T-20 燃える魔女の肖像〜転生皇女は火刑台を望む〜
共和国最強と名高い魔術師"炎の魔女"ミネルヴァは、敵国である帝国に討ち取られ、火刑台の上で、凄惨な死を迎えることとなる。
──死後の世界があるのなら、永遠に奴らを呪い続けてやる……
魔女の瞳は最後まで、自分から全てを奪い去った帝国に対する憎悪に燃えていた。
だが、次にミネルヴァが目を覚ますと──彼女はなんと、憎き帝国の皇女へと転生をしていたのだった。
黄金の肉体、天与の魔才。大陸最高の血筋に宿った最強の魔女の魂は、幼皇女の儚い顔立ちを壮絶にゆがめ、鏡の前で自らに誓うのだった。
──今度こそ、奴らに報いを。
ミネルヴァが目指すは、帝国上層部全員の粛清。帝国の豚どもを全員、自らと同じ火刑台に送り込んでやることを、誓うのだった。
そしてその対象には無論、皇女となった自分も含まれる。
これは後年、"魔女"と呼ばれ帝国の歴史家から謗られる転生皇女が、二度目の火刑台を目指す復讐譚。
──帝国人民最大の敵、""炎の魔女""ミネルヴァ討ち取ったり!
灼けた戦場に、騎士たちの地鳴りのような勝鬨が響き渡っていた。
死屍累々のその中心で、ひとりの女が即席の火刑台で炎に巻かれている。
戦場に似つかわしくない、大掛かりな火刑台。
それは魔女狩りの様式美。肉体に満ちた魔力ごと怪異を焼き殺すための、人類の知恵。
(……おめでたいのね、帝国の連中って。いちいち火炙りになんてしなくたって死ぬのに)
──狂信者どもめ。
鮮やかな緋色の瞳を持った女は、心底侮蔑した目つきで帝国騎士たちを見下ろしていた。
炎の魔女、ミネルヴァ。そう呼ばれる彼女は、彼らの属する帝国から長きにわたる侵略を受けている、共和国の魔術師であった。
帝国人民最大の敵、などと言われているそうだ。嫌がらせはそれなりに効いていたのだろう。ざまあみろ。ミネルヴァは目元を歪めた。
帝国の騎士たちは、圧倒的だった。爛々と輝く鎧で魔術を弾き、あっという間に共和国の戦線を食い破った。
殿を務めた精鋭魔術部隊も、帝国騎士たちに致命打は与えられず。
その長たるミネルヴァは現在、火刑台から怨敵たちを見下ろしている。
──ああ、この戦線の後ろには、非番の日にあいつと遊びに行った街があるのに。
──さんざん略奪されたあとに焼かれるんでしょうね。私たちの故郷が、そうだったみたいに。
「ぇ、るのる、と。」
焼けた喉は、その人物の名を紡ぐことはできなかった。
──ベルノルト。親も故郷も奪われた自分に唯一残った幼馴染。
私が殿を務めると言った時、きっとひどい顔をしていたんでしょうね。
わかるよ。自分が行くつもりだったんでしょう。でもそんなのは私が嫌。
火が放たれる。
熱でうねるように視界がにじむ。痛くはない。戦いの中で痛覚すら失ったのだ。
(……ああ)
もし、死後の世界があるのなら。
未来永劫、私から全てを奪ったあの国を、呪い続けてやろう──
こうして、共和国最強の魔術師ミネルヴァは、その短い生を火刑台で終えた。
※
私は思わず鏡を叩き割っていた。
存外に澄んだ音を立てて砕け散った数秒後、上等な身なりの侍女たちがばたばたと駆け寄ってくる。
「こ、皇女様──ああ、ああ、こんなに血が出て」
「御兄弟が不審死なさったのです、無理はない──早く手当を。間違っても傷跡を残してはなりませんよ」
頭を抑え、ひどい過呼吸を起こす私に、何かを喚き立てる侍女たち。私はそれに目もくれず、その混乱をなんとか収めようとするのに精一杯だった。
(私は、私はどこまで正気じゃないの? まさか、そんなはず)
鏡に映っているのは、『私』じゃない。
低くなった視点、手当をする、肌触りの良い肌着。
違う。だが違和感がない。記憶が混じる。
夢ではない。拳の切り傷と血が語っている。
割れた鏡の中、驚愕に顔を歪めているのは、雪と月とが混じり合って生まれたような美貌の少女だ。
年齢相応の丸みを帯びているが、シミひとつ無い玉肌と精巧な人形じみた顔立ち──そして、『帝国皇族の証左たる』黄金の瞳は。
悪辣すぎる事態に反して痛みが何度もこれは現実だと訴える。逃避を許してはくれない。
そう、私は、魔術師ミネルヴァは……帝国の皇女に、転生してしまったのである。
第六皇女、アポロニア・エル・ベルヴェーク。
それが、今世の私である。
この体の記憶によれば──皇族の中では最年少。弱冠十二歳の少女の評判は決してよくなかった。周囲から密かに疎まれ、しかしその地位ゆえに矯正される機会に恵まれず、幼児的万能感を肥大させ続ける典型的な盆暗権力者の卵だ。
私が人生をかけて憎み続けた帝国、その狂った構造の基盤がこの身体なのだから。
吐き気がする──ああ、全て燃やしてしまえばいいのでは?
「火よ」
私の魔術が、螺旋を描く炎として形を成し、天井の大理石を撃ち抜く。よく磨かれたそれは根こそぎ、どろどろと橙色に融けた。
侍女が悲鳴を上げ、後ずさる。
ともに自覚する。頭が冷えていく。
……はは。
さすがは、病的な選民意識を持つ帝国の皇族の血。この肉体は、いささか魔力の出力が高すぎる。
少し冷静になったからか、帝国産の性能の良い頭脳が勝手に回る。そして、考えつく。
(この力と、立場があれば)
──内部から、帝国を崩壊させることができる。
どうやら現在の皇帝は病床に伏しており、皇族たちはすでに水面下で、血みどろの皇位継承戦を繰り広げているという。
つい先日、第二皇子が不審死を遂げたとか。
これを勝ち抜き、皇族共を皆殺しにして──最後には、私自身を火刑台送りにして、復讐を為す。
──待っていてね、ベル。
私は拳を硬く握りしめて、大切な人の名を思った。
私の幼馴染で、戦友で、そして……気恥ずかしくて死ぬまで言えなかったけど、大好きだった人。
生前の私が死んだ日から、すでに一ヶ月以上が経っている。
──生きているのかしら。
恐ろしいほどの悲しみが胸からこみあげてきそうになって、私は唾を呑み下した。
『ねえ、ベル、ごめん』
『ん、なにが?』
『私が軍に志願したから、あんたも一緒に、こんな地獄みたいな戦争に参加する羽目になったでしょ』
いつかのやり取りを思い出す。戦いをするような人ではなかった。私が帝国への復讐のために軍に志願したから、あいつも着いてきた。
珍しくしおらしい私の頭を、あいつはくしゃりと撫でた。
『……なにすんのよー!』
『いや、馬鹿でかわいいなって』
『バッ……カワッ……』
わたわたする私に、あいつは、ほんとに楽しそうに笑って。
『ミナ……俺はお前がいなきゃ、故郷の焼け跡で野垂れ死んでたよ。お前がいたから、俺はどうにか生きてこれたんだ。俺の命は、お前のものだよ』
鋭いけど愛嬌のある目を細めて、あいつは言った。
──あの時。私もだよ、私もあんたがいたから、強くなれたんだよって。
そう言えていれば、この気が狂いそうな後悔も、少しは……
「──すばらしい。すばらしい魔術です。皇女殿下」
「っ!?」
甘い追想は、怜悧な声と拍手に寸断された。
私が振り向くと、そこに立っていたのは、優美な佇まいをした長身痩躯の青年だった。
無意識のうちに魔術式を組みかけて、咄嗟に踏みとどまる。
かきあげられた金髪、甘い目つき、すっと通った鼻筋。一見、皇宮に相応しい才貌兼備の若手文官に見えるが──私は、こいつの恐ろしさを知っている。恐らく、他の生きている誰よりも。
騎士団長、ガイウス・コル・アクィラ。
生前の私を討ち取った戦鬼。帝国最強の剣。そいつが、貼り付けたような笑みで私に礼をしていた。
「……ガイウス。ノックくらいしなさいよ」
「お久しゅうございます。不肖ガイウス、このたび凱旋いたしました!」
ガイウスは顔を上げると、悠然と私が破壊した石柱まで歩み寄って、未だ赤熱しているそれを見下ろす。
「ご乱心だったようですね、ですが私が戻りました故、心配はありません」
ガイウスはこちらを振り向いて笑った。
……以前の皇女は、このガイウスに懐いていたようだ。若くして騎士団長になっている通り、この男は出世欲の塊。手玉に取りやすい幼皇女には、徹底的にへつらっていた。
戦場でのこいつを知っている私からすると、おぞましくて仕方がないけど。
「いやはや──この魔術。かの""魔女""を彷彿とさせる程です」
顔を近くまで寄せてガイウスが言った。私は驚きで早鐘のように脈打つ心音を隠して「ありがとう。ガイウス」と社交辞令を返す。
「……ふむ」
つれない反応の私に目を細めるガイウスだが、私は一刻も早くこいつから離れたかった。なにか、良い理由はないか──そう視線をさまよわせていた私の目に、信じられないものが入った。
ひゅっと、喉から空気が漏れる。私が視線を釘付けにしたのは、ガイウスの脇に抱えられた、赤い装丁の古びた本。
──童話『燃える魔女の肖像』。密かに通じ合うための暗号書籍として、私とベルが一冊ずつ持っていた本だ。
私のは火刑の際に焼失しているはずだから、あれは、ベルの──
「それ、は」
「……? ああ、この本ですか。捕虜にした共和国のエースが、肌身離さず持っていたものですよ。暗号書籍の可能性がありますので、防諜部へ預けようと──」
「連れてきて」
口をついて、私はそう叫んでいた。唇は震え、目には涙が溜まっている。
「は?」
「その捕虜、連れてきてって言ったのっ……命令、命令よ! 今すぐ、連れてきなさいっ、ここに!」
しかし、と宥めようとするガイウスの手を払い、絶叫した。
「──命令を聞かないなら、お父様に言いつけてやるから」
ガイウスが顕著に反応したのは、その言葉だった。彼は一瞬、心底面倒そうに目元をしかめた後、渋々といった様子で了承する。
小一時間後。私の前に転がされたのは、確かにその人だった。
「──ああ」
魔力を拡散させる性質を持つ鎖で縛り付けられた、酷く衰弱した傷だらけの青年。
彼は、光の無い黒い瞳で、私を見上げている。
「ベル……」
脇に控えているガイウスにも聞こえないぐらいの小さな声で呟いた、その言葉に。不思議とベルは反応して、僅かに身動ぎをした後、私にどす黒い殺意の視線を向けてきたのだった。





