独裁国家。エル・ミラージュ 大都市の高級ラウンジ。
高級ラウンジの一室だった。
スーツを着た男性が、ラウンジ内にいる女達と酒を飲み交わしていた。
毎日のように、このホテルではパーティーが開かれている。
ミレーヌが見つけてきた場所だった。
窓からは大国の夜景が見えた。
室内は静かなジャズ・ミュージックが流れている。
「こんな場所で何か情報が見つかるものですかね」
イリシュはノンアルコールのシャンパンを飲みながら、ミレーヌに訊ねる。
「まあ。当初の目的通り、エル・ミラージュの市民がどういう暮らしをしているのか見るのは必要だって事よ」
窓の外には温水プールがあり、モデルや芸能活動をしている者達がプールで楽しんでいた。此処はこの国の女達が成功者の金持ち達と交流する為の社交場だ。
「貴方に最初に声を掛けてきた者を一番、警戒して」
ミレーヌはそれだけ言って、エル・ミラージュの男達に色目を使っていた。
エレスの方は恥じらいもせず、水着に着替えて温水プールで泳いでいた。エレスにとってはどんな身分の者達も関係無いのだろう。
男達は派手めな女とよく酒を飲み交わしていた。
ミレーヌは男達の間に入って、何やら雑談を交わしていた。
イリシュは完全に困った顔でソファーに座っていた。
一時間程、イリシュは居心地を悪くしながら、この夜の社交場の空気を吸っていた頃だろうか。
オレンジ色のドレスを纏った、濁った薄緑色の髪をした女が部屋の中に現れる。髪型はボブカットにシャギーを入れて、何処か剣呑な雰囲気を持っている人間の女だった。年齢は二十代くらいだろうか。
男達の何名かが彼女を見て息を飲んでいた。
男達に続いて、ラウンジ内でお酒を飲んでいた女達も何名かも入ってきた女を見つめていた。
突出した美女というわけではない。
妖艶な雰囲気を持っているわけでもない。
どちらかというと、顔には幼さが残っている。
オレンジ色のドレスの女は彼女を見ている者達を睨み付ける。
気まずそうに、彼女を見つめていた者達が彼女から眼をそらす。
薄緑色の髪に、オレンジのドレスの女は無言でイリシュの席の隣に座った。
イリシュは背筋に寒気が走る。
「で。黒服に呼ばれて私がきたけど。ジャベリンの田舎娘が何しに来たの?」
女は冷たい声音でイリシュに訊ねる。
「え、ええ…………。そ、その…………」
「正直に答えた方がいいと思うけど? あそこの吸血鬼の女と、プールで馬鹿みたいにはしゃいで泳いでいる青髪の小娘。後、成金男の一人に酒を注いでいるエルフ。全員、あんたの仲間でしょ?」
イリシュは完全に委縮していた。
潜入が完全にバレてしまっている。
そもそも、ロゼッタ達の作戦は欠陥ばかりでは無かったのか。
この社交場に入り込んだミレーヌの計画も完全に悪手では無かったのか。
「エル・ミラージュの人々を…………見に来ました…………」
「何の為に?」
薄緑色の髪の女はイリシュに近付いてきて、肩を寄せ合う。
「私。殺し屋のアネモネって言うの。あんた、名前と素性は?」
「イリシュと申します…………。ジャベリンで修道女をしています…………」
アネモネと名乗った女はイリシュの肩に手を回す。
「これから私の質問に正直に答えられる?」
「出来る限りは……………」
アネモネはシャンパンの一つに、紙袋に包まれた粉薬を入れていく。
「正直に答えられない場合はそのシャンパンを飲み干して貰うわね。成人男性が飲めば三十秒で血反吐を吐き散らして悶え苦しみ死ぬ薬を入れた。分かったわね?」
「は、はい……………っ!」
「何名でこの国に潜入した?」
「私と……この部屋にいるみんな四名だけです」
「貴方は魔法使い?」
「は、い…………」
「他の三名も?」
「……そうです…………」
「ふうーん」
アネモネは少し愉快そうな顔をしながら、エル・ミラージュの夜景を眺めていた。
室内にいる男の一人がイリシュの方を眺めていた。
アネモネが一瞥して睨むと、男は慌てて眼を逸らす。
「見世物じゃないからねぇー。処でイリシュと言ったっけ? あそこのプールで泳いでいるファッション・モデルの一人なんだけど。鼻整形してるわよ。見れば分かるわ」
「は、はあ………………」
「エル・ミラージュの成金狙いの馬鹿女共は、美容で頭がいっぱいだから、整形をしている女が多い。執拗に美に執着する。外見だけ小綺麗にして金のある男と結婚したがる。怠け者ばっかりだからねー。結婚して男の金でずっと遊び惚けたいのよねー」
「わ、私の仲間からも、この国の女性は、そういう国民性だって聞きました…………」
「ブッ細工な女が鼻とか目尻とか整形してさー。ホント、必死よねー。鼻の整形とか失敗多いんだってー」
そう言うと、アネモネは何がおかしいのか、きゃははははははと笑い始める。
そして、おもむろにシャンパンの隣にあった食器類の中からナイフを手にして、イリシュの鼻元に突き付ける。
「イリシュちゃんさー。鼻を切断された人間の顔がどんな風になるか、見た事ある? マジ、滑稽な顔してるの。どんな美人も凄い化け物みたいな顔面になる」
アネモネはイリシュの足首に、自らの足首を絡ませる。
「回復魔法とかさー、高度な医療による治療とかされると嫌なのよねー。せっかく落としてやった鼻の治療が出来ないようにさー。私、切断部位の傷口をバーナーで焼いたり、毒物で腐らせたりするのよねー。その時の女の阿鼻叫喚の悲鳴ってレコードに録音したくなる程、綺麗なのよねー」
アネモネは何が可笑しいのか、腹を抱えて笑い続けていた。
「スプーンで眼球ほじって、ついでに両耳も削いでさー。そしたら骸骨みたいな顔になるのー。美容整形した馬鹿女にやると、物凄いスカッとするのよねー。前歯抜いたり、唇削ぐのもいいよねー。ホント、エル・ミラージュの女は、容姿しか無いから、オモチャにすると楽しいんだよねー」
イリシュは黙っていた。
答え方を間違えれば、この女は話しているヤバい事を実行する……。
アネモネはバーテンに向かって指を鳴らした。
「未成年だっけ? ジュースは何が好き?」
「…………。オレンジ・ジュースとか、好きです…………」
アネモネはメニューに手を伸ばすと、パラパラとめくる。
「イワシのマリネと。鴨肉のソテー。ドライソーセージ。シーザー・サラダ。フライドポテト。ブルーチーズ。この中で苦手なものある?」
「……ブルーチーズは少し臭いと味が苦手かもです…………」
「バーテン。じゃあ、それは無しで。残念、鴨肉ともソーセージとも合うんだけどなー」
アネモネの表情は無邪気そのものだが、その瞳が獰猛な昆虫のようなものをイリシュは感じ取っていた。
「正直に、答えろと言われたので…………」
「宜しい。私の奢り。頼んだの、私の好物一覧なのよねー」
アネモネはイリシュから身体を離した。
しばらくして、料理が次々と運ばれていく。
アネモネはバーテンが出したオレンジ・ジュースに粉薬を入れていく。
イリシュは先にオレンジ・ジュースを飲むように言われた。くるくる、と、アネモネの手の中で鋭利なナイフが回っていた。
アネモネは粉薬を入れたシャンパンを手に取ると、それを飲み干す。
「それ。私の奢りだからちゃんと全部、食べてよね。この店、高いんだから」
「は、はあ…………。ありがとう御座います」
「じゃあ。私はもう帰る。エル・ミラージュの夜を楽しんで。イリシュちゃんー」
そう言うと、アネモネはバーテンにチップを払うと部屋を出ていった。
しばらくしてミレーヌがイリシュの元に来る。
「大丈夫…………?」
「な、なんとか………………」
イリシュはだらだらと冷や汗をかいていた。
「一緒に飲んでいた男から聞いたんだけど。あの女、ステンノーの腹心の部下だって聞いた。“毒刃のアネモネ”。腹心の部下にして、れっきとしたこの国の王女。その気になれば、私達四名、この場で全員、殺されていたかも…………」
ミレーヌはシャンパンの入ったグラスを手に取る。
「……こっちの方にはしっかり毒が入っている。いつの間にか、自分で飲む方とすり替えていた…………」
「りょ、料理をちゃんと口にしないと…………」
イリシュは全身が汗だくになり、眩暈がしていた。
ミレーヌもイリシュの異常に気付く。
イリシュは必死で出された料理を平らげていく。
オレンジ・ジュースの中には遅効性の毒を入れられており、おそらく、出された料理の中に解毒剤か……毒を分解する為の成分が入っている。イリシュは半泣きになりながら、アネモネから出された料理を口にしていた。
「熱烈な歓迎を受けたわね…………」
ミレーヌが大きく溜め息を吐く。
「二度と囮にされるのごめんですからね」
「でも。大物が釣れた。ステンノーの懐刀にしてこの国の王女アネモネが接触してきた。イリシュ、よくやったわ」
ミレーヌがイリシュの頭を撫でるが、イリシュは内心びくびくしていた。心臓がいくらあっても足りない。




