T-21 クビナ=シン◼️◼️ー◼
「だから私は逃げなくちゃ。
おそろしいこの組織から!!」
囚われの少女、キリは気づいた。クビナ=シンジゲートでの異常は私だと。
――周りのみんなはクビなしだ。私だけがクビがあり、私だけが違う。そして、違うものは《クビ狩り》によってみんなとおなじクビなしとなる、と。
噂の恐ろしさからキリは組織からの脱走を志すも、なぜだかお付きのニロがそれを阻みつづける。ニロの意図とは。キリは何者なのか?
クビなし。犯罪組織。身分秩序。
逃走少女とクビなし従者の闇社会冒険譚、ここに開幕。
――彼の知と彼女の力が交錯する時、この闇社会がひび割れる。
真ガポール国のヨイヤミ街道を歩くものはみな奇怪。
一様に失った頭部、墨消ししたかのように真っ黒なクビの断面。ひととき足を踏み入れれば、クビなしにされる道との噂すらある。
それもすべて、クビナ=シンジゲートの根城ゆえに他ならない。
「だからきっと、わたし、ここから逃げ出さなきゃ」
クビナ=シンジゲートの拠点の奥地、囚われたキリの翡翠の目は決意に漲っていた。彼女は本気の脱走を試みているところだった。
――ふかふかのベット。おいしいごはん。窓からの絶景。生来の金髪も綺麗に手入れしてくれる。与えられた幸福の部屋を、彼女は作り物めいた恐ろしい場所のように思っていた。
恐ろしさに気づいたのは《クビ狩り》の噂からだった。ひとをクビなしにする怪物の話を聞いて以来、みんなと違うことが恐ろしくなった。それより何より……私がみんなの通常に染まることも。だから。
「今日こそ、逃げ切る」
幾度もの遊びに見せかけた挑戦を経て、クビなし警備隊はゆるんでいた。するりするりと隙をつき、今や3階。
42階の自室が懐かしい程遠く感じられる。
「……よし」
はやる気持ちを抑えつけて、慎重に、完璧に通路へ踏み出す、そのときだった。
「ダメじゃあありませんか、お嬢様」
――声、それも、とびきりいやなもの。
彼は、廊下の先にいた。
ニロ=ベラウド、18歳。ひとまわり年の違う彼のガタイは、キリの倍ちかい。
目の前に与えるプレッシャーのようなものは倍以上違う。彼の黒いスーツは、墨のようなクビの断面とよく馴染み、鮮烈な印象を放っている。
彼こそが、これまで私を連れ戻し続けた恐ろしいクビなしだった。
「ニロ……!! あなた今、ごはんの準備をしてるはずじゃ」
予定上そうなっているはずだった。なのに、ニロは今、階下への階段へ繋がる道を塞いでいる。
「ええ、困ります。お食事の支度をしておりましたが、お遊びが始まってしまいまして。このままお食事がご準備できず、お嬢様が体調を崩してしまいましたらと思いますと……ワタクシ、身も張り裂けてしまう思いです」
ニロは自然に距離を詰めた。
「……口ばっかり!!」
キリはたまらず後退をする。ニロにつかまってはならない。
「いえいえ、お嬢様が脱走ごっこをされている時に、ワタクシが付き添わないなど愚の骨頂。これこそ重大使命でございますれば。
それに、口ばっかりとのご指摘ですが、あいにくワタクシ、口というものがもうございませんので……」
ニコリとした雰囲気はあるが、表情は読めない。シンジゲートは皆、総じてクビなしだ。
クビがないことを自覚しているものから気づいていないものまで――あるいは、五感が欠けていることの不自由をキリに気づかせるものから気づかせないものまで。
ニロを筆頭に、キリと同じようにものを見て、声を発し、ものを食べ、香りをとらえるひともいる。
――できることは変わりないのに、私にはあるクビが、彼らにはない。
そして、私をそっち側に連れて行くという《首狩り》。ここは怖いものだらけだ。
「さあ、戻りましょう。お嬢様に何かあればオヤカタサマにズタズタにされてしまいます」
物理的に、のニュアンスを滲ませて彼はさらに詰め寄る。歩幅というものは残酷で、間合いはどんどん詰まっていく。
「戻りましょう。ご昼食は、お嬢様のお好きな冷やし担々麺になります」
やさしいこえにおいしいはなし。
でも、今日はここで帰らない。今までとは違う。
「……わたし、ここにはいられないわ!!」
見せかけの素敵さはもう、たくさんだ。
キリは真っ向から突撃を始めた。
廊下を塞ぐように立つニロに、それなりの距離から右へ左へフェイントをかける。応じてニロは優しく手と足を広げて道を塞ぐ。
「逃しません」
警戒は右にも左にも広がった。すらりと伸びた長い足を、どっしり広げて構える。だれも通さない姿り右も左も隙はない。
――それこそが狙いとも知らずに。
キリはそれを待っていた。
ニロが広げた、足元の隙間を待っていた。
ニロの少し手前でキリは両手を地につける。
いつだかテレビでみた、体操の人の飛び込みの真似。ちいさく「とう!」と呟いて地面に飛び込んだ。ただでさえ小さな体をさらに小さく小さく折りたたみ、手、頭、肩甲骨、背……と順々に接地する。クビに伝わる確かな地面の感触。
――デングリ返し!!
股抜け版!!
成功!!
「……おや」
狙い通りにことが運んでキリの内心はとても明るいものだった。
――ベッドで練習した甲斐があるってものだ!! すぷりんぐがイカれるからとか言ってたクビなしもいたけど、知ったことか!!
ふふん、と、でんぐり返し終わりの決めポーズ。誇らしい気持ちのまま小さく走り出す。
「だいたい、クビなしだから、こんなのわかんなかったんでしょ!!」
「ふむ。してやられました。ですが……」
やれやれと言わんばかりにニロはスイッチを取り出す。そこにはまだ余裕の影があった。
「そちらは行き止まりです」
彼がそのボタンをポチリと押せば、廊下の先の階段の防火シャッターががしゃんと落ちた。
「下への階段は使えません。窓から飛び降りようなどとしないでくださいね。怪我では済みませんので」
――その警告も知っている。ぜんぶわかってる上で勝機はまだ私にある。
キリの狙いは、曲がり角をはいって見えるそれ。
「みえた!!」
「……どちらへ行かれるのです……?」
ニロの歩みは遅い。
キリの目指すあれは、目の前にあるのに。
白い箱。ここでの私みたいな、通常でない用の、箱。
――非常用救助袋。
ガッコウなるものの動画で見かけたことがある。
その用途は単純。高い場所から、飛び降りれないほどの場所からでも安全に降りるための一式。
予習は完璧。箱を開けて、重りをなげて袋を投下して体を滑り込ませて落ちていけばいい。非常用だ。そんなに時間がかかるはずがない。
意気込んで、箱を開けてみれば――
「……え?」
キリは呆然とした。
「ああ、なるほど。非常用救助袋とはいい着眼点です。ですが」
呆然とするキリに、悠然と語るニロ。
それもそのはず。
「どうして、どうして……何も入っていないの?」
それは、空箱だった。行き止まりの道で唯一の活路であったアイテム箱が空っぽ。どちらが優位にあるかは明らかであった。
「いやはや、先程のお嬢様の指摘はごもっともでした。私はアタマの存在を忘れて久しい。でんぐり返しとは思いもよりませんでした。ただ」
一呼吸おいて、ニロは語った。
「それはお嬢様も同じこと」
「……どういうこと?」
「例えば、救助袋が何のために使われるかわかりますか?」
「火事とか、でしょ」
「そのとおりです。さすがですお嬢様。土地柄によっては地震もございますが、ここではまず起きえません。それも含め、大正解でございます」
キリはむっとした。少しバカにされたみたいだ。
「なら、何でないの。燃えてて逃げられないのは危ないじゃない」
「お嬢様の言葉通りでございます。しかし、案外人間というものは燃えないもので、むしろ危険になるのは煙とご存じでしょうか」
「……だから?」
キリが問えば、少し楽しそうにニロは答えた。
「煙。恐ろしき煙。常人には恐ろしき煙。されど」
溜めた煙を吐き出すように、ニロは告げた。
「呼吸のための口も鼻もないクビなしが。
煙如きで何が困るというのでしょう?」
それから「なんて名目の元、整備不良のままになっていただけですがね」と付け加え、キリの49回目の脱走は脱走ごっこに集約された。
挫けぬ翡翠の目を除いて。
⭐︎
「という顛末で、お嬢様は無事今日もお元気に過ごされております」
「……どうにも最近脱走ごっこが人気らしいな……」
暗がりの部屋。恰幅のよい金髪青年男性が豪奢な椅子に腰掛け、ニロはそばに仕えていた。
「ただの遊びでございます。遊び盛りのお嬢様にはお部屋はやや狭いご様子。改善いたします」
「良きようにせよ……だが、あまりにも目に余るようであれば、お前を【サン覚】に落としてもかまわんのだぞ」
「ご随意に、オヤカタサマ。されど、あまり酷使なさいますとお嬢様にも負荷がかかるかと」
「負荷!! 負荷か!! 【ゴ覚】を統べる支配機構をそんな言葉でまとめよるか」
大声で笑いつつ恰幅の良い男性――オヤカタサマは続ける。
「アレはそんなヤワではない……クビナ=シンジゲートの感覚身分制を自然に司る《クビ狩り》だぞ。それともなにか、次は味覚に別れを告げるのが惜しくなったか? ん?」
「いえ……」
「失いたく無くば、わかっているな? くれぐれも、キリに真実など知らせるなよ、アレがクビナシをつくり歩く首狩りであることもわかるも、その背後の真実も、な?」
脅しのような言葉に、ニロはにこやかに答えた。
「御意に――私のお仕えすべきアタマは、すでにひとつ。お嬢様と病状【クビナ症候群】のことは、この身に代えましても」





