絹の道、シルクロード シルクロードの列車 1
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オリヴィの情報は完全に途絶えてしまっていた。
イリシュとダーシャが、古道具屋の店内を掃除している中、あの殺し屋の男が書き置きを残しているとは思わなかった。
‐標的の赤髪の男は、シルクロードの列車に乘っているのを目撃した奴がいる。ヒルフェの親父はシルクロードの砂漠の辺りに目星を付けている。途中の商人が集まるオアシスが怪しいが未だ見つからない。一応、探すか。‐
自分用のメモ書きだったのだろうか。
「あえて私達の為に残してくれてますよね?」
イリシュは訊ねる。
「ああ。そうみたいだな」
ダーシャは頷く。
マスカレイドからエル・ミラージュへと続く途中の砂漠の道は、貿易商達が多く歩く絹の道、シルクロードと呼ばれている。また絹が富をもたらすものとして、それを指し示すものとして、マスカレイドと大砂漠、エル・ミラージュやその周辺国全体を通して『シルクロード』と示す場合もあるそうだ。
「どうせ手掛かりは無い。今すぐ列車へと向かうか?」
ダーシャは訊ねる。
「乗車券の購入が必要ですよ。あと、出来れば、掃除を手伝って欲しいです…………」
ダズーが泣きそうな顔でぐちゃぐちゃになった店内を見ていた。
イリシュは疲れ切って倒れていた。
見ると、ほとんど気絶しているような感じだった。
「分かった。列車での出発は明日にしようか」
ダーシャは二階の寝台まで行って、イリシュを寝かせる。
彼女は何か奇妙な力を使ったみたいだった。
イリシュの『固有魔法』の秘密に関係してくるのか。
イリシュはかなり汗だくでうなされているみたいだった。
「早急に急ぐものでもないしな」
ダーシャはせっかくだから、観光でもしようかと考えた。
†
次の日の事だ。
イリシュとダーシャの二人は、列車を待っていた。
時刻表を見ると、後、二十分程で列車が付く。
「さて。途中のオアシスとやらに行ってみるか」
ダーシャは溜め息を付く。
昨日、BARやカジノで遊び過ぎた。
ルーレットにハマってしまい、熱くなり過ぎてしまった。
結局、大損してしまったのでバツが悪い。
「ベドラムが酒を控えている理由が分かったぜ。飲みまくってなければ、正常に判断出来たんだけどなー。なんで、あそこであんな賭け方したかなあ」
二日酔いで頭も痛い。
ダーシャは財布の中身を見て、頭を抱えていた。
滞在費が底を付いたら、イリシュに借りよう。本当に情けない…………。
もうすぐ列車がやってくる。
ふと、ダーシャは人込みの中から何者かが近付いてきているのが分かった。
静かな足音だった。
不気味な足音だった。
黒いコートの男だった。
口髭と顎鬚を綺麗に整えている。
精悍な顔の男だ。
「お前は?」
ダーシャが訊ねる。
「魔王ヒルフェと言ったら、分かるかな?」
コートの男は口元を歪めた。
ダーシャは背筋が凍り付くのが分かった。
……隙がまるで無い。
リベルタスとはまた違ったヤバさを醸し出している。
人の中に当たり前のように住み、そしてその絶大な存在感は周囲を圧倒していた。
マフィアのボス。
それが魔王ヒルフェに対する印象だった。
「これから、もうすぐ列車がくるな」
ヒルフェの背後から、仮面を被った人物が何名も現れる。
仮面の人物達は、頭から袋を被せてられて両腕を縛られた人物を取り押さえていた。ヒルフェは縛られている人物の袋を取る。
ダーシャとイリシュは驚く。
猿ぐつわを噛まされた、昨日、会った殺し屋。シトレーだった。
「少し質問したいが。君達は彼に何かしたか? 何か気が変わって、私が仕えている男、シンチェーロのポケットから財布を強奪しようとする愚行に走ったのだ」
「やっぱ。馬鹿やらかしたのか、そいつ…………」
「こいつ。シトレーはな。やってはいけない事をやったのだ。後はどうなるか分かるだろうにな」
「なんで、わざわざ俺達の前に連れてきた?」
ダーシャは訊ねる。
「さてな」
列車は近付いてくる。
イリシュはシトレーがこの後、どうなるのか気付いた。
「やめて…………。許して…………、あげて………………」
イリシュは昨日、自分を襲って、凌辱した挙句に殺そうと画策していた男の命を必死で救おうとしていた。
「駄目だな」
ヒルフェはイリシュを冷たく見ていた。
シトレーの身体が空中に放り出される。
彼は縛られたまま、線路の上に突き落とされた。
列車がやってくる。
ダーシャは息を飲んでいた。
「どの社会もそうだが。やった事に対しての落とし前を付ける必要はあるだろう」
列車の急ブレーキは間に合わないまま。
シトレーの身体は列車の下敷きになった。
ぐしゅり、と、線路には沢山の血と肉片が飛び散っていた。
列車を待っていた者達の何名かに、潰れた顔のパーツなどがこびり付いて、彼らは悲鳴を上げていた。
シトレーは肉塊となり、彼の右腕は宙を舞い、ごとり、と、ダーシャとイリシュの眼の前に無造作に転がった。
「何故。俺らの前で処刑した」
ダーシャは気付いている。
恐怖を植え付ける為だ。
魔王には逆らえない。
逆らった者はどういう末路を迎えるのか。それを眼の前で示したのだ。
「エルフの青年。修道女。早くこの街から出ていけ。私はオリヴィという男を始末する事を命じられている。あの肉塊には君達を狙うように言ったが、私自身は君達の命には興味が無い。今、失せれば見逃してやろう」
イリシュは倒れてうずくまっていた。
「ちょうど俺はお前を殺したかった。この腐った裏社会を作っているお前が気に入らないからな。お前自ら出向いてくれて良かったよ」
ダーシャは弓矢を手にして、ヒルフェへと向けていた。
「私と争うのは君達にとって無益だと思うが」
「黙れよ。今、此処で死ねよ」
ダーシャは弓を引く。
矢が的確にヒルフェの頭に向いていた。
「少しだけ、私の力を見せるとするか」
ヒルフェは右手を上げる。
「私の固有魔法は『マインド・スライス』と言う。体感して貰おうか」
ダーシャは………………。
気付けば、自分がバラバラになって転がっている事に気が付いた。
身体がバラバラになっても生きている。
……精神操作系か…………? 幻覚魔法の類か…………?」
全身が酷い裂傷の苦痛に苛まれていた。
痛みも確かに感じている。……いや、四肢が切断されれば、ショック死する程の激痛の筈だ。これの苦痛も幻覚だろう。
気付けば、ダーシャは汗だくになりながら列車のホームに立っていた。
得物である弓と矢は地面に転がっていた。
ヒルフェの魔法を味わって、このままではまず勝てない事を嫌という程、思い知らされる。
「もうすぐ、マグロとなった死体の掃除が終わるそうだ。行き先は同じだろう? 一緒に乘っていくか?」
ヒルフェは余裕たっぷりの口調で二人に訊ねる。
イリシュは蒼ざめた顔をしながら、シトレーの右腕を抱き締めていた。
「なんで…………。なんで、こんな酷い事を………………」
イリシュは呟いていたが、ヒルフェはイリシュに対して興味を失っているみたいだった。
やがて列車周りの清掃が終わり、五分後に列車が動き出すアナウンスが流れる。
「さて。私はこの列車に乗るぞ。君達も付いてくるか?」
ヒルフェはそう言って、部下と共に列車の中へと入った。
ダーシャはうずくまっているイリシュを抱きかかえるようにつかんで、二人一緒に列車に乗った。
「それは置いていけよ…………。死者なんて蘇生しないんだから」
ダーシャはかつてシトレーの一部だったものを、イリシュの手から奪い取って放り投げる。イリシュは放心状態に陥っているみたいだった。
「私のせいで。また人が死んだの…………?」
列車の中に入って、イリシュはダーシャに訊ねる。
「お前のせいじゃないだろ。あれはあの男の悪意だ。俺達を恐怖で屈服させる為のな」
列車はごとんごとんと、動いていく。




