独裁国家。エル・ミラージュ ステンノーとヒルフェ。
ステンノーは深刻な顔をしながら、秘書から渡された書類を眺めていた。
「この戦争でマスカレイドの闇市場のマーケットが拡大化している。いや、マスカレイドという国のみならず、他の国々にもマーケットが広がっている。中流階級の人間が貧困層に陥り、鉄砲玉の底辺マフィアになったり、安く身体を売る売春婦が増えている。ドラッグも蔓延している。最近のブツは合法的に精神科から横流しされたものとか、薬局の市販薬が使われてるんだってね。規制もゆるゆるでさあー」
ステンノーは柔らかい綿が詰まったふかふかの豪奢なソファーに寝っ転がりながら、壁に貼られた映像魔法による中継を眺めていた。
「ヒルフェ。お前への不信感、いや、マスカレイドの国民の恨みは何処まで行くんだろうなー」
ステンノーは、部屋の中に佇んでいる髭面の男に訊ねる。
「国民からはむしり取れる時にむしり取る。それが私の信条なのでな」
陰謀の魔王ヒルフェは動じなかった。
ステンノーの背後には、毒刃のアネモネが控えていた。
少しでも、ヒルフェの言動を引っ張り出す為に彼女は此処にいた。
「国民は馬鹿で愚図だから、スリーエス制作。ポルノとスポーツの試合と下品で幼稚なコンテンツを国民達に与えていれば、国民は国家の言いなりになる。パンとサーカスとも言うね。政治に興味を持たない国民が、理想の国民だねえ」
ステンノーは自国に対する自嘲も述べながら、衆愚政治を小馬鹿にしていた。
国民は国民自ら、民主主義を放棄して、簡単に権力者の言いなりになる。
ステンノーの一族は、それを理解してエル・ミラージュに独裁体制を敷いている。
「俺は父上。今は大御所として政治の第一線を退いたザイレス国王を尊敬している。この国の経済を豊かにしてきた基盤を作ったからね」
ステンノーは家族以外の者達に、あるいは国民以外の外部の人種に異常な敵愾心を燃やしている。そしてそれは協定を結んでいる陰謀の魔王も例外ではない。
「で。ヒルフェ」
ステンノーは立ち上がる。
「なんだ?」
「お前、本当に俺達の味方なのかな? 俺の国、戦争継続の為の資金作りの為に、エル・ミラージュの一般市民が増税で苦しみ始めてるじゃねぇか」
ステンノーからは露骨に怒気が溢れていた。
「軍事資金を上げているんだろう? なら仕方無いだろう」
ヒルフェは不遜に答える。
「お兄様。やはり魔王として戴冠するのは浅はかだったのかもしれません」
アネモネは兄を後ろから抱き締めながら、ヒルフェを睨み付ける。
「魔王ヒルフェ。お前って愛する人とかいるの?」
ステンノーは素朴な疑問のように訊ねる。
「私は道理で動いている。世の中には裏社会の誠実さが必要だ」
ヒルフェは、珍しく少し彼なりの信念らしきものを見せる。
だが、ステンノーにもアネモネにも、彼の信念はよく分からない。
「マジで意味わかんねーよ。お前さ。愛する人、大好きな人を失った悲しみって無いわけ?」
ステンノーの問いにヒルフェは答えなかった。
「俺には大切な人がいた。母親だ。重い病気だった。このエル・ミラージュの最新の医療でも、最高の回復魔法の使い手でも治せなかった」
おそらくは、それは他人が耳にすれば、ステンノーの数少ない人間らしい側面が垣間見えるような発言だったのだろう。だが、ヒルフェはステンノーの言葉は、まるで何かの大義名分であるかのようにさえ思えた。
「気の毒だな。重い鬱病も入っていたと聞く。結局、自殺したんだろう?」
ヒルフェは会話に意味があるのか?といった声音だった。
「人間の心が無いんだな? お前。魔族だからそーなのか? マフィアだからそーなのか? ベドラムやサンテは違うみてぇーだから、お前には心が無いんだろうな」
ステンノーは吐き出すように言う。
「母親が亡くなってから。しばらくして俺は父親から国のトップの地位を譲り受けた。妹のアネモネと三人で食事をした。バラバラだった家族が分かり合えた。俺はこの国も地位も何もかもくだらねーと思った。猿みてぇーな教養しか無い自国の民が大嫌いだった。だが、俺は今では、そんなエル・ミラージュの国民達も愛しいものだと感じている」
静寂の魔王は、陰謀の魔王を睨み付ける。
「興味深い事を言うものだな。お前は沢山の自国民を処刑している。沢山の兵士を死地に追いやり、挙句にスナッフ・ビデオを楽しんでいる」
ヒルフェの瞳には、何の感情も灯っていなかった。
「そうだなー。お前の言う通りだ。俺は幼い頃からドス黒い感情を抑える事が出来ず、沢山、欲望に忠実に動いた。家臣たちから、よくサイコって言われていたなー。悪魔とも言われた」
ステンノーはしばらく黙って考えていた。
「魔王ヒルフェ。やっぱお前とは分かり合えないわ」
ステンノーはそう強く断言する。
「理解出来ないのならそれでいい。ビジネスの関係でいればそれでいい」
ヒルフェはステンノーの話が、酷く下らない事に思えているみたいだった。
「口を開けば、金、金、金。戦争は兵器メーカーやマフィアの上の連中ばかりが儲かる。ヒルフェ、お前はマスカレイドのマフィアの中心にいる。お前は自分の立場がどれだけヤバいか分かっていねーみたいだな」
「話はもうおしまいか? 私はこれからマスカレイドに赴く。何かと忙しいのでな」
そう言うと、ヒルフェは部屋を出ていった。
しばらくの間、静謐の空間が訪れる。
「アネモネ」
ステンノーは口を開いた。
「なんですか? お兄様」
「この戦争が終わったら、遠くに三人で家族旅行をしよう。政治などはしばらくの間、大臣に任せよう。お母様の遺影を持って、父上と一緒に海外のビーチにでも向かおう。観光名所を巡るのもいい」
「国民から大ヒンシュクを買いますよ。国家の長が、一番忙しい時期に何を遊んでいるのだと」
「今やエル・ミラージュは、戦争のせいで、利権屋が設けて貧困層に転落した者達が増えている。国策の失敗が始まっていると。今更、国民から糾弾される材料が増えても構わないさ」
アネモネはステンノーを強く抱き締める。
アネモネは、ある種、狂信的な程に、兄を慕っていた。
ステンノーも彼女の様子に応えるかのように、彼女の髪を撫でる。
「家族とは良いものだね。お母様が存命だったのなら、どれだけ良かったのだろう。父上は俺を次世代のエル・ミラージュの栄光を背負う者として、怪物になるべく育て上げた。それが愛情なのかは分からない」
「でもザイレス様は優しいですわ」
「そうだね。家族の愛のカタチはそれぞれだ」
ステンノーはアネモネの額に口付けをする。
アネモネは頬を真っ赤に染める。
ステンノー、ザイレス、アネモネ。
彼らの一族は、人間でありながら、産まれながらにして異常な残酷性を好む嗜好を兼ね備えていた。他者の痛みへの共感性に薄く、故に一族は繁栄してきた。
「この戦争を最後まで戦おう。アネモネ、やって貰いたい事がある」
「はい」
「ヒルフェを許すな」
「もちろんです」
アネモネは兄から身体を離すと立ち上がり、部屋の外を出て行った。




