独裁国家。エル・ミラージュ 魔王サンテの海の軍団。
リノンは今年、九歳になる。
スカイオルムの漁師の家で生まれ、彼女は街の料亭で磯の匂いがする料理を少しずつ学んでいる。
彼女は逃げ惑っていた。
一時間程前に海の魔物達が街に攻めてきて、街を荒らし回っていた。
その後に遠くの丘の辺りから、人間や動物、鳥などを改造して融合させたような奇形の怪物達が現れた。
リノンははぐれた両親を探しながら理解する。
海の魔物と奇形の化け物達。
どちらも敵なのだと。
†
巨大な触手が家々を倒壊させていく。
触手は海から次々と現れて、街を圧し潰していった。
サンテがいよいよもって上陸しようと近付いた際には、怪物達の封印魔法ははね飛ばされたみたいだった。代わりに、背後に戦艦に乗って待機していたエル・ミラージュの兵士達の動きが止まる。
「なんで。あんたが此処にいんの?」
サンテはしばらくの間、消息不明だった倫理の魔王の姿を見て呆れた顔をする。
「面白そうだったから。後、そうだね。君の配下のクラーケンに身体をボロボロにされた。その復讐でもしようかと思って」
「自業自得だって聞いてるんだけどなぁああぁ?」
触手がジュスティスの生み出したキメラ達を薙ぎ倒していく。
触手の出現と同時に、海上都市は次々と水浸しになっていく。
「そう言えば、先代の海の魔王とはよく話をしたけど。君とは余り会話した事無かったねぇえ」
ジュスティスは容赦なく非道にも、サンテの軍団の侵攻で死んだ海上都市の衛兵達と転がっている海の魔物の死体を繋ぎ合わせてキメラを新たに作り出していく。
「ベドラムから吐き気がするクソ野郎って聞いていたんだがなぁー。やっぱ、あんた、そうだったかー」
「失礼だねぇ。僕はスカイオルムを護りに来たんだけどねえ?」
ジュスティスは飄々とした態度を示す。
出来上がったグロステクなキメラの完成度を見て、喜んでいるようにも見えた。
「なんでこの戦争に参加してる?」
倫理の魔王は訊ねる。
「テメェこそなんで飛び入り参加してんだ? 頭スポンジかあ?」
悪夢の魔王は巨大な触手に腰掛けながら、ジュスティスを見下ろしていた。
「僕と君には共通点がある。国とか信念とか正義とは無縁だろう?」
彼はとても楽しそうな顔をしていた。
「だなぁ。本当は私はどうだってよかった。魔王の役職も、そもそもこの世界もどうだっていい」
サンテは巨大な海の怪物の頭部に跨り、頷く。
クラーケンの類だろう。
ジュスティスが遭遇したものとは別の個体だ。ジュスティスが襲撃された怪物よりは一回り程小さい。だがそれでもこの海上都市を破壊し尽くすには充分な程の体躯をしていた。クラーケンだけじゃなく、何種類もの海の怪物達がひしめき合っている。
「じゃあなんで、この戦争に参加してるんだい?」
ジュスティスは訊ねる。
「この世界が憎いから、ちょうどイイ機会だと思ってな。ついでにこの前、死んだ弟分の鎮魂歌を人間共の悲鳴から作れる。幸せそうに平和に暮らしている人間共のなあ…………」
海の中から巨大な触手が現れて、幾つもの家屋を薙ぎ倒していく。
「ベドラムと似たタイプと思ったけど、君はまるで違う精神性みたいなんだねぇ」
「あたしは竜の女王が嫌いだ。奴は人間が好き過ぎる。この腐った世界に理想を掲げようなんざ吐き気がする」
「なら。引いてくれないか?」
ジュスティスは、意外な事を口にする。
「何故だよ?」
サンテには彼の思惑がまるで分からなかった。
「この海上都市の者達を皆殺しにするつもりだろう?」
「まあな。敵国側の貿易の要を潰す為にな」
巨大なウツボの姿をした怪物が何体も上陸していく。ウツボ達は都市に向かっていき、生きている人間を丸呑みし始めていた。
「この国では海産物の料理が盛んだ。僕の友人がこの国の郷土料理、観光が出来なくなると嘆くと思うのでね」
「テメェみてぇなクソ野郎にお友達なんていたのかよ? 違うよなぁ。口先だけの大ウソだよなぁ? テメェの口裂いてクソでも詰めてやろうか? 意味のわからねぇー事を二度と吐けねぇーようになぁー」
「君に弟分なんていたのかい?」
二人の間にしばらくの間、沈黙が訪れた。
沈黙こそ続いていたが、サンテの送り出す怪物達は、陸に上がっていく。
「まあ。お互い、事情が変わっちまったかもなぁー」
サンテは飄々としたような表情をする。
ジュスティスはニタニタと笑っていた。
二人にとって、この戦争は心底、どうでも良かった。
正義も信念も理想も祖国への想いも何も無かった。
ビジネスでさえない。
一個の憎しみと、一人の愉快犯がいるだけだった。
そして二人の間には、果てしない心の空漠、虚無ばかりがあった。
サンテはジュスティスをまじまじと眺めながら、首を傾げた。
「マジで誰の為の戦争なの? これ」
サンテは腕を組んで首を傾げる。
「ベドラムとステンノーかな? 一応、魔族代表と人間代表が世界の支配を掲げている。それに乗っかる形で死の商人のヒルフェや戦争利権屋のソレイユが金儲けの為に動いているよ」
ジュスティスはくっくっ、と笑う。
「あたし、頭悪いぃから、よく分からねぇーんだけどさぁー。他のクソ共に利用されてる?」
サンテは唇のピアスを弄り始めて、何かを考え込んでいるみたいだった。
「そうなるね」
ジュスティスはいきなり噴き出すと、腹を抱えて笑い出した。
サンテは腕を組んでしばらくの間、考えているみたいだった。
「何がおかしい? あたしを嘲り笑っているのか?」
「いや。君もそうだけど。自分自身も馬鹿馬鹿しくなってね」
「何がだ? 言えよ」
サンテは少し腹立たしくなって、返答次第では、巨大な触手の鞭打をこのふざけきった男に撃ち込もうか悩んでいた。
「ヒルフェやソレイユのように、何故、僕はもっと合理的な事が出来ないのかと思ってね。……彼らのような情熱が無いんだろうな。なあ、サンテ、僕らは何故、悪意をまき散らす事しか出来ないんだろうねぇ。他人からの憎しみを金や利権に変えられない」
どうやら、ジュスティスは自嘲しているみたいだった。
「くだらねぇーと思ってるからだろ」
サンテは小さく溜め息を付いた。
「まあいい。スカイオルムの侵略は止めだ。エル・ミラージュの兵隊共も連れてきたはいいが疲弊しまくっているみたいだしな。あたしは今日は帰るわ。これからどうするかは“気分で決める”」
侵略は止めた、と言い放っておきながら、サンテは満足そうな顔をしていた。
もはやスカイオルムは壊滅的な状態だった。
止めたというよりも、既に彼女は任務を終えた、といった方が正しいのだろう。彼女の周りには大量のスカイオルムの船の残骸が転がっていた。もはや、貿易都市としての機能は此処は破壊し尽くされていた。
彼女はステンノーの配下である、魔物の戦艦に乗ったエル・ミラージュの兵士達にも帰るように指示を出す。
「じゃあ僕も今後の事は“気分で決める”事にするよ。ああ、そうだサンテ」
「なんだ?」
サンテは振り返る。
「僕は『ローズ・ガーデン』に向かう。君の生まれた場所だ」
ジュスティスはにたりと笑う。
「へぇえ?」
サンテは興味深そうな顔をする。
「あそこに入る方法を教えてくれないか? 地図上でも見当たらない」
「ジャベリンに巣を張った時みたいに悪巧みすんの? なら教えるけど。正直、あんたがジャベリンを引っ掻き回したから、ベドラムが窮地に立たされたって聞いた。このあたしを空の上からずっと見上げやがって…………。あの女を苦しめる為なら幾らでも力を貸してやりてぇーぐらいだ」
「そうだね。そうしようと思ってね」
「あたしを生んだ。魔法学院『ローズ・ガーデン』を“攻略出来る”といいな。楽しみにしてる」
†
「さてと。サンテを説得したよ」
ジュスティスは通信機で、友人に話し掛けていた。
<マジで? 兄貴さあ。どうやったの?>
「取引をした。彼女がスカイオルムを政治的拠点にしない代わりに僕が『ローズ・ガーデン』の負の遺産に挑む。それだけだよ」
ジュスティスはリノンという少女の部屋にいた。
彼女が探していた両親が瓦礫の下に埋もれていたので、わざわざ助けて家まで連れてきたのだった。
リノンはジュスティスに何度も感謝していたが、ジュスティスは心の中で少女を蔑んでいた。少女の両親二人は身体の所々を骨折していたのでベッドの上で安静な状態にしている。
「キメラの兵隊は多ければ多い程いいねえぇ。予想以上に生存者が多くて、駒の数に不自由しなくて助かっている」
ジュスティスはリノンと少女の両親二人をどう素材に使って、どんなデザインのキメラに変えようか考えている最中だった。
<なあ。聴いてる? 英雄気取りも悪くないもんだぜ。良かったじゃん! 兄貴さあ、ジャベリンでは極悪人だけど、スカイオルムでは英雄として崇められるぜ!>
「…………。君と会話してると調子狂うねぇ。じゃあ、そうしようか」
リノンはジュスティスの黒いローブにしがみ付く。
「おじちゃんは、私の勇者様です…………。お父さんとお母さんを助けてくれた…………」
ジュスティスは少しの間、腕組みをして考えた後。
「じゃあ、この国ではそうなろうか」
少女の頭を優しく撫でた後、少女に何もせずに、少女の家を出ていった。
「時間魔導士フリースの保持していた機密文書の複写が欲しい。場所を指定してくれないか?」
<もう一度ジャベリンか。いや……俺はロゼッタに眼を付けられ始めてる。イモータリスで落ち合えないか?>
「馬鹿だね。あの街全体はソレイユが目を光らせている。ジャベリンの周辺国の別の場所がいい」
<……分かったよ。怪しまれないように、何とか動いてみる>
電話は切れた。
………………フリースやロゼッタの両親などは知っている事だが、ジュスティスはジャベリンで昔、宰相の地位に就いていた時、ジャベリンの教会などを通して福祉活動や教育に力を入れていた。……もちろん、ジャベリンを巨大な人体実験場にするという裏の目的があったが、ジャベリンの政治を良くしようとする行為には積極的に行動した。
ジュスティスはつねに善と悪を極端に行き来する。それは彼の求める混沌でしかないが、とにかく、彼は悪人でしかないが、何故か善意の行動も行う不思議な悪人だった。
そして今回は、善の行為を行おうと思って、サンテを止めた。
彼にとっては、それだけの事だった。




