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T-13 これから死ぬ女 √ もう死んだ男

 1973年、オーストラリア。余命わずかで自暴自棄になっているリリは、ただの顔見知りのジェイクと書類上の結婚をし、彼を自分の看取人に選んだ。そして赤の他人のハウスキーパーを聞き手に、父の抱擁や母の優しさ、幼少期の傷を振り返って行く。

 ジェイクもまた、戦争後の虚無感により人生を投げ出し、リリと同じく無気力な日々を送っていた。しかし、明るく振る舞いながらも悲しみ、生への執着を見せるリリへ、歪んだ共感を覚える。

 そして、限りある時間の中で『どれだけリリを笑顔にできるか』、自分自身との賭けを始めた。


 やがて、リリは自分の過去を赦し、穏やかに逝く。ジェイクへ置き土産をしながら。


 ――最後があんたでよかったわ。


 リリのその言葉を胸に、ジェイクは短い時間を二人で共に過ごしたシドニーの海辺の家で、彼女のいない人生を歩んでいく。


【完結済み。10月上旬、カクヨムにて連載予定】

 ――ジェイク? 帰って来たの? ……あら?


 ああ! 頼んでいたハウスキーパーさんね! 丁度いい所に来てくれたわ。ねえ、来て早々だけれど、まず手始めにあたしの話を聞くっていう仕事はどう?

 何も出来ないあたしの為に来てくれたんだから、あたしと話すのだって家事の一つだわ、きっと。

 ほら、隣に座って! なんだか今、しゃべりたい気分なの。


「承知しました、奥様」


 やだあ、奥様だなんて! そうね、あたし新婚なんだった。それでわざわざ米国からシドニーまで来たのよ。忘れていたわ。

 ありがとう。あなたいい人ね。お名前は?


「エマと申します。エミーと呼んでください」


 ねえ、エミー。なんだかあなた、初対面なのにほっとする。

 あたしはリリ。そう呼んで。


「わかりました、リリ」


 あのね、今、昔の事を思い出していたの。ちょっと重い話になるけど、聞いてくれない? ただ、驚かないでさらっと流して欲しいの。変なお願いしてごめんね。ちょっと考えの整理をしたくて。


「ええ、何でも聞きます。気軽にね」


 ありがとう。本当にあたしの為に来てくれたみたいね、エミー。適当に相槌打ってくれる? ちょっと待ってね。深呼吸。

 ――あのね。適度に驚いて。昔の事よ。


 あたし、三歳の時に。従兄弟から酷い事をされたの。いたずらなんて言葉じゃ収まらないような事よ。


「まあ!」


 それが原因で、あたしはきっと、子どもは産めないってお医者さんに言われたみたい。初潮の時に思い詰めた表情のママから説明されたわ。

 あたしは理解していたから、驚きも、悲しみもしなかったんだけどね。


「なんてこと!」


 従兄弟は当時十三歳で、罪に問えなくて。ウェストボロの少年施設に送られて、一年入ってた。帰って来てから、また何回かされちゃった。あたし怖くて、拒否出来なかった。

 そしたらね、叔母さんが……罪悪感に押し潰されて、息子である従兄弟を刺して、首をくくっちゃったの。皆で住んでいた、三角屋根のお家の裏で。

 発見者はあたし。叔母さんなにしてるんだろうって、ぼんやり思った。大人たちが凄く慌てていた記憶だけが鮮明。


「中々、さらっと流すのが難しいわ!」


 あらあ、上出来よ! その調子!

 それ以来、従兄弟がどうしているのかも知らない。もう死んでいるのかも。

 あのね……ふと、誰かに話したくなったの。それで気持ちが楽になるかしらって。――ごめんね、重い話で。


「問題ないわ。ドキドキするけれど」


 聞いてくれてありがとう。

 ねえ、パパの話をしましょう。それなら笑って話せるから。いいでしょ?

 かっこいいのよ、あたしのパパ!


「まあ、どのくらい? ロバート・レッドフォードみたい?」


 パパの方がもっと素敵よ! あなたはきっとイチコロだわ。


「あら、是非ともお会いしたいわ!」


 残念ね、両親は米国に住んでいるの。内緒で来ちゃったから、紹介出来ないのよ。ごめんね。


「こちらにはハネムーンなの?」


 いいえ。最後まで居るわ。……あたしの最後まで。


「最後ってなに?」


 まあ、いいじゃない。


 ねえ、自慢するわよ? いい? あたしファザコンなんだから。

 パパはね、背が高くて、いつも三つ揃えの服がピシッとしているの。帰って来るとあたしを抱き上げて「大きくなったね。私のお姫様」って笑うのよ。あの笑顔、忘れられないな。

 でもね、あたしや死んじゃった叔母さんの件で、ある時心身がまいっちゃったの。何度も長期間留守にしていたからだって、自分を責めてね。貿易関連の仕事だったんだけど、辞めちゃった。

 そして、一緒に過ごして家族を守る為に、マサチューセッツの労働局へ転職したのよ。ほら、去年大統領選に立候補した『ナンバー2の仕事で一番の「チャブ」』が州知事だったときよ。


「まあ、それはまた、凄い転職ですこと!」


 そうね、本当に異例じゃないかしら。パパ、有能だから!

 ねえ、去年マサチューセッツで出産休暇法が出来たってニュース、こっちでもやってた?


「聞きましたよ、画期的な州法だわ!」


 でしょう! パパが活躍したのよ!

 パパは公聴会で、女性が出産を理由にクビを切られず、ちゃんと籍を置いたまま休めるよう、意見陳述したんですって。それが法律制定に役立ったってママが自慢してた。


「最高だわ! どれだけの女性が助けられるか!」


 そうでしょう?


 ママはね、凄く美人で、優し過ぎるくらい優しい人。ハニーケーキを作るのが得意でね。すっごく美味しいの。

 ずっとママも、パパと同じく自分を責めていた。あたしを守れなかったって。ママが悪いわけじゃない。ママはいつもあたしを愛してくれていた。それだけで、十分なのにね。


 まあ、いろいろあったけれど。あたしは家族に恵まれてる。本当にそう感じる。


「素敵なご家族だわ、本当に」


 ありがとう!


 なんでこんな話をするかと言うと。……まあ、なんとなく最近、昔の事を思い出すからよ。

 死ぬ時を意識すると、こんな気持ちになるのね。初めて知った。


「え?」


 あたし、死ぬの。遠くない日に。

 体、壊していてね。そんなに長くないってお医者さんに言われてる。体力も落ちて。だから、ハウスキーパーさん……あなたを頼んだのよ、エミー。


「まあ……」


 オーストラリアに知り合いがいてね。バカンスで、ちょっと静かな所で過ごすって名目でこの家を紹介してもらったの。街の中心じゃなくて、海が見えて、最高。気候も、あたしには丁度いいみたい。

 あたし、両親が大好きなのよ。子どもの死に目なんて、見せたくないじゃない?

 そういう事よ。


「リリ……なんと言ったらいいか……」


 ――ああ、慰めとか、そういう言葉は要らない。ただ、聞いて欲しいのよ。ねえ、そんな気分の時ってあるじゃない?

 何だかんだ、楽しく生きて来た、あたし。色んな人に感謝している。後は、綺麗に終わるだけ。

 それで、先週こっちに来て、結婚したの。手続きはしてあったから。


「……おめでとう! 結婚式はいつ?」


 式? しないわよ。必要ないもの。


「ええ? どうして? 絶対似合うわよ、ドレス」


 あらあ、ありがとう。いい気になったわ。

 書類だけの結婚なの。あたしが死ぬまでの期間の。

 相手の人は、まあ、ちょっとした顔見知り。元々惰性で生きていただけみたいだし、将来を想うほど若くもないし。あたしの最後の我儘に付き合うには、丁度いい人。

 パパとママみたいな理想の夫婦にはなれないわ。まるで愛し合ってないんだもの。期間雇用の契約みたいなものね。


「凄く大人な関係ね!」


 あっはっは、そうね! 今度からそう言うわね、あたしたち大人の関係よって! あなたファニーね、エミー!


「どういたしまして!」


 うふふ。気分がいいから教えちゃうわ。――あのね、これは秘密なんだけど。

 彼ね、本当はこの世に存在しない人なの。戸籍上は死んでいるのよ。別の名前で、別の人の人生を借りて生きている。まあ、ベトナム戦争の事で、色々あってね。

 あたしと結婚したのは、その借りた名前でよ。あたしの知らない誰かとして、あの人はあたしの夫になった。ちょっと変な気分よね。


「気になるけれど、細かい事は聞かないでおくわ」


 そうして。ありがとう。

 でも、彼もあたしも、その部分は割とどうでもいいって思ってるのよ。だって、あたし、もうすぐ死ぬんだし。そんな事気にしても仕方ないわよ。


 色々あったけれど、愛してくれた人がいた。パパも、ママも、親友のアンも。あと、名前も知らないあの喫茶店のマスターとか、十代の頃、いつも煙草の火を貸してくれた駅前のじいちゃんとか。

 色んな人に支えられてきたんだなって。今だから思う。

 だから、死ぬのも怖くないのよ。ほんの少し名残惜しいだけ。ほんの少しね。だって、こんなに楽しい人生だったし、もっと続けたかったなって思う瞬間もあるから。

 でもまあ、十分生きたわよ、あたし。


「そう言えるって、凄い事だと思うわ」


 そうね。あたしもそう思う。ありがとうね、聞いてくれて。自分の考えを整理出来た。


「どういたしまして……あら? お客様かしら」


 ……ああ、帰って来たわね。あたしの『夫』。

 じゃあ、この湿っぽい話はお終い。他人のあの人になんか聞かせらんないから。


「夫婦じゃない!」


 他人よ! 書類上でくっついているだけ。あたしなにも知らないのよ、あの人の事。

 ねえ、だから、また聞いてね? あの人より、あなたに聞いて欲しいの。だって……あなたって、あの人よりももっと他人で、ずっといい人だもの。


「もちろんよ、わたしでよければ」


 ありがとう!


「お出迎えして来るわね」


「おかえりなさいませ」

「あれ、リリ、半日見ない間に面変りしたね?」

「初めまして、旦那様。本日から参りました、ハウスキーパーのエマです。エミーとお呼びください」

「そうだと思ったよ。僕はジェイク。キャロットカラーの巻き毛が素敵だね、エミー。うちの金髪美人奥様はどこだい?」

「リビングに。コーヒーを淹れますね」

「ありがとう、濃いめがいいな」

「承知しました」


「ハイ、愛しのリリ。旦那様のお帰りだよ。これは君の目の色にそっくりなブルースターの花束。それともう一つプレゼントがあるんだ」


 あら、何かしら?


「来週ゲストハウスを借りたんだ。僕の生前の友人を呼んだから、式をしないか」


 あらあ、結婚式はしないって言ったじゃない!


「そうだけどさ。僕と、君の式だよ。――もう死んでる僕と、これから死ぬ君の、葬送式だ」

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