独裁国家。エル・ミラージュ 戦争の渦中。イリシュ達。
アネモネはお姫様だった。
世界有数の大国であるエル・ミラージュの若く美しいお姫様である。
このような肩書のみを述べると彼女は派手な暮らしをしていると思われがちだが、彼女の実態はかなり一般的なお姫様とは違っていた。
まず淑女といったような気品を醸し出していない。
彼女を知らない人間が、彼女に会えば、田舎町の庶民の娘に見えても仕方の無い事だろう。エル・ミラージュで生産される質の良いブランド品を身に付けているとはいえ、華やかさと言うにはいささか身繕いが少ない服装を好んで着ていた。王冠や派手なドレスというのは、煩わしいといった感じだ。
それに、アネモネは贅沢な暮らしに慣れず、ふらりと護衛も付けずに、国内のファーストフード店などに立ち寄ったりする。むしろ、高級ラウンジなどに出入りする成金との結婚目当ての庶民の女達の方がアネモネよりも、よっぽど男の視線を意識した派手なドレスを纏い、派手な食事を口にしていた。
髪の毛も、一見すると乱雑に切ったような髪型で、シャギーの切れ込みを入れていた。口調は丁寧な言葉を使っているように聞こえて、露骨に慇懃無礼な節が多い。言葉の裏につねに相手への皮肉や嫌味さえ感じる。
彼女はエル・ミラージュの城内に特別な個室を持っており、そこは研究室のような場所になっていた。試験管や顕微鏡などが置かれ、無数の薬品が置かれた棚がある。彼女にとって、此処こそがもっとも居心地の良い空間だった。
エル・ミラージュの王族は、代々、戦士の素質があり、戦場で兵士を指揮する将軍を行う者も多かった。彼女の父親のザイレスも、兄であるステンノーもそのタイプだ。
アネモネはというと、エージェントのような黒装束の格好で暗殺の仕事に多く携わっていた。それが『毒刃』の異名の由来だった。
多種多様な毒を使い、標的を毒殺する。
刃物に毒を塗り、暗器を懐に忍ばせて標的を殺害する。
それが毒刃のアネモネ。
エル・ミラージュの王女だった。
そして、王女でありながら、あくまで国家元首であるステンノーの懐刀としての任務を遂行しに今日も仕事へと向かう。エル・ミラージュの栄光をその胸に掲げて。
†
エル・ミラージュのホテル内にて。
イリシュ達四名は、ジャベリン周辺の街三つに核ミサイル三つが命中した事がニュースによって知る事になった。映写機によって、ミサイルが発射された事とミサイルが落ちた現場が遠くから撮影されている。
イリシュは蒼ざめた顔をしていた。
全身の震えが止まらず、冷や汗が流れ続けている。
友人知人は大丈夫なのだろうか?
冒険者の居酒屋で出会った皆は?
ホテルの扉を叩く音が聞こえた。
アネモネがそこにはいた。
高級ラウンジで会って以来だ。
相変わらず、禍々しい雰囲気をその身に纏っていた。
彼女は何名もの衛兵達を連れていた。
「さてと。皆様、ステンノー様のご意志により、吸血鬼達に対しての“問題の最終解決”が行われる結果となりました。貴方達の中には吸血鬼がいますね。ご同行お願いします」
アネモネは腕を組みながら、不気味に笑っていた。
「ちょっと待ってくださいっ!」
エルフのリーファは叫んだ。
「吸血鬼に対する最終解決って、どういう事なんですか?」
リーファは困惑していた。
「そのままの意味ですわ。何処かの吸血鬼の王がステンノー様を挑発して、結果、エル・ミラージュ全ての炎に油を注ぐ事になりましたわ。エル・ミラージュの栄光の為に、吸血鬼という存在は邪魔であると我が国の国家元首は判断なさったのです」
アネモネは部屋の奥にいるベッドに座っているミレーヌを睨み付けた。
ミレーヌは観念した顔で、立ち上がった。
「分かりました。私を何処にでも連れていってください。お伺いさせて戴きます」
ミレーヌは衛兵達によって連れていかれる。
「あのっ! ミレーヌさんは、いつ帰れるんですか?」
イリシュは不安げに訊ねた。
最終解決。
明らかに嫌な予感がする。
イリシュ達は抗えずに、じっと待つしかなかった。
エレスは歯噛みしながら、自らの渾身の攻撃魔法をアネモネにぶつけようと考えていた。ミレーヌは此処、数週間の間に仲良くなった友人だ。旅の仲間だ。彼女をみすみす敵国の手に渡していいものだろうか。
エレスは気付けば、身体が動いていた。
その場にあった帚に、雷撃の魔法をまとわせながらアネモネ達へと接近する。
「強い魔法使いですのね」
アネモネも地面を蹴っていた。
アネモネは雷撃の魔法の突進を避ける。
アネモネの全身が跳ね上がり、彼女は空中で一回転する。
エレスの首筋に、アネモネが掌底を繰り出す。エレスは叫ぶが、体勢を立て直して、再び、帚から電撃を解き放った。辺り一帯を高火力の雷撃魔法が覆うとしていた。衛兵達は引き下がり、中には、エレスの攻撃を喰らった者もいたみたいだった。
ショットガンのように、エレスの雷の魔法は部屋の中に佇むアネモネに向けられていく。イリシュとリーファはこんな場所でやるなとばかりに半泣きになりながら、部屋の隅に逃げる。
エレスは瞬時に攻撃を避けられて、アネモネに距離を詰められていた。
エレスの繰り出した攻撃をアネモネが避けて、彼女の首筋に手刀のようなものが入れられた。更にその際に、何かがアネモネの袖の下から飛び出して、エレスの首筋をなぞっていた。
エレスは地面に派手に突っ伏して、立ち上がれなくなっていた。
勝負は数十秒くらいで終わっていたと思う。
「私はこの国の王女でありながら、暗殺の任務もこなしております。それにしても、彼女、殺すには惜しいですわね。三日程、麻痺毒で苦しむでしょうが、命に別状は御座いません。では、この方の方は連れていきますね」
そう言って、アネモネは衛兵と共にミレーヌを何処かへと連れていこうとしていた。
エレスは地べたを這いながら、悔しそうにアネモネの後ろ姿を睨み付けていた。
「私の……私の雷の固有魔法『レディ・キラー』は…………、地面を這う事も出来るっ!」
エレスは地面に突っ伏しながら、小さな雷をガラガラヘビのように地面に這わせてアネモネを追跡していた。
「避ける事は簡単ですが。あえて受けるとしましょうか」
アネモネは立ち止り、エレスの攻撃をその身に受ける。
エレスはジャベリンの冒険者パーティー、最強クラスの魔法使いだった。彼女がいるお陰で様々な困難なクエストを乗り越え、ダンジョンのモンスター達はエレスの強力な雷魔法によって焼き尽くされていった。
アネモネは雷撃をまともに全身に喰らっていた。
だが、エル・ミラージュの王女の全身を電撃の魔法が焼く事は無かった。
アネモネの服一つ焦がさず、雷撃はホテルの天井を大きく焼き払った。
「私の固有魔法である『ブラック・ウィドウ』が、その貴方の雷撃を“毒”と判断いたしましたわ。私は毒物を受け流す固有魔法を使える。私は毒と共に生きていますの」
エレスは愕然としていた。
毒刃のアネモネ。
ステンノーの陰に隠れているが、強力な魔法使いだ。これまで出会った、あらゆるモンスター達よりも遥かに強い。その身のこなしは暗殺者として一流なのだろう。
エレスの右腕をアネモネが踏み付ける。
体重を掛けられ、ゴリゴリと手首の骨がへし折れていくのが分かった。
「そこの修道女のお嬢様に後で治して貰いなさい。ただ、私に歯向かった事は痛みで償って戴きます」
アネモネはうずくまると、自由になっているエレスの左手首を手に取る。
ごきゅり。
ごぎょり。
ぐぎゅり。
ぐしゃり。
べきょり。
親指。人差し指。中指。薬指。小指。
一本一本を丁寧にねじ曲げてへし折っていく。
「まだ続けますか? 今度は肋骨でも。ちなみに肋骨は左右12本ずつあるのですよ。私は拷問官も務めております。貴方の人体を効率的に壊す方法は幾らでも知っております」
そう言うと、アネモネは何処かからか取り出した小さなアイスピックのような針を、ぐりぐりとエレスの耳の奥へと押し込んでいく。ぶちゃり、と、何かが潰れる音が聞こえた。
「その前に鼓膜を破りましょうか。ああ、もう破れましたね。あ、そうだ」
アネモネのいつの間にか、ナッツ剥きのようなハサミのような道具を取り出していた。
「鼻を削いだり、死なないように舌の先を切断する事も出来るのですよ? ですから」
アネモネは跳躍すると、エレスの右足首に全体重をかける。
ごばぎゅり、という、凄まじい音が響いた。骨が折れるというか、粉砕される音だった。
彼女の部下の衛兵達も、自らの主人の残虐性と容赦の無さにドン引きしていた。
エレスの全身が電気を帯び始めていた。
エレスは右手首をへし折られ、左手首の指をねじ曲げられ、右耳の鼓膜を破られ、左足を粉砕されても、なおもアネモネを押しのけて立ち上がっていた。
苦痛で涙を流しながらも、何かを言おうとしていた。
「ミレーヌを…………。ミレーヌを、連れていかないで…………っ!」
それを聞いて、アネモネはお腹を抱えて笑う。
「もう止めてください、エレスさん。私は、話し合いをしに行くのです。ですから、これ以上やると貴方が…………っ!」
連行されるミレーヌは叫んでいた。
エレスの全身が雷へと変化していった。
アネモネはその様子を眺めながら、微笑ましそうに笑う。
「美しい、友情ですわね」
エレスの胸元に重い掌底が当てられたのは、エレスが地面に突っ伏していた後だった。意識がどんどん遠退いていく。意志や根性ではどうにもならない箇所を攻撃されたみたいだった。エレスはそのまま気を失い、全身を雷化する魔法も解いていたみたいだった。
アネモネはエレスを抱きかかえると、部屋のベッドに放り投げる。
「充分に治療してくださいね。イリシュさん。この子はとても強い。エル・ミラージュの魔法部隊の兵士に欲しいくらいですわ」
そう言うと、アネモネは衛兵達にミレーヌを連行させて立ち去ろうとしていた。
イリシュは思わず叫ぶ。
「あの、あのっ! ミレーヌさんは、無事に戻れるのですかっ!?」
腹の底から引きずり出されたような声音で、イリシュは叫んでいた。
アネモネは冷たい表情をしていた。
「それは約束できません」
そう言うと、アネモネはこの場を去っていった。
イリシュとリーファは、ミレーヌの今後を理解して、ひたすらにうずくまって泣き続けていた…………。




