T-16 幽世探偵は死者の願いを断れない
連続殺人事件に巻き込まれて命を落とした高校生・楠木遥は、幽霊となってもなお、犯人への強すぎる執着で現世に留まり続けていた。
その怨念が引き寄せたのは、怪談と都市伝説の巣窟と化した高校。そして彼女の隣で殺された、唯一の親友・美央の霊までもが、強い未練に呑まれて怨霊と化していた。
そこへ現れたのは、陰陽師を自称する半端者の青年・斎宮蓮。
本職は幽霊退治だが、成仏できない少女の願いに巻き込まれ、ついには「幽霊の探偵役」を引き受けるハメになる。
幽霊と陰陽師。生者と死者。道徳と冗談の境界が崩壊する中、二人は学校に潜む怪異と現実の事件、その両方に踏み込んでいく。
死者の声は誰にも届かない。
だがこの探偵は、死者の依頼を断らない――。
夏の夜の校舎は、死体置き場に似ていた。
昼間の熱を溜めこんだコンクリートが生ぬるい息を吐き、蝉の鳴き声がしつこく耳を掻きむしる。廊下には誰もいないはずなのに、足音と吐息だけが残っている気がする。
こういう場所に幽霊が出るのは必然だった。怪談的にも経済的にも合理的だ。電気代はかからず、ビビった生徒の悲鳴は無料の宣伝になる。
斎宮蓮は、その「無料広告」の後始末を押し付けられる陰陽師だった。
もっとも彼に高僧の威厳はなく、格式ある家系の権威もない。
夜中に学校へ忍び込み、七不思議と呼ばれる怪異を祓って、駄菓子屋の婆さんに飴玉をもらうのが関の山だ。便利屋の延長、幽霊退治のアルバイト。
だが今夜は違っていた。
校舎全体を覆う霊気は、まるで血を煮詰めたように濃く重い。これは怪談ではなく「現実の死」だ。人が無惨に殺され、怨念が渦巻き、形を持ってしまったもの。
風が止み、蝉の声も掻き消えた。
その時、月光に透ける少女が現れた。
「やっと来たのね、陰陽師」
制服姿の少女は、挑むような瞳で蓮を見据えていた。輪郭は揺らいでいるのに、表情は人間よりはっきりしている。
この校舎では、数日前から怪異が続発していた。窓の外に逆さ吊りの女が浮かぶ、トイレの個室に誰かが居るのに誰もいない、無人の音楽室から夜な夜なピアノが鳴る――
そんな話はよくある。だが今回は違った。
“死者”がいた。しかも実在する、連続殺人の被害者が。
蓮が四階の音楽室に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。
ぴたりと止まる風。耳を撫でる音楽――『エリーゼのために』が、勝手に沈む鍵盤から漏れていた。
そして、彼女はそこにいた。
血のように赤いリボンをつけた少女。
制服の胸元に斬られた痕を抱えたまま、表情だけは妙に生気を帯びていた。
「……ようこそ、陰陽師さん」
彼女はくすりと笑った。その声は、まるで長く待ち続けていた恋人を出迎えるように、穏やかで優しかった。
彼女の名は楠木遥。
ニュースで流れた連続殺人事件の被害者であり、校内に巣食う怨霊騒動の中心だとされていた少女だ。
「成仏してほしいなら、協力するぜ。さっさと消えてくれれば、こっちも楽だしな。それに、お前がここにいる限り、怪異は寄ってくる」
「私……まだ消えられない」
その瞳には、ただの幽霊にはない焦燥と怒りがあった。
生者の瞳と変わらぬ光を宿し、遥は口を開いた。
「犯人を捕まえたいの。あの夜、私の“親友”も一緒に殺された。そして彼女を……」
言葉はそこで途切れた。
まるでそれ以上言葉にすれば、何かを壊してしまうと本能で察しているようだった。
だが、その感情に共鳴するかのように、音楽室の壁が唸った。
窓ガラスが震え、黒い霧がじわりと床を這う。
やがて闇の奥から、もうひとりの少女が現れた。
長い髪、制服姿。
だがその目は赤く爛れ、口元には乾いた笑みを浮かべていた。
「遥ぁaaaaa………………」
「美央……」
蓮は片眉を吊り上げ、札を取り出す。
「こりゃまた派手な登場だ。で、これが“親友”ってやつか」
「……ええ、私の幼馴染で、唯一の親友だった」
遥の唇が震える。
その震えの向こうに、過去があった。
※ ※ ※
美央とは、物心ついたときからの付き合いだった。
家は隣同士。母親同士も友人で、週末には互いの家を行き来していた。幼稚園、小学校と同じ道を歩き、いつも隣には彼女がいた。
遥にとって美央は、家族のようで、分身のようでもあった。
だが、高校に入ってから変化が訪れた。
入学直後、美央の態度がどこか他人行儀になったのだ。クラスが別々になったことが原因だろうか。それとも――遥には、思い当たる理由がなかった。
いくら思い返しても答えは出ず、もやもやとした不安だけが胸を濁らせていった。
しかし、二年になった春、二人は再び同じクラスになった。
「ね、一緒に帰ろうよ。どうせ方向一緒なんだから」
遥がそう声をかけたとき、美央は戸惑ったように眉を下げ、それから小さく頷いた。
あの時の彼女の横顔は、ずっと忘れられない。
何を話したかは覚えていない。ただ、一緒に歩けたことが嬉しかった。
また、あの頃のように戻れると思った。思い込んでいた。
だが、その幸福は残酷すぎるほどに短かった。
人気のない細道。いつもの帰り道。
ふと、視界を何かが横切った。
次の瞬間、美央の頭が、遥の目の前に転がった。
現実味など、あるはずがなかった。けれど、それが事実だった。
遥の記憶はそこで止まり、そして気づいたときには、自らも霊になっていた。
※ ※ ※
「……私は、彼女を救いたいの」
遥の声が震えていた。
親友を想う気持ちは、生死すら越えるのか――蓮は静かに札を構えた。
結界を張る。美央の怨霊が、悲鳴のような声で襲い掛かる。
床を這う無数の黒い手。音楽室が歪み、鍵盤が勝手に沈む。
涙がこぼれる。
「美央……ごめんね、ひとりにして……でも、お願い、戻ってきて……」
遥の願いが通じた──。かに見えたが美央の姿が急に歪んだ。
姿がブれて夜の闇を吸収するように体が大きく肥大化していく。それは悪霊、と呼ぶに相応しい外見。
それに呼応するかのように美央の怨嗟の声が校舎に響き渡った。
「オマエガ憎カッタ…………! オマエト比ベラレルノガホントウニ嫌ダッタ……!」
美央の言葉が遥に響く。
予期せぬ言葉。遥はあまりに事に膝をついてしまう。
自分は美央の事を心から大事に想っていたのに。一緒に居たかっただけなのに。
現実を受け入れられないまま、遥は涙を流しながら美央の変わり果てた姿を見た。
紛れもない怒りを感じる。床を這う無数の黒い手が憎しみに呼応するように刃へと姿を変えた。
「美央…………」
怒りを受け入れよう。彼女の想いに気づかず無自覚に傷つけていた女には当然の報いだ。
迫る黒い刃を諦めたように受け入れようとするが、蓮の札がそれを阻んだ。
「急展開過ぎるだろ。さっきまでの威勢はどうした?」
蓮が遥に問いかける。
怒りの刃の連撃を何枚も札を投げつけては攻撃を受け止めていた。
「ワタシノドリョクノサキニイルナ!」
「嫌な女だよな。こういう傲慢な女って無自覚にそういう事するよな」
「オマエトイッショノガッコウナンテイヤダッタ! アンナニベンキョウシタノニ! ベンキョウダケハカッタトオモッテイタノニ!」
「居るんだよ。こういう要領だけは良い奴。ムカつくよな。お前は血反吐吐いてまで勉強したのにな」
美央の怒りに同調するように蓮が軽口を叩きながら美央の攻撃をいなしていく。
視認できない程の速度になっていたが、それでも蓮は余裕の態度を崩さなかった。
「俺も初対面でわかったぜ。コイツはムカつくクソ女だって」
蓮が攻撃に転じた。投げる札の色が変わっている。
赤い札が触れた瞬間に、美央の黒い刃が砕けて虚空に散っていく。
「でも、テメェが死んだって大事な友達の敵討ちは絶対してやるっていう気合の入ったクソ女でもあるよな!」
言葉と共に白い札を投げつけた。白い光が広がり、美央の体を拘束する。
怒りのままに暴れていた美央の動きが大人しくなり、体が徐々に縮小し始めた。
やはり、と蓮は心の中で納得をする。この怒りは誰かに人為的に操作されていたものだと。
真の憎しみだけならこの程度の拘束では力が弱まらない事を蓮は知っていた。
「何時までも泣いてねぇで、喧嘩ぐらいしてみたらどうだ? お前だって言いたい事ぐらいあるだろ?」
遥の方を向いて蓮はそう言い放った。
ムカつく男だ、と遥は蓮を睨みつける。どこ吹く風、といった感じだ。何も効果がない。
「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」
遥が言葉を美央に送った。渾身の札が、美央の胸元を貫く。
刹那、赤い光が爆ぜ、黒い霧が霧散する。
美央の姿が、少女の形に戻り、静かに微笑んだ。
「遥……また、一緒に帰ろう」
そう囁きながら、光の粒となって夜に還っていった。
音楽室の闇が晴れ、夜風が戻る。
遥は嗚咽を漏らし、床に座り込んだ。
蓮は肩をすくめ、無精ひげを掻いた。
「さて、次はお前だが……」
蓮の言葉に遥は涙を拭い立ち上がる。
「ありがとう。でも……私、まだ終われない。犯人を捕まえなきゃ」
「……ったく。成仏させるだけのはずが、殺人事件に付き合わされるとはな……割に合わねぇ」
しかし、顔にはどこか満足げな色もあった。
蓮は苦笑した。
幽霊が探偵なんて、冗談としても笑えない。
だが、彼女の瞳は確かに生きていた。
生者よりも、ずっと強く、ずっと真っ直ぐに。
こうして陰陽師と幽霊の奇妙な契約が結ばれた。
この出会いが、連続殺人事件の闇の核心へと蓮を引きずり込むことになるとは――まだ誰も知らなかった。





