T-19 呪術医(じゅじゅちゅい)がんばる
(テロップ)
柳田國男 生誕150年記念作品
(ナレーション)
静岡県には、村が一つだけあります。
他はみんな滅びました。
過疎化いちじるしい伊豆半島の、ひなびた温泉街のすぐ近く、
微妙に幹線道路から外れた、奥伊豆の山中。
先祖代々の木々と畑を守るのは、おじいいちゃん&おばあちゃん。
学校は一つだけ。
小中学生を合わせて、ひとクラスで間に合う、新進気鋭の限界集落です。
つい先日とうとう「無医村」の実績も解除されました。
そのかわり、この村にはいろんな人たちが迷い込んできます。
都会の生活に疲れた会社員や、
五〇〇年前の密林にいた呪術師、
あるいは出雲から派遣されたスパイ神使。
忘れ去られた神様や妖怪も、こっそり住んでいるといいます。
神々を隠していることすら、隠し通す村。
訳知り顔な専門家たちは、この村をこう呼んでいました。
「神隠し隠しの村」……と。
「うにゃァ! これは毒水でしゅっっ」
幼女ルシーアは盛大に水を吹き出し、けほけほ咳き込んだ。
鼻の奥の痛みに、目がうるむ。白い首飾りもびしょ濡れだ。
「あははは! 暑い日の水道水って、臭いんだよね!」
ピッチャーからおかわりしているのは、小学五年生の姫子。
「あたしもユキも気にならないけど!」
「これは聖火山にある、酸の泉とおんなじ毒でしゅよ」
舌足らずな口調でルシーアは抗議する
「毒といえば、まあ毒ですね」
汗ですべるメガネを、何度も直している少年はユキ。やはり小学生。
森で拾った木の実を、ちゃぶ台にキレイに並べている。
「悪い生き物が毒を出さないよう、塩素という毒であらかじめ殺してるんです」
「ずいぶん先走った村なのでしゅ」
ルシーアは眉をひそめながら、コップに残った水をのぞく。
故郷で親しんだ精霊とは異なる、不穏な影がゆらめいている。
白い仮面に金の烏帽子、抜き身の長刀をたずさえ、引きずる下半身は大蛇という異形。
――やはりここは、故郷から遠く離れた異界なのでしゅね。
「もしかしてミネラルウォーター派ですか?」
ユキの推察に、姫子が両手を打つ。
「ユキんち、外に井戸あるじゃん。そっちのが天然水だし、臭くないし、冷たいよね!」
ピッチャーを持ったまま、はだしで縁側から飛び降りてしまった。
ルシーアはあきれ顔でユキにふりむく。
「まるでジャガーの子どもでしゅ……ユキ?」
少年がコップを畳に取り落としていた。かすかに手がふるえている。
「森を歩きすぎて、軽い熱中症になったみたいです」
「それは、しゅまなかったでしゅ」
「いえ、ルシーアさんを森で見かけたから、むしろ早く戻ったんですよ」
そう答えつつも、目の焦点が合っていない。
「大人が全然いなくてすみません。駐在さんが戻ったら、迷子の案内を出してもらいますね」
「わしは……迷子なのかのう」
一人で森にいたルシーアは、自由研究中のユキと姫子に出会い、そのまま村に招かれた。
だが、大布一枚をまとい、槍を手にしたサンダル履き幼女の姿は、ユキの目にも奇異に映ったようだ。
「もしかして、【神隠し】ですか」
神隠し。ルシーアにも、なんとなく意味はわかる。
まさに今朝まで故郷の湖にいた彼女を、一瞬でこの地に引き寄せたのは、神にも等しい何者かであろう。
「この村は昔から、特別な力を持った人が、遠くから迷い込むんだそうです」
「ユキも小さい頃に、どっかから来たんだってね!」
突然、姫子が会話に割り込み、二人のグラスに汲んだばかりの水を注いだ。
「これぞ奥伊豆の自慢の名水!」
うながされるがままルシーアはそれを口にふくんで、
「さらに毒ぅッ!」
さっき以上に吹き出した。
「ユキはいつもこんな水を飲んでるんでしゅか」
「外でのどが渇いたときは……。あ、畑のお野菜もそこで洗って」
ユキがまたコップを落としそうになり、姫子が受け止める。
「やっぱ調子悪そう! 今日はもう休もう!」
そそくさと押し入れから布団を引きずり下ろし、濡れたままの畳に広げる。
「寝ても治らんでしゅ」とルシーア。
「井戸水と接する地下には、死者が生まれ変わりを待ちゅ楽園があるでしゅ。その神秘の地から湧き出る強よすぎる力は、ときに水に混ざって人をむしばむのでしゅ」
「ヒ素のことですか? でも水質検査はやったばかり……」
「この容態では今すぐ治療せねば命に関わるでしゅ」
姫子が青ざめる。
「もう村にお医者さんがいないの! 子どもは外に出られないし!」
「わしを誰だと思ってるでしゅ」
ルシーアは首飾りを握る。
「百年以上、密林の村を守り抜いた呪術医でしゅよ」
救えなかった子ども達の顔を、一人ずつ思い浮かべる。
「もう誰ひとり死なせるもんでしゅか」
執念をはらんだ宣言に、二人は圧倒された。
「部屋中に炊く草が必要なのでしゅ」
ルシーアは、湿らせた水でテーブルに葉っぱを描き、匂いや大きさを語る。
「円じいちゃんの家ならあるかも。こっち!」
姫子がまた裸足で飛び出した。
ルシーアが追いついたのは、三階建ての大きめの木造家屋だった。
姫子が体重をかけて取っ手を引くと、湿気で膨らんだ木扉がガタタっと手前に大きく開く。
冷気とともに、さまざまな匂いとビジョンが押し寄せて、ルシーアはしばし立ち尽くした。
「ここ村の集会所! 四十九日前までは、じいちゃんの診療所だった!」
壁に掛けられているモノクロ写真は、その老医師の若かりし頃であろうか。
厳格そうな顔つきと、にじみ出る優しさ。
「ここ待合室! いつも涼しいから、週末みんなでご飯つくってる! 薬草の保管棚はこっち!」
「それよりも、こっちが匂うでしゅ」
長イスの陰に鉢植えが並んでいた。
「この薬草が良さそうでしゅ」
「カメムシ草だ!」
しゃがみこんで香菜を凝視する姫子の肩がふるえている。
「じいちゃんが、この草を刻んでくれると、苦手なお魚を食べられた」
「よい思い出じゃの」
ルシーアは我が子を慈しむように、少女の頭をかき抱いた。
「どんな病気も治してくれて……あたしも手伝って、お医者さんになるって勉強してた……」
姫子はシャツのスソでしばらく顔を押さえていたが、がしがし涙を拭きとって、両手でほおを叩いた。
「他に必要なもの!」
ルシーアはうなずく。
「身が白くて臭い球根がほしいでしゅ」
「ニンニクはこの村の名産だけど……ユキは低血圧だから使っちゃダメだよ」
「全体の調和にさえ気を配れば、大丈夫でしゅ」
「だから、ユキはニンニクで心身の調和を崩しちゃうんだって」
やれやれとルシーアは首を左右にした。
「滅びよ、未開の地にはびこる野蛮の医術」
槍の石突で床をたたき、呪歌をつぶやいた。
傷を診れども、人を診ず
人を診れども、家を診ず
家を診れども、村を診ざる者に
人と自然の縁と呪縛を、今ぞ示さん
姫子の足元から、半透明のツタ植物が何本も伸び、建物の外にまで広がっていった。
最も太い一本は、ユキの家に向かっている。
「この独りじゃない感じ……もしかして、村のみんなとの絆が見えているの?」
「そこまで自覚できたなら、ユキへの負担はいっそう強く肩代わりできるでしゅ」
「それってあたしが……ユキの生命維持装置になれるってこと!?」
「やりましゅか」
「命にかえても!」
目を輝かせて、姫子がうなずいた。
家に戻った二人は、大急ぎで支度を始めた。
「ユキ、もうちょっと待っててね」
「姫ちゃん、いつもごめん」
姫子は、診療所にあった乳鉢で香菜を細かくすりつぶし、そこに水や油、保管していた薬草類を、指示通りに混ぜて鍋に投じた。慣れた手つきである。
カセットコンロで煮立たせ、居間は湯気で満たされた。
さらにはニンニクを主とした煮出し汁を、やはり姫子が少しずつユキの口に含ませる。
「ほらガマン、ガマン」
ユキは苦しそうに目を閉じながらも、ひとなめずつ飲み込んでいく。
少年の心臓が悲鳴をあげるたび、姫子も声をあげそうになる。
頃合いとみるや、ルシーアがゆっくりと歌いはじめる。
地を這うような低い音色の呪歌だ。
大地よ──命を孕み、あまねく育む母なる大地よ
偉大にして、人の身に余る力を
われ、謹みてその御許へと還し奉る
巡りゆく命の環を、永久に護りたまえ
槍の穂先の燐光が、薄暗い室内に長く尾を引く。
眠りに落ちたユキの息が荒くなる。
そして身体が一度ビクンとはねたとたん――
緑の光の粒が、少年の腹からあふれ出した!
カラコロと澄んだ音とともに粒は転がる。
ルシーアが示したガラス戸のスキマから、井戸の方向へ零れ落ちていく。
「過ぎたる力よ、大地に還るがいい」
しかし、その流れが量を増していくと、幼女の表情が強ばった。
――少年の生命力が、つられて流れ出ている?
「だめ! こぼれちゃう!」
とっさに姫子がユキに覆い被さり、奔流をふさぎとめた。
あふれ出ようとする力が姫子に激しくぶつかり、貫き、少女はそのたびに呻き声をもらす。
「そのまま耐えよ!」
ルシーアは即興で新たな呪歌を紡ぐ。
首飾りがきらめくと、ルシーアの銀髪が強く輝いた。
「汝、地上に息づく者、ここぞ汝の家路なり!」
飛び散った光を槍の穂先でぐるりと絡め取ると、姫子ごしにユキにたたきつけた。
やがて。
ユキの呼吸はおだやかになり、顔色も戻っていく。
「ふえぇ、終わったでしゅ」
ルシーアは、その場にへたり込んだ。
「吐きそう」
我に返った姫子は顔を上げ、少年の静かな寝息を確かめると、
「あはは……うふっふ」
彼の手を握って、笑い泣きのような声をもらした。
「良かった。ユキまでいなくなったら、もう」
意識のないはずの少年が、彼女の手を握り返していた。
――子どもなのに、あの絆の強さ。やはり前世から因縁があるんでしゅ。
「それに、絵で見たあの老医師……やっぱり過去にわしは会ってるんでしゅよ」
記憶をたどろうとしたとき、不意にルシーアの首飾りの骨がひとつ砕けた。
欠片は白い光となってルシーアをひとまわりしたあと、ガラス戸のスキマから消えていった。
「あの子でしゅ」
ルシーアは、故郷の男児の顔を思い浮かべた。熱病の渇きで死んだ子だ。
「力を貸してくれたのでしゅね」
ルシーアは、残った首飾りの骨を、ひとつずつたぐっていく。
――この地に呼ばれた理由が、ようやく見えてきたのでしゅ。





