T-18 さようなら、私が愛した嘘の花
まさか貴方がこんなにも眩く煌めくアイドルになるとは思いませんでした。
才能など微塵もなかったはずなのに、嘘で塗り固めた貴方は――”月島ミナト”というアイドルは、こんなにも私を魅了してくれた。
高校生ながら当時無名であった『ルナソル』という二人組のユニットが、恐るべき速度でその名を上げ、武道館でのワンマンライブを成し遂げた。
そして貴方は、天才”日向ハル”の隣に立ち続け、走り抜けた。
命を懸けて、ときには死をも覚悟して、全ての人を欺ききった。
こんなに嬉しいことはありません。
なぜ、泣いているのですか。
貴方の輝きを見にきた一万人を超える人々が、次の言葉を待っていますよ。
お得意の嘘で、私すらも欺ききったその虚構で、皆を魅了してください。
ああ本当に、楽しみで仕方ありません。
虚構で出来た、日本一のアイドルのパフォーマンスが。
それでは。
さようなら、ミナトさん。
僕は虚構で出来ている。
全身が叩かれるような歓声を浴びながら、ミナトはそう思った。
対バン形式のライブに現れた無名の二人組アイドル『ルナソル』。五百人を超える観客たちの中に、彼らのファンは数えるほどしかいない――にも拘わらず、ほんの数曲を歌い終えた今、無関心だった観客たちの視線のすべてをほしいままにしていた。
「初めて会う人たちも、オレたちを応援してくれた人たちも、ありがとな〜!」
観客の余韻の中で赤髪の美丈夫『日向ハル』が手を振ると、萎みかけていた歓声が再び力強さを取り戻す。
「俺たちはこのまま武道館を目指す。俺たちを好きになってくれたなら、そこまでついてきてほしい」
冷静沈着な佇まいで黒髪の青年『月島ミナト』が続くと、観客たちは盛り上がる。
二人が舞台袖にはけてからも、拍手と歓声は鳴り止まなかった。
「すっごい楽しかったな、ミナト! 今日も最高のライブだった!」
「ああ。完璧だったね、ハル」
控室に戻るや否や、ハルは満面の笑みでミナトに抱きついた。
滴る汗も気にせず、ミナトは腕を回して日向の頭にポンと手を置く。
「ほら、ハルにはやることがあるだろ? 楽しいライブの後なら、うってつけじゃないか?」
「そーだな! 今ならたくさん書き出せる気がする!」
跳ねるようにミナトから離れた日向は近くの椅子に座り、ノートと鉛筆を取り出した。
直後、贅肉で張り裂けそうなスーツで小綺麗に着飾ろうとしている脂汗まみれの男が、勢いよく控室に入ってきた。
「いやァ〜! 本当によかったよ、二人とも!」
湿った拍手を鳴らしながら、男はぐいぐいと近づいてきた。
「ありがとうございます。金城さん」
最低限の距離を取って、ミナトは爽やかな笑顔で返す。
この金城という名がついた子豚は、月島たちが所属する事務所の社長だ。この男が強引にねじ込んでくれたお陰で、ミナトたちはこの対バンに参加することができた。どれだけ嫌悪感があろうと、無碍にはできない。
「思ってる以上だったよ! 君たちのライブは撮影オッケーにしたから、SNSもバズるし! 稼げるよォ〜、コレ!」
「あはは。まあ、僕たちはお金目的じゃないですから」
「その厭らしさがないからウケるワケ! 僕みたいな守銭奴のブタは表に出れないし!」
金城の気色悪さにも微動だにせず、ミナトは柔和な笑みを浮かべて見せた。
「それ、で。前に話してたワンマンライブのことだケド」
「どうですか? 今日の成果次第とのことでしたが」
「もっちろん、オッケーよ! これなら同じキャパか、それ以上でも!」
口の端に涎が垂れかけた金城は、それを啜って「でも」とこちらを睨む。
「熱が冷める前にやらなきゃ、稼げないね。持ち歌数曲じゃ話にならない。一ヶ月以内に十五曲入ったアルバムを出して、それからすぐにライブ。イケる?」
ミナトたちがスカウトされた理由は、単純なアイドルとしての魅力を見出されたからだけではない。ルナソルの曲は、ハルが作詞作曲、その曲の振り付けに至るまで全てを考えている。持ち歌に経費が掛からない、売れたなら売れただけ印税はそのまま事務所に入る。守銭奴の金城の気を引くにはうってつけの才能であった。
「大丈夫ですよ」
ミナトは淡々と答え、視線を横へ向ける。
ハルは鼻が触れそうなほどノートに顔を近づけ、手を動かし続けていた。
「ハル。今、どれくらい?」
「いま三曲目だ! まだまだアイツは歌ってる!」
こちらに目もくれず、ハルは鉛筆をノートに擦り続ける。
「感情が昂ると、ハルはああやって一気に曲を作ります。いや、正確には『書き出している』みたいです」
茫然とした金城に構いもせず、ミナトは続ける。
「ハルの中には、天才がいるそうです。彼は、完成した曲を頭で歌い、振り付けを伝える。それを、ハルは聞き逃さないように書き起こす」
「……ガチ?」
「ええ。きっと、明日までには曲は出来上がります。来週からスタジオを取ってもらって大丈夫です。レコーディングも含めて、二週間で終わらせます。ハルは、天才ですから」
狂気的な集中力を見せる日向を見つめる金城の顔に、卑しい笑みが浮かんだ。
「サイコーだよ! 売り出すときのミステリアスさに拍車がかかる! それが本当かどうかはどうでもいい!」
「……そうですか」
爽やかな笑顔で返したミナトの手を、ギトギトの豚足が鷲掴みにした。
「それじゃあ、僕はやることあるから! 忙しくなるけど、よろしくね!」
跳ねるように部屋から出ていく金城を見送ったミナトは、脂のついた手を近くにあったタオルで拭きながら、
「俺もやることがあるから少し外すけど、いいか?」
「おう! オレはまだ曲を書く!」
取り憑かれたように鉛筆を動かし続けるハルは、ドアに手をかけたミナトの背中に声をかける。
「そうだ、ミナト! 今日のライブ、めっちゃよかったぞ!」
ピタリと、ミナトの動きが止まった。
「半年くらい前から調子が悪いみたいだったけど、やっと本調子に近づいてきたな! オレの中のアイツも機嫌が良くてどんどん曲が出てくる!」
「…………そっか」
すぐに返事が出なかった。
数泊置いて、
「それなら、よかったよ」
振り返らず、ミナトは部屋を後にする。
向かった先は、人気のない使わない資材をまとめた物置部屋だった。
物陰に隠れて、ミナトは崩れるように座り込んだ。
「……キッツ」
アイドルとしての『月島ミナト』は、凡才であった。
近くにあった姿見に、自分の顔が映る。
化粧で隠した薄皮が剥がれかけ、青ざめた肌と染みついた隈が垣間見える。
汗が枯れ果てていたのが、不幸中の幸いか。
「このままじゃダメだ。あの才能に、並ばなきゃいけないんだ」
言い聞かせるように、彼は言う。
ハリボテのように取り繕ったままでもいい。
ハルの隣に居続けなければならない。
「僕、頑張るからね。兄さん」
小さく呟いて立ち上がった彼は、何事もなかったかのように表情を虚構で固め、ハルの元へと戻っていった。
*
数日後。
東京都、某所。
都下に位置する山の麓。
普通なら決して足を踏み入れることのない森林の最奥に、ミナトは訪れていた。
ほんの少しだけ周囲と土色が違う盛り上がりを見下ろして、ミナトは呟く。
「明日はワンマンライブだってさ、ミナト兄さん」
月島家は、二人兄弟であった。
アイドルを志した兄の月島湊と、それを見守っていた月島奏。
「兄さんが見たかった景色も、見れそうだよ」
目の前に埋まる自分の兄を――今は亡き月島湊を見つめて、奏は小さく笑う。
「楽しかったなぁ。兄さんが歌って踊っているのを見るだけで、僕は満足だった」
目を瞑ると、様々な思い出が脳裏を巡る。
なんてことのない日常と、それが崩れ落ちたあの日のこと。
「ごめんよ、兄さん。こんなところに埋めちゃって」
月島湊の死体は、弟の奏が埋めた。
そして、半年前に死体を遺棄したあの日から、奏は兄の湊と入れ替わった。歌とダンスの才能に溢れたミナトとして、凡夫は天才すら欺く虚構となった。血反吐を吐いても、圧倒的な才能に身を焼かれても、狂気的な努力で兄の虚像であり続けた。
なぜなら――
「天から見ててよ、兄さん」
蘇る。
今でも強烈に焼き付いた、あの光景が。
血まみれで倒れる兄の前に立つ、日向ハルの姿が。
「ハルくんは、僕の手で殺すから」
胸の前で拳を握り、その奥深くで強く、誓いを立てる。
――これは僕の、いや、虚構で作り上げた俺の、人生を懸けた復讐劇だ。
*
「――なんてことを、今ごろ奏さんは思っているのでしょうね」
薄暗い部屋で、鼻歌が響く。
穏やかな表情を浮かべながら、彼はファンにもらった花束の花弁を千切っていた。花束を一つずつ散らしながら、スマホを眺める。画面には、奏の位置を示す地図が写されていた。
「私が湊さんの命を摘んだことで、また新しい花が芽吹こうとしています。とても良い展開です」
ハルの中にいる『天才』――ヨルは、月島湊を殺した張本人は、呟いた。
ヨルは散らした花弁の中に佇む蕾を愛でるように撫でるが、次第にその手が止まる。
「やはり、花を摘んでも心は踊らないですね」
茎を掴み、指の腹でべちゃりと潰した。
指の隙間から、泡の混じった液体が滲みだした。
「悲鳴もあげず、叫喚することもなく、恐怖心すら抱かない。生命はあれど、感情という余白がない。何度やっても同じ反応しか起こらないなんて、退屈で仕方がない」
自分が求める愛おしさは人間からしか得られないのだと、ヨルは思う。
「その点、奏さんは良い。難解で不安定なのに、これ以上ないほど明瞭で情熱的な執着。兄の湊さんを摘んだのは正解でした。想像以上の熱を宿した美しい造花が芽吹き始めています」
ヨルは恍惚と顔を蕩けさせた。
「楽しみで仕方ありません。自らを虚構で塗り固めた貴方は、いったいどんな花を咲かせてくれるのでしょうか」
萎れきった花を投げ捨て、ヨルは部屋に飾られた奏の写真を見つめる。
「奏さん。貴方のことも、ちゃんと私が、この手で殺してあげますからね」
言い切った直後。
ふらりとヨルの身体が揺れ、雰囲気が変わる。
「あれ」
呆けた表情で、ハルは目の前をぼんやりと見つめていた。
「花束、もう枯れちゃったんだ」
名残惜しそうに、ハルは花束を片付け始めた。





