独裁国家。エル・ミラージュ ステンノーの凶行。
「夜明けの黒いミルク。私達はそれを晩に飲む。
私達はそれを昼と朝に飲む私達はそれを夜に飲む。
私達は飲み、そして飲む。
私達は空中に墓を掘る。そこなら狭くない」
パウル・ツェラン「死のフーガ」
放射性廃棄物が漏れないように丁寧にケースに保存された黒焦げ死体。
生き延びた者達を捕虜として連れ込んだ医療施設での映像。
大量に敷き詰められた敵兵の頭蓋骨。
地雷で吹き飛んだ幼子の手足。
「人間って面白いよね。此処まで原型を止めなくなるんだから」
ステンノーは自国の殺戮兵器によって殺した者達の人体を収集し、阿鼻叫喚の地獄を映像として観続けるのを生きる喜びとしていた。人間の形をした悪意そのもの。ステンノーは同胞である自国の民からもそう恐れられていた。
全身が焼け爛れた人間が水を求め呻き歩く声を集めて、編集し、一時間の音楽にしている。彼は寝る前によくベッドルームに流す。
ステンノーは人間を殺す時、自分が神になれたような気持ちになれる。
救済と慈悲を、彼によって殺される者達は願う。
それらを踏み躙る時、ある種の万能感。全能感のようなものを感じる。
ステンノーはある種の観念。
この世界を特殊な彼の感覚で生きている。
それはサイコパス的だと言われる事もあるし、人外的だと言われる事もある。シンプルにサディストだと言われる事もある。
死に触れる時、彼は生を実感出来る。
†
図書室に来ると落ち着く。
自分が一体、何者なのかを思索出来る時間を作れるからだ。
「俺達の血筋は異常な加虐嗜好の家系だよ。遺伝子レベルでおかしいんだろ。なあ、アネモネ。普通は人間というものは、他国の人間でも苦しんでいるのを見れば、涙を流すものらしい。我が国の軍人達がそうみたいだ」
ステンノーにとって、それは理解が出来ない感情だった。
凶悪殺人犯の多くは、虐待や貧困が原因なのだと聞く。
サンテも似たようなタイプだろう。過剰にこの世界に敵意を向けている。
ソレイユやヒルフェは人間をただのビジネスの道具としか考えていない。
「人間の感情を理解するのは難しいものだね。日々の経験で身に付けていくしかない。別に俺は父上が酷かったとか、スラムの育ちでも無いのだけどね」
パラパラと、ステンノーは倫理に関する本を流し読みしていた。
「ふふっ。私はそんなお兄様が素敵だと思うのですわ」
アネモネは楽しそうに笑う。
彼女もまた嗜虐趣味に取り憑かれていた。
歌い、踊るように彼女は実兄の言葉に賛同する。
「俺が核ミサイルを撃ち込んでやった場所に、吸血鬼達が医療施設を作り始めている。吸血鬼の王は俺にビジネスを持ちかけて、向こうでは、大量の医療班を派遣している。善意のフリをしているけど、民の税からふんだくっているんじゃないかな」
「ふふっ。本当の善意かもですよ?」
アネモネは話を聞いていて楽しそうだった。
「今度は、ケプリ・キャッスルに核ミサイルを撃ち込むべきだな。だが、調査の結果、奴は太陽の魔法を手に入れたと聞いている。特殊な防御魔法が張られている。何処までも腹立たしい奴だよ」
「それよりも、世界各国で、我がエル・ミラージュの反戦デモが行われているらしいですわ。最悪の独裁国家として我が国は糾弾されている。エル・ミラージュの栄光と、私達の首は危ないですわね」
アネモネの瞳は無邪気そのものだった。
「シルクロードの砂漠にて。ドラゴン達との戦闘により、多くの兵の命が失われましたわ。やはり人間ではドラゴンに勝てない」
アネモネはクスクスと笑う。
どうせ、非正規軍の者達。他国の傭兵達が数千人死んだだけだ。彼ら二人にとっては何も問題はない。エル・ミラージュの栄光は続いていく。
「いいさ。消耗戦を仕掛ければ何とでもなる」
ドラゴン達と戦う者はエル・ミラージュの属国と化した途上国の兵士達だ。エル・ミラージュの市民の血は流れていない。ステンノーは自国の人間で無いのなら、幾らでも使い潰せる冷酷さがあった。
「ああそうだ。アネモネ。ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーを淹れてくれないか。連中の阿鼻叫喚の映像がドローンを通して届いたみたいだ」
「かしこまりました。お兄様」
アネモネはコーヒーポットを手を取った。
†
冒険者達の多くの故郷であるバグナク。
破滅の太陽……ミサイルが落とされたその日から一日にして、ステンノーはジャベリン周辺全土の者達の憎悪の対象となった。
防護服を纏った吸血鬼の兵士達が医師団を引き連れて、廃墟と化した焼け野原へとやってきた。ただただ人の死体が転がり無数の蠅が飛び交っていた。残存した放射性物質によって、この辺りは死の荒野と化していた。
そこはただただ、腐った肉の臭いと硝煙の臭いが充満していた。
「生存者はどれだけ発見出来るのだろうか……」
兵士の一人がまだ熱の篭る大地を踏みしめながら、その場へと近付いていく。川や湖など水辺に人が集まって、そのまま力尽きた者達が多かったみたいだった。多くの者は焼死体となり、全身にガラス片や石や木材などが突き刺さっている死体もあった。
「エル・ミラージュの核兵器は最新型だ。威力は街一つを焼き滅ぼすというタイプだが、皆殺しにするつもりで撃ち込んできたのだろう。とにかく、生存者を探そう」
「まだ熱が篭っているな。爆風だけで、一帯がまっさらな更地と化している……」
水辺の方には、瓦礫が残されており、全身に火傷を負っているが何名か生存している者もいるみたいだった。
死体の中にはまだ幼い子供や妊婦。幼子を抱いた少年の姿もあった。
大量の蛆が湧いている。
皮膚は剥げ、眼球は溶けて飛び出し、頭蓋骨から脳が溶解していた。
犠牲者の数は四万人か五万人くらいだろうか。
一日にして死んだ。
教会も役所も街の観光名所も市場も全て吹き飛ばされて、廃墟の山ばかりが続いている。人々の生活の営みが全て消し飛んでいた。
まだ生きている者達の悲鳴が聞こえた。内臓がはみ出し、全身の大部分が焼け爛れ、炭化し、もう助からない者達ばかりだった。
此処に救護に来た兵士達は、ステンノーの異名が『悪魔』である事を改めて思い出す。この地には純然たる死と人の生み出した悪意そのものばかりが広がっていた。
†
「将来的に、吸血鬼達を撃ち滅ぼす為に『絶滅収容所』を本格的に作ろうと思うんだ。早い方がいいね。建築作業のコストや時間をカットする為に、使っていないスポーツ・ドームを改装したい」
ステンノーはドローンで届いた映像を見ながら、三つの街の曼陀羅のような地獄絵図を巨大スクリーンに流していた。
絶滅収容所。
大量の人間を人体実験の末に抹殺した場所。
ローズ・ガーデンの研究者達が、率先してそれらの建造物の作成に加担していた。
「お兄様! お兄様っ! 幾つもの大国が永久平和を訴えておりますわっ! マスカレイドの国王様も戦争の終結と永久平和の訴えを行い始めましたわっ!」
アネモネは天真爛漫な表情になる。
アネモネは反戦ポスターや反戦の風刺画。戦争の惨禍を描いた絵画を集めるのが大好きだった。図書室の一室に大量に飾ってある。彼女は身分を偽って、他国の平和を願うコンサートに行ったり、核兵器の悲惨さを訴える資料館に行ったりするのが大好きだった。人々の平和への祈りを聞くのを甘い蜜のように好んだ。
「そうか。マスカレイドはヒルフェの管轄だな。ヒルフェにこのスクリーンの映像を送り付けよう。マフィアの連合は信用出来ない。散々、自国の福祉予算削って、増税しまくって、核兵器開発の資金にあてて、キック・バックで利潤を得ていたくせに、都合の良い話だよ」
「マスカレイドとは同盟を解消して、今後、敵国に回しますか?」
アネモネはさしずめ小悪魔のように無邪気に笑う。
「どうだろうね。あそこは国王が腑抜けだから、現状維持を続けるだろうね」
「軍事産業と連携しているマフィアに国民の血税をむしり取られているのにですか? 本当にマスカレイドという国は愚かな国ですわ。我らの戦争で、あの国はますます格差社会が進むでしょうね」
「そうだね。エル・ミラージュは吸血鬼やマフィア共に金をむしられない徹底して行動する必要がある。俺達はベドラムの率いるドラゴン達ではなく、本質はヒルフェや吸血鬼達のようなビジネスに乗っかって儲けようとしている連中と戦っているのかもしれないからな。俺はエル・ミラージュの栄光の為に戦い続けるよ」
ステンノーはゆったりとくつろいで、自らが核を落とした悲惨な現場の映像を楽しんでいた。
「それがお兄様の大義ですの?」
アネモネは訊ねた。
「そうだ。俺は我が国エル・ミラージュを愛している。民を、自然を、街並みを、文化を、だから死の神になる」
ステンノーの瞳の奥には、強い決意が宿っていた。
その場に、エル・ミラージュの国民がいれば、それは、ある種の彼なりの正義感のように映っただろう。少なくとも、アネモネの瞳にはそう映った。
アネモネは邪悪な言葉をなおも囁き続ける事にした。
「なんで“自国に対する愛情を、他国の者達に少しでも分けてあげられないのか?”って平和活動家の人達は叫んでおりますわよ? もし、エル・ミラージュに核が落とされた時の気持ちを考えてみろと言っておりますわ!」
アネモネはステップを踊った。
「考えた結果。最適解は、それでも俺は俺の信念と理想を貫くしかないと思った。それだけの事だよ。政治会談の時には、そう伝える」
ステンノーは妹の淹れた、甘い角砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーを口にした。コーヒー豆は途上国から安く買い取ってこの国に仕入れている。エル・ミラージュの栄光は、他国の犠牲の上によって成り立っていた。
†
ソレイユとステンノーの交渉が決裂してしばらくした後の事だった。
ある種、完全に後の祭りといった状況になっていた。
巨大な太陽が三つも、ジャベリンの周辺に落とされて、ロゼッタは、何が何か分からず、呆然自失といった態度を取り、ある種、縋るように、吸血鬼の街へと向かった。
ケプリ・キャッスル内に、ロゼッタとダーシャの二人はいた。謁見の間だ。
ソレイユは豪奢な椅子にゆったりと座りながら、何やら深刻そうな表情をしていた。
「ベドラムにも問い詰められたが、私はエル・ミラージュの竜殺しの武器の開発には関わっていない。それくらいの道理はわきまえているつもりだよ」
ソレイユは、はあ、と、心外といった顔をしていた。
ロゼッタは嘆息する。
「で。これからどうするの?」
彼女は憔悴しきった顔で吸血鬼の王に訊ねる。
「ステンノーは想定以上に道理なんて考えてなかった事が分かって困っているよ。我々、イモータリスも敵国認定されてしまった。せっかく、向こうにも戦争で傷付く兵士達の為のケアとして、戦争孤児達の施設なども作ろうと考えていたんだけどね」
容赦の無く核を発射されて、この場にいた者達は、みな思考停止状態になっていた。
「話聞く限りでは、ソレイユ。貴方、いい王様ね」
ロゼッタは笑った。
「ビジネスだよ」
吸血鬼の王は自嘲的な顔になる。
「貴方は誤解されやすいけど、私は貴方は誠実だと思ってる」
ロゼッタは腕を組みながら、再び大きく溜め息を付いた。
だが、放った言葉とは裏腹に、ロゼッタの瞳は吸血鬼の王から探りを入れていた。
二人のやり取りを隠れて見ながら、ソレイユはおそらくステンノーを刺激したんだろうなあ、とダーシャは結論付ける。ロゼッタが吸血鬼の王に騙されなければいいが…………。だが、自らが仕える者が騙された時は…………。
ダーシャは眼の前の胡散臭げな男に弓を引く想像を膨らませていた。
ロゼッタと二人で、ベドラム相手に完全敗北して、この男にどう挑めばいい?
だが。それはまた先の話だ。
魔王ステンノー。
ロゼッタは完全に判断力も思考能力も破壊され、ただただ、現地から送られてくる地獄絵図の映像を眺めて絶句するしかなかった。
これが戦争。血も涙もなく、ただただ民の屍が転がり、屍に虫が集っていく。炎は各所で今も燃え盛り続けているのだと聞く。




