「天晴れ!」
結い上げた太夫の頭からかんざしを一本抜きとり、太夫の目の前に差しだす。
「姐さん、これなんていかがですかい?」
小ぶりだが格別輝くかんざしを見て、「それでありんす!」と太夫は声を張った。
「太夫みてえな賢い人は、探してるかんざしがまさか自分の頭に挿さってるとは思わねえかもな。あたしゃよくやるんでやすよ。使うつもりの櫛がどうにも見つからなくて、たきに尋ねたら、師匠、その手に持ってるのは何ですかってね」
探している当人には見えずとも、傍から見ている者にとっては滑稽なほどすぐそこにある。これぞ傍目八目。
「けんど、あちきはそないなところへ挿した覚えはありんせん」
「太夫が居眠りでもしている間に挿して、一段落したらてめえの懐に、なんて算段だったんだろ。そんなことができるのは、常に太夫に連れ添う者だけ」
「つまり、盗っ人は」
「お許しくだせえ!」
太夫の言葉をさえぎるように、きくのが叫んだ。
「太夫のかんざしを挿したら、わっちも太夫になれるかと。どうかお許しくだせえ!」
きくのは小さな身体を折りたたみ、おでこをべたりと畳につける。
「どうやらおりんの言うとおりのようでありんすなあ」
太夫は徐に立ちあがり、しゃなりときくのに歩みよる。
きくのは土下座のまま動かない。
空気が重く、耳の奥が痛くなる。
太夫が口を開けようとした瞬間、
「姐さん、次の道中はきくのとお揃いでって決めてやしたもんね!」
「突然、何を言いなんす?」
「気に入ったかんざしをきくのにやるって言ってやしたじゃないですか。な、おたき?」
「え、え? あの⋯⋯ええ、そうですとも。そのかんざしでお揃い道中をしたら、皆、お二人ばかり見ちまうに違いありません!」
おたおたと話を合わせるたきを見て、太夫が高らかに笑いだした。
「あっはっ! あちきの負けでありんす。このかんざしは元々きくのにやるものだった。ここには盗っ人なんておりんせん。それでよござんすな?」
「よござんす、よござんす! 今宵の道中が楽しみでやすな!」
土下座したままのきくのの背に太夫が呟く。
「太夫になるには人様の物を盗ってでもいうほどの気合いも必要でありんす。きくのも吉原の女になりんしたなあ」
澄んだ小声は、嬉しそうにも悲しそうにも聞こえた。
「邪魔するぜ」
人心地のついた太夫の部屋に、耳慣れた政次の声が割りこんだ。大門で助けてもらった時より、どこか重苦しい。
「なんやら男前の犬っころが迷って来なんしたなあ。岡っ引きなんてお呼びでありんせん」
「盗っ人だの、物騒な声が聞こえたんでね」
「いませんいません! 政次様の聞き間違いです!」
たきがぶんぶん手をふるも、政次の目には映らない。陰のある視線の先には、しゃくしゃくと佇む、りん。
「何用だい? 政次」
政次は覚悟を決めるように長く息を吐いた。
「お縄を頂戴しろ、おりん」
「天晴れじゃないねえ。どういうこったい」
「昨晩この見世で、さる豪商が身請けに用意した千両が消えた。楼主がうろうろするおめえを見たってな。扇屋で何してたんでい」
「あたしが吉原ですることなんざ、髪結い以外に何があるってんだい」
「そ、そうですよ、政次様。師匠がそんな」
「俺が捕らえなくとも、いずれ誰かがくる。分かってくれ」
政次は苦しそうな表情を隠せていない。
「分かったわかった。そんな泣きだす前のがきみてえな顔すんな。うちの見習いが気に病んで目を回してらあ」
そう言ってりんは、両腕を自ら政次に差しだした。
「え、師匠⋯⋯」
「ちょいと行ってくる。先に飯でも食ってな、すぐ帰る」
「待って、師匠」
括られた両腕を見せびらかすように頭上に掲げながら、りんは政次の後についていく。その背中は普段と変わらず、悠々としていた。
そうして吉原一の髪結いは、見習い一人を残し、捕らえられてしまった。
***
どうやって吉原を出て、どうやって長屋まで帰ってきたか、たきは全く覚えていなかった。薄暮の中、太夫の部屋とは真逆の、狭く質素な部屋の隅で立ち上がれずにいる。
長屋の前に捨てられてからずっと、幼い弟妹たちとなんとか生きてきたが、今日ほど不安な日はなかった。これまでやってこられたのは、隣の部屋にりんがいたからだ。
まぶたに浮かぶりんの姿に、思い出し笑いと涙がこぼれる。
師匠はどうなってしまうのだろう。この長屋には二度と帰ってこられないのだろうか。
月光が差し、目の前に鬢盥があることに気がついた。呆けて持ってきてしまったようだ。
漂うりんの面影に、思わず中をのぞきこむ。並んだ櫛は、たきにはまだ扱えないものばかりだ。黒く艶光りする仕上げ櫛を手に取る。
櫛はりんが使うから、道具として活きる。りんがいなければ、自分には何もできない。
雫がまた一つ、櫛に落ちた。
「やれやれ、次はこんな乳臭い小娘かい。天晴れじゃないねえ」
どこからか気風のいい声が聞こえた。
「誰?」周りを見渡しても、誰もいない。
「べそべそ泣いてねえで、とっととお前の師匠を迎えに行くよ。あれがいないと髪が結えねえ」
「く、櫛がしゃべってる?」
「ふぬけた弟子だねえ。あんな見えすいた嘘も見抜けねえとは」
「う、嘘?」
「お前の師匠が昨夜、本当に髪結いをしてたと思ってるのかい?」
政次とりんの会話を思い出す。昨晩、髪結いをしていたという言葉は嘘?
「お前が今朝、吉原まで背負っていったのは何だい? お前の師匠は道具なしで髪が結えるのかい?」
そうか。髪結いをするには櫛がいる。鬢盥を持たずに扇屋へ行ったなら、いくらりんでも髪は結えない。
「分からねえのはそんなあからさまな嘘をつく理由だ。誰ぞかばってるか、何か企んでるかに違いねえ」
「さすが師匠と同じほど頭が切れるんですね」
ため息をつくような間が空いた。
「それも分かってなかったのかい。あたしを耳に当ててみな」
言われたとおり、仕上げ櫛を耳に添える。
「あのりんに謎ときなんてできると思うかい?」
たきだけに聞こえるよう抑えられた声が届き、たきは理解した。
謎ときをしていたのは、りんではなくこの古櫛だったのだ。
「分かったんなら、出かけるぜ」
「ど、どこにですか?」
「吉原に決まってんだろ。吉原の女は昼と夜じゃ別人だ。夜に起きたことを探りたいなら、夜に行くしかねえ。言っとくが、あたし一人じゃだめだぜ。りんを助けたいなら、お前が行くんだ。あたしを連れてな」
見習いのわたしにできることなんて何もない。
でも。
この櫛と一緒なら。
古櫛を掴んだ手が熱くなる。
「わたし、行きます」
「天晴れ!」
櫛の声がりんと重なり、今夜初めて、たきは笑った。





