T-11 根回しの魔女〜モブ地味子、|魔王様《人事部長》直伝社内政治で天下取り!?〜
【職務経歴書】
光葉 碧、女
・特技
情報収集・分析、過不足のない会話能力、卓越したビジネスマナー、逆境を糧に成長する強い意志
・略歴
2015年3月 正明大学 卒業
2015年4月~2022年3月 ABC派遣サービス登録、商社5社で経験を積む
2023年4月 旭陽商事(株)総務部に正社員として採用
2024年5月 人事部長・丹羽正孝(通称魔王様)に堅実な仕事ぶりと鋭い洞察力を評価され、人事部へスカウト
2024年9月 女の武器で派閥を操る営業部・月詠美月の不正を暴き、社内で「魔女」の名を轟かせる←イマココ
202X年 社内改革を主導、魔王の右腕として頭角を現す
20XX年 人事部長に就任。魔王の代表取締役就任と共に、マザーズ上場を支える
・人事部記入欄
地味すぎる。営業不向き?
ピカイチ。必ず欲しい。by丹羽
「月詠さん、これ改竄ですよね?」
私がそう指摘すると、会議室内の空気が一気に張り詰めるのがわかった。
被疑者である第三営業部の月詠と片桐および斎藤部長、三人全員が敵意と嘲りを隠そうともしない。
『モブ平社員が調子に乗るな、お茶でも汲んでろよ』
三人の目は確実にそう語っていた。なんなら言葉も喉元まで出かかっていた。
思っていること、はっきり言えっちゃえばいいのに。どうせ、あとで恥かくだけなんだから。
とくに主犯である月詠美月は、終始私を馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
役職、等級、肩書など序列がすべてという、わかりやすく嫌な女。彼女の格付けの中で、私は最下層。格下に噛みつかれるなど、ありえないとタカを括っている。
そんな見栄だけハリボテ女が、この後どんな顔するのか、楽しみで仕方ない。できれば動画を撮りたいくらいだ。
対照的に、表情を微動だにさせてないのは、私の敬愛する上司。この会社で魔王様として恐れられている丹羽正孝部長だ。
「証拠は?」
自分の部下に対して、詰めるようにそう言い放つ。血も涙もない魔王——彼の仕事振りをよく知らない人はそう思うのだろう。
けど、私は知ってる。彼はどこまでも公正なだけ。魔王なんてとんでもない。
自分への助け舟だと勘違いした月詠の笑みが、さらに醜く歪む。もともと性格と同じでひん曲がった顔なのに、今はもう化け物と遜色ない。
大方、詰められている(ように見える)私を、3か月前の自分と重ねているのだろう。
アレはひどかった。私を責めたい一心で、デマともいえるような言いがかりをつけてきた。怒りをとおり越して笑いさえこみ上げくるほどに。
だけど、バカな男にモテるという唯一の武器を最大限に活かし、取り巻きによる数の暴力で押しきろうとした。
そこへ魔王様が現れて、客観的なエビデンスを示すように、月詠に言い放ったのである。そのときの狼狽え具合も、なかなか見物だった。
絶対に私もそうなるのだと、彼女は思いこんでいる。
自分に出来ないことを、格下の私ができるはずない。ハリボテ女らしい、浅はかな考え。
丹羽部長に助けられたときに感じたのは、果てしない恩と同時に、至らない自分への強烈な悔しさだ。だから、私は必死で成長した。魔王様の期待に応えられるように。
そもそも、ここに魔王様をはじめ幹部陣がいる時点で、勝敗は決している。確たる証拠の根回しも無しに、招集することなどできるわけがない。
そこに気づかないアンタは、一生男に媚を売るしかないでしょうね。
私は内心、そんなことを思って微笑みながら、無言で一本のUSBメモリを差しだす。
月詠は幹部たちに渡すまいと焦った表情でひったくり、スクリーンにつながれている端末で、中身を確認した。
この一ヶ月、私が必死で集めた事実だ。
彼女が主催する女子会の隣に潜んでいたり、彼女が手下だと思いこんでいる、優秀な新卒SEちゃんと仲良くなったり、こっぴどく彼女に捨てられた男性社員と、行きたくもない合コンに行ったりして得た宝だ。
お宝確認が終わったときには、ハリボテが剝がされて、ただの骨と皮になった月詠がそこにいた。
泥にまみれる覚悟があるかどうか、それがアンタと私の違い。
「これで、十分ですよね?」
ニッコリと笑った私を見て、営業部長が『……魔女が育ったな』と呟くのが聞こえた。
だれが魔女ですか。こんなに仕事に真摯に向き合う淑女なのに。
でも、魔王様に育てられたのは真実。その切っ掛けから語りましょうか。
月詠との因縁の始まりでもあるんだけど。
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無残にも紙が引きちぎれる音が、フロアに響く。
ナイスタイミングだな、と心の中でガッツポーズをした。
魔王様には、小手先の知識だけで作られたものなんかじゃ、太刀打ちできないに決まっている。
してやられた本人は、顔を真っ赤にしている。私は無関心を装いつつも、頭の中だけは野次馬になっていた。
声の主は……片桐雄太。こいつの素行については、社内ですごく有名だ。
自身の能力不足を、上司や同僚、取引先のせいにする。徹底した他責主義。今回の件もパワハラ相談室にでも駆けこんで、無視されるのが目に見える。
商談には決まって遅刻するが、言い訳がいつも『腹痛』。内科か精神科の受診を進められても拒否している事からして、仮病の可能性大だ。
私も何回か、被害にあった。
経費精算をするとき、決められた書式は守らないのは序の口で、あきらかに私用で使う物品に備品請求をしてきたりした。3回はクビになっていてもおかしくないはずなのだが、縁故採用、恐るべし。
そんなんだから、こうやって魔王様にけちょんけちょんにされるのだろう。
引きちぎられた紙片がゴミ箱に収まる音がする。
なんの書類かは知らない。けどわかることがある。間違いなく期限超過してる。
いい気味だ。
魔王様率いる今の人事部ならば、隙なんてあるはずがない。
片桐雄太がひととおり喚き散らして去っていったが、人事部のだれも、見向きもしない。
「ちょうどいいところにいたわ、光葉さん」
提出書類を確認してもらいながら、給与算定の資料を見ていたとき、嫌な甘さがまとった声がかかる。
やれやれと振り向くと、守りたい女子男性評価No.1、月詠美月サマが出入り口をふさぐように立っていた。
「なんでしょうか」
「あなたのせいでイベントの会場、抑えられてないじゃない!」
感情で動く人間は嫌い。この場でその話題を出すリスクもどうせわからないんだろう。
とはいえ、ここで話を遮るというのも、面倒だなと思ったので、なすがままに話を聞くことにした。
「どういうことですか」
「今度、営業部の販促イベント、前に総務にサンレックス観音でお願いしてたのに、規模の小さい、布袋ホールでの開催になってるのよ!」
なるほど、その件か。
事実を伝えればいい。せめて、言葉が通じる生物であってほしいけど。
「それは――」
「それに株主優待のチケットを発券するって話はどうなったの!? 社内報への掲載だって、申請したものと全然違うんだけど!」
月詠の金切り声が、人事部のフロア内に響き渡る。残念ながら私の願いは、神様には届かなかったらしい。
「あのですね。それは――」
「光葉さん。私はいいのよ? でも、あなたのせいで会社に大きな損害を与えているのよ?」
脅迫するように低い声で言われたが、私は屈する必要がないとわかっていたので、背筋をしゃんと伸ばして、月詠美月のほうに近寄った。
「私も発言してよろしいですか?」
同じように低い声と、殺気をこめた視線で問いかけた私を見て、ようやく口を閉じた月詠。
「イベント会場の件については来場客の見込みが十万人とという大規模のようですが、経路やブースの設置の関係で布袋ホールでの開催をお願いしております。当たり前ですが、すでに第四営業部の斎藤部長にも事情を説明して、了承いただいております」
私の言葉に、月詠美月はグッと唇を噛むのが見えた。
「株主優待チケットの件ですが、今回の企画は限定会員のためなので、見送ったという経緯があります。ついでに社内報については、先月の試飲企画を大々的に掲載しました。同じ枠での連続掲載が不可という規定、ご存じですよね?」
一気に喋りきった私は、小さくため息をつく。
「でも、だからって、なんで私の企画ばっか――」
「そこまでよ、月詠さん」
さらに反論しようとした月詠を抑えたのは、藍原さんだった。
一度デスクに戻っていたはずなのに、わざわざ奥から出てきてくれたらしい。
「これ以上は、あなたのためにならないわ」
「でも!」
「光葉さんの話は、周知の事実よ。それに彼女の担当外の話すらあったわ。言いがかりって、わからないかしら?」
藍原さんと月詠は仲がいいと聞いていたが、庇わなかったのが意外である。
それだけに後半部分だけワントーン低かったのが、地味に怖かった。
「わ、わかったわよ!」
これ以上、ここでの立場がないと悟った月詠は、そそくさと退散していく。
あとあとさらに面倒なことになったんだけど、それはまたべつの話。
緊張から解放された私は、座りこんでしまった。
「お疲れ様。はい! 今回も不備なしよ。ちゃんと受理しておくわね」
「あ、ありがとうございますっ」
ホッとして、受領証を受け取った。
「お前が光葉碧か」
「ふぇっ」
ようやく総務に戻って落ちつけると油断していたところへ、この時期にはふさわしくない、冷ややかで刺すような声が降ってきた。
まるで背中に氷を入れられたみたいな感覚で、変な声が出てしまった。
「総務部の期待の若手とは聞いていたが、月詠美月相手になかなかの立ち回りだったな」
「え?」
ちょっと待て。
魔王様に対して、だれがそんなことを言ったのか。
……多分、篠原部長だろう。あの人ホント、テキトーすぎ。きっと真面目に話すと、死ぬ病気にかかってるな。
「反論に粗はあるが、それでも及第点だ」
「あら、魔王様がそんなこと言うなんて、珍しいわね」
藍原さんが茶化していたが、魔王様には無視されていた。
「光葉碧。人事部に来る気はないか?」
理由もなにもかもすっ飛ばしたお誘いは、なかなかにインパクトのある伝説の幕開けだということを、このときの私は、まだ知らなかった。





