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天空のリヴァイアサン  作者: 朧塚
戦争の残り火
98/109

間章 焔の都市、コンロンへ。

「もう、お身体は大丈夫なのですか?」

 パイロットを勤めている、お付きの兵士が訊ねる。


「大丈夫だよ。心労で休んでいただけだからね。いつまでも寝ているわけにはいかないからね」

 ステンノーは軍用ヘリも兼ねている自家用ジェットに乗っていた。


 同じ核保有国にして、大気汚染、土壌汚染が広がる大国コンロン。


 空中要塞との戦争でエル・ミラージュは国家としてかなり消耗した為に、各種大国や小国への貿易に奔走する事になった。


「その…………。なんで、私が付いてくる事になっているのでしょうか……?」

 イリシュは、ヘリの後部座席でこじんまりと汗をだらだらと流しながら、『悪魔』ステンノーの結んだ長髪の後頭部を眺めていた。


(アネモネ)の紹介で、君は交渉の際に有能だと聞かされている。マフィアのボスであるヒルフェを始末する際に、魔王サンテに気に入られたそうじゃないか。アネモネの方もえらく君を気に入っている。だから、この俺も君を政治会談の付き添い人として雇う事にした」

 ステンノーは不気味な笑いを浮かべた。


 イリシュは泣きそうになる。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 いや、マジで本当に怖い。


 気を抜いたら殺されるかもしれない、石の彫像へ変えられるかもしれない。

 イリシュはおどおどとステンノーの一挙一動を見ながら、十数時間にも渡って半泣きで後部座席で震えていた。


「陸地に近付くまで絶対に高度を下げるなよ。魔王サンテが不在の今、海の魔物達は異常な長さの触手や跳躍能力で、飛行物体を深海に沈めようとしてくるかもしれない。船を難破させ飛行機を墜落させるセイレーンの類もいるからなあ」

 ステンノーはつねに操縦席に向けて、警戒を怠らないように指示を出していた。



 コンロンの王が住む城は、一年を通して赤い血の池地獄のような曼殊沙華の庭に包まれており、城全体も炎のような色彩を壁に塗られている。その城は『焔城』と呼ばれている。ステンノーと、コンロンの王は、城付近にある政治会談の場での会う事になった。


「おお。貴方様、自ら出向いてくださるとは」

 コンロンは、光武帝(こうぶてい)という名の者が国家主席を務めていた。

 還暦を過ぎているが、若々しく四十路くらいに見える。

 独自の民族衣装で出迎えてくれた。

 光武帝の周りには、沢山のボディーガードがいる。

 対して、ステンノーは、付添人としてイリシュ一人を連れてきただけだった。

 ステンノーの場合は、下手にボディーガードを付けるよりも、彼一人で戦った方が遥かに効率が良いのだろう。


「いえいえ。エル・ミラージュは、今、国家存続の瀬戸際にあります。竜の魔族達との戦いで疲弊尽くし、更に内部を吸血鬼に荒らされ、外部からも内部からも攻め入れられる立場にありました」


「なんでもドラゴンとは和解し、同盟を結んだとの事だと」

 光武帝は感心したような顔をする。


「そうですね。戦争は何も生みません。ただ、製鉄所、自動車工場、油田、果ては兵器工場に至るまで吸血鬼やマフィアに牛耳られておりました。彼らに中抜きされてましたし。この戦争を機に、彼らをこのまま肥え太らせ、貿易や領土の主権を奪われる事を回避する事が出来ました。今やエル・ミラージュは世界中から憎悪されておりますが、他国からの優秀な人材を吸血鬼達の行っていた仕事に回す事によって復興に回しております」


 聞く人間が聞けば、移民を体よく奴隷労働に使っているのだろうとイリシュには分かる。


「光武帝様。コンロンの民は、大気汚染、水質汚染によって、癌や白血病などを訴えておりますね。各種工場地帯から垂れ流される汚染物質によって民が苦しんでいるのだとか。汚染物質を含んだ作物や水を口にする事を強いられている」


「はい。連日、嘆願書が届きますが。私一人の力ではどうにも及びません。なにしろコンロン内に広がった汚染物質は早急にどうにか出来るものでもありませんから」

 光武帝は深々と溜め息を付く。


「エル・ミラージュの科学によって、浄化装置の開発を行いましょう」

 ステンノーは仰々しく告げた。


「ほう。それなら、我が国を再生させる事も夢では無い」

 光武帝は嬉しそうに言った。


 そうして、焔の国コンロンとエル・ミラージュの貿易は終わった。浄化装置を上手く取り付け、輸出する事が出来れば、エル・ミラージュの復興の足掛かりとなる。


 政治会談は何事も無く終わったみたいで、付添人であるイリシュはほっと一息付いた。


 話が終わりに見えた頃、ふっ、と、階段の場に訪れる者がいた。この部屋の奥には上へと続く紅いカーテンのような布に覆われた階段があり、その階段を降りてくる足音が聞こえた。


 現れたのは、何処か怖しささえ覚える美貌の魔物だった。獣人だろうか。人型をしており、九つの尾を持っている。耳は狐のそれだ。金色に輝く髪の毛は腰元まで伸ばしている。紅を引いたような真っ赤な唇が毒々しい。近付くと、花の香りを放っていた。


 巫女装束のような服装で身を固めており、腕や腹、太腿などを露出させており、際どい衣裳を纏っていた。全身から妖しい色香を纏った“男性”だった。


「貴方がエル・ミラージュの王様かな?」

 九つの狐の尾を持つ獣人は訊ねる。


「はい。ステンノーと申します。貴方が噂に聞く、白緋(はくび)様ですね」

 ステンノーは物珍しそうな顔で、その獣人の魔物を見ていた。

 白緋。

 焔の都市コンロンの代々の国王に仕える獣人であり、託宣者(オラクル)を勤めているのだと聞く。何百年、何千年と生きている魔物であると聞かされている。


「顔。覚えておくよ。君も僕の顔を忘れないように」

 真っ赤な花のような唇から、白緋は囁くように、ステンノーに告げる。


「心得ておきます」

 ステンノーはうやうやしく頭を下げた。


 白緋は、イリシュの方をじっと眺めた。

 そして、クスクスと笑う。


 イリシュは思わず委縮する。


「君は本当に悪い女だね。君がいる事によって、君の周りの者の命運は変化していく。それも老若男女問わずにだ。君によって人生を狂わされた者は多いだろうね」

 白緋は楽しそうな顔をしていた。


「………………。以前、友人からも似たような事を言われました。冗談めかした口調でしたが“傾国の美女”と」


「それは君に与えられた運命を適切に表している。それから君の使える魔法はかなり特殊なものだろう。魔法の名は何というんだい?」

 

「……まだ、名付けておりません。人の傷を癒やし、魔力も戻し、衣服まで直す事が出来る。少し前に、人の過去の記憶まで読めるようになりました…………」

 見知らぬ他者に、自身の固有魔法の情報開示を教えないのは基本原則だ。

 暴力と恐怖による威嚇の為に、自らの石化の魔法を誇示していたステンノーでさえ、固有魔法の全貌は隠している。だが、イリシュは、この絶世の美女のごとき立ち振る舞いをする男に、自らの全てを話してしまいたくなった。


 九尾の狐は、本当に楽しそうに笑う。


「運命を受け入れなよ。それが君に与えられたものだから」

 白緋はそう言うと、元いた部屋へと戻るべく踵を返し階段の上に戻ろうとする。


「で。俺の運命はどう視える?」

 ステンノーは腕組みをして、白緋の背中を眺めていた。

 白緋は振り返る。


「それは君自身がちゃんと知っている筈だよ」

 彼はそれだけ言うと、ステンノーに興味を無くして階段の上へと戻って行った。


 光武帝は慌てて、ステンノーに謝罪の言葉を述べる。



 コンロンの首都で、ステンノーとイリシュは観光を行っていた。

 チャイナドレスがこの国の民族衣装みたいだった。


 食堂で肉饅頭とフカヒレのスープを口にしながら、ステンノーはあれこれ考えていた。


「なあ。女性には何を贈った方がいいと思う?」

 ステンノーは神妙な顔で、イリシュに訊ねる。


「女性、ですか? ステンノー様は王子という身分故、女性慣れしているのでは……」

「いや。王宮のハーレムに近付く女達はほぼ全員が権力目的のゴミだ。俺は女遊びというものを知らない。女の好みはよく分からない。だが、俺にも大切な女はいる。教えてくれると助かるんだが…………」

 独裁者である青年は、敵を惨殺するよりも懊悩するように、フカヒレのスープをレンゲでかき回していた。

 同じ“王子”と言っても、あの軽薄な青年オリヴィとは極めて対極にある印象だった。


「意中の方がいらっしゃるんですか?」

「アネモネに。妹に、土産物を渡したい」


 イリシュは少し困惑する。

 この兄妹は、少し危ない関係なんじゃないかと思うくらいに、互いに対しての想いが強い。大国の王の考えは分からないな、とイリシュは思った。


「それと、お前に、何かプレゼントを贈りたくてな。せっかく、此処まで付いてきてくれたんだ。礼をしたい」

 ステンノーはまじまじと、イリシュの顔を眺める。


 イリシュは思わず頬が赤くなった。

 ステンノーは白緋程まで行かずとも、中性的な顔の美丈夫だ。逞しい隆々とした筋肉を持ち、長身でもある。控えめに言って、オリヴィよりも男前だ。国王、王子という肩書が無くとも、彼に容姿で惑わされる女は数知れずいるだろう。


「お、お礼なんて…………。でも、女の人にプレゼントを上げるなら、髪飾りとか、ブレスレットとか、香水などが良いと思いますよ!」


「ふうむ。アクセサリーの類か」


「は、はいっ! ドレスなどは、サイズを測りかねますし…………」


「そうか。此処に同行してくれた礼だ。何でも買ってやろう。アネモネへの土産品を選ぶ事にも協力して貰うが」

 ステンノーはそう言いながら、腕組みをして考え込み始めた。



 イリシュが何時間か観光旅行をしてステンノーを見ていて思った事なのだが。


 彼はベドラムと似ている。

 味方、仲間、あるいは自国民と認めた者には、物凄く気さくで優しく、時には配慮さえ感じる事が出来る。

『悪魔』。『人間の悪意そのもの』。『死の体現者』。

 ジャベリンの周辺国、都市三つを一日にして大量虐殺した者には、どうしても思えない。しかも、虐殺の映像を見て彼は嬉々として嘲笑していたと聞かされている。


 イリシュから見たステンノーは。

 どうしても、気の良い好青年にしか映らなかった。


 土産屋で大量の買い物をして、観光地の景観を楽しみ、果てはヘリのパイロットに渡す為の菓子や時計まで選んでいた人物が、吐き気を催す邪悪な存在である側面を持っている事実が、どうにも密接に繋がらないのだ。


「髪飾りに、指輪、財布と、お前は色々、強欲だね」

 ステンノーは優しく笑う。

「ええっ。大切な人達にあげたくて。それにステンノー様が好きなだけ選んで良いとおっしゃいましたので」

 イリシュは笑いながら髪飾りを頭に付ける。


 指輪はエートルとペアリングの物だ。今度、ジャベリンの墓地に行った時に久しぶりに墓参りに向かおうと思う。財布はダーシャに渡すつもりでいた。ダーシャは頻繁に賭け事で路銀を失っている為に、手持ちの財産を使い果たさないようにと予備の財布を渡したかった。


 たっぷり、三時間以上も観光を行った後、二人は軍用ヘリに戻った。

 ステンノーは土産の菓子と、パイロットに高級腕時計を渡した。


「ありがとう御座います。こんなものが観光店で売られていたのですねっ!」

 パイロットは素直に喜んでいた。


「何時間も待機させたお礼だよ。前から欲しがっていたモデルだろ?」

「よく、私の好みを覚えてくださっていたのですね」

 パイロットは文字通り泣いて喜んでいた。


 そして、二人は焔の都市コンロンを飛び立った。

 時刻は夜になる。

 空から見ると、ビル群が美しい赤い花のような光を放って、燃える都市を彷彿させた。

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