絹の道、シルクロード 崩壊炉の荒野。
1
「ローリエは若い騎士だった。彼は黒焦げの焼死体で見つかった。頭蓋から溶けた脳がはみ出ていた」
ロゼッタは城の周りにある泉の前に座り、杖を泉に向けていた。
水連がぷかぷかと浮いている。
「ローリエとこの泉で会話したわ。彼は立派に騎士として生きる事を誓っていた。だからヴァルドガルト。貴方の厳しい訓練にも耐えていた」
ロゼッタの隣には、老年の騎士が佇んでいた。
「そう言えば、ルヴァリーともこの泉で話したっけ。彼はヴァルド、貴方を深く尊敬していた。ルヴァリーはドラゴンの爪でバラバラにされて死んだ。先日、彼の奥さんと娘さんと会ってきたわ」
水面が揺れている。
「クリスティア。ザラッシュ。ヴィード。……私は騎士団の一人一人の名前を憶えている。彼らには親があり、妻や恋人や友人がいて、子供もいた。みんなベドラムとその家族のドラゴンに殺された」
ベドラムは、今、王都の庶民達と友好関係を築いていっていると聞いたが…………。
彼女と眷属のドラゴン達によって、殺された者達の家族は納得していない…………。
ロゼッタはその事を知っている。
水面が揺れ、人の顔を作っていく。
ロゼッタの魔法『アクアリウム』によって、亡くなった人々の顔が再現されていく。
「騎士は…………。死を覚悟して生きるものです」
ヴァルドガルトは告げる。
「私は認めていない」
ロゼッタは憎しみの篭った瞳で水面を眺めていた。
「よりにもよってあの女が世界征服宣言をしたから。またジャベリンが危うくなっている。やはり、ジャベリンはドラゴンと同盟を結ぶべきじゃなかった」
ロゼッタは深い溜め息を付いた。
「ベドラム殿に対して思う事があるのは分かります…………」
「そう。私はこれからもっと強くなりたい。あの女を殺せるように」
「その意気込みはベドラム殿は喜ばれるでしょうな」
「真面目に聞いて欲しい。私は本気でどうやって、あの女を始末するか考えている。後、バックにいるブラック・ドラゴンも倒す。吸血鬼の王も」
ロゼッタは相変わらずといった調子だった。
「私。昔から読書は好きで。魔王退治の物語は好きなのよね。イリシュの幼馴染のように。強大な力を持った異世界から現れた英雄が、ばったばったと魔族を退治して人々を守るお話は大好きなのよね」
「我々の現実はそうならなかった………………」
騎士団長は苦笑する。
「強大な力が欲しい。最強無敵の力が。どんな敵でも倒せる魔法使いになりたい……………」
ロゼッタは思い詰めた顔をしていた。
「それよりも。……良ければ、その、吸血鬼の王ソレイユ殿から誘われたのですが。ベドラム殿と、ディザレシー殿、ロゼッタ様。四名で人間世界の果てにある“崩壊炉の荒野”を見に行きませんか? 人間同士が引き起こした最悪の戦争跡地です。わたしも行くか迷ったのですが、業務が忙しくて………………。ロゼッタ様だけでも」
「そう? なら行くわ。私は世界を見たい」
ロゼッタはあっさりと承諾した。
「何処かで憎しみの連鎖の折り合いを付けられなかった国々の末路とも言える場所です………………」
ヴァルドガルトは優しくロゼッタの頭を撫でた。
もう子供じゃないんだから、と。ロゼッタはその手を振り払った。
2
人は何度でも同じ過ちを繰り返す…………。
ソレイユから誘われて、三日後の事だった。
何日も掛けて、この大陸へと辿り着いた。
途中、途中で降りて食事やトイレ休憩を済ませる事になった。
戦争の残り香がする場所である『崩壊炉の荒野』へと三人と一体は降り立った。
ベドラム、ソレイユ、ロゼッタ。そしてディザレシー。
朽ち果てた大陸だった。
中心部は何も無い荒野と化していると聞いた。
この大陸に降り立つと、ビルの廃墟が並んでいた。
人が住んでいた残り香はあるが、もはや人が住めなくなってしまったゴーストタウンだ。もうどれくらいの時間が経過したのか分からない程、廃墟は蔦や木の根などによって浸食されていた。
「放射能汚染区域の中心部にまで行くなよ。どんな種族でさえ被曝すれば死ぬって言われてる」
ベドラムは注意深く辺りを探っていた。
ドラゴンでも吸血鬼でも、人間が作り出した最悪の物質の前では無力という事なのか…………。
<これが人間が生み出した惨劇ってのが。お前らにとっての皮肉以外の何物でも無いな。我々でさえ、この荒野は創り出せない>
遥か高くから、荒野の向こうを見ていたディザレシーは、少し腹立たし気にロゼッタに言う。
この先にある場所は、何度も核兵器が使用され、沢山の人間が死んだ死滅都市と化している。今もなお、広がった放射性物質の毒が宙を舞い続けている。
核兵器。核物質。
人間界で“太陽の魔法”。“光の魔法”としても魔法に応用され、利用された科学兵器。
「どうだったの?」
ロゼッタは上空で見下ろしているドラゴンに訊ねた。
<中心部に向かうに連れて、草木も生えていないし、虫もいない。近付くと死ぬな。半永久的に消えない毒物として残っている>
「そう」
ロゼッタも遥か地平線の先を眺めていた。
この辺りは自然に満ちている。
大国に行けば、世界各地で森林が伐採され、絶滅した動物もいると聞く。
此処は皮肉にも、中心部の外側は動物達の楽園になっている。
「でも、一応。行ける処までみなで行きましょう」
ベドラムとソレイユは頷く。
しばらく歩いていくと。
原型をとどめている民家が幾つもあった。
ロゼッタはソレイユと共に、家々を回っていた。
かつて何十年も昔に、人々が暮らしていた空気が流れている。
お互いを抱き締め合っている白骨死体を眼にする。
「核兵器が生み出す惨状は、現代のどんな魔法よりも悲劇を引き起こすとされているよ。それでも人間はこの悪魔の兵器を手放せない。何故なんだろうね」
ソレイユは自らにも問い掛けるように呟く。
風が吹く。
ソレイユのコートがはためいていた。
砂埃が朽ちた自動車の残骸に飛び散っていく。
「私は魔族を倒せばそれでいいと思っていた。でも、これは人間が起こした惨劇なのよね」
ロゼッタは廃屋の一つへと入っていた。
地面に転がっているぼろぼろに朽ちた人形を手にした。
人の生きた残り香がする。
「ああ。非常に残念ながらね」
ネズミが床下には這い回っていた。
生き物の気配がする。
「狐や鹿なんかが森には生息しているんだな…………。緑も多く繁殖している。人間なんていない方が、動物や植物の楽園になっているってのは何ていうか皮肉だな!」
遠くにある森の方を眺めていたベドラムが大声で叫んでいた。
「だが、中心部に向かえば、死の国だ。知性ある者が踏み込んではいけない領域だな」
ベドラムも、この場所はいずれ訪れたかったみたいだった。
今回、みなで機会を作ってこの場所を見る事になった。
空中要塞とエル・ミラージュの世界征服の宣言は行われている。
互いが死力を尽くした結果、このような荒野になるであろう事が多いに予想出来た。
「これは人間と魔族の戦争によって作られたものじゃなくて、人間と人間同士が争って生まれた惨状。私はもっと人間という生き物について知らなければならないわね」
ロゼッタは廃屋の窓から、空しそうに何処までも続く、死の荒野の地平線を眺めていた。
「私は世界を征服する事を決めているが。私以外の誰が、どのような目的で、この世界を統治しようとしたとしても、この“人類の負の遺産”からは眼をそらす事は出来ないだろうな。人間がどのような過ちを繰り返して、どのような結果を起こしたのかを知る必要があるだろうな」
ベドラムは工場跡地へと向かっていた。
蔦が絡み付いた廃墟と化している。
「正直、過去の彼らと同じような過ちを繰り返さないという自信は無いが…………」
ベドラムは珍しく、憂いた顔をしていた。
自分が起こした事の意味を噛み締めているみたいだった。
「君達は本当に純粋だね」
ソレイユは荒野に生えている枯れ木を眼にする。
まだ、緑が少し芽生えていた。
もう少し外側にいけば、沢山の自然が溢れている。
「二人共、良い王になれると思うよ」
ソレイユは、枯れた植物の葉に触れながら呟く。
此処はまだ生命が残っている。
だが、同時に汚染物質も大気に漂っている……。
いつか完全に元に戻る事があるのだろうか。
此処に住み続けた人間は死に、自然に囲まれた動物達も突然死する生き物が多いのだと聞く。
「貴方は良い王様では無いの?」
ロゼッタは訊ねる。
「私は多分、違うと思う」
吸血鬼の王は、首を横に振る。
ロゼッタは廃屋の中から古びて表面がボロボロになっているアルバムを見つける。
それは家族の写真だった。
戦前の写真も映し出されている。
街中で撮影したと思われる写真も多かった。
この崩壊炉の荒野は、かつては、こんなにも綺麗な街並みをしていたのか……………。
「これは持ち帰る」
ロゼッタはアルバムを手にする。
「この人達が生きた証。此処に確かに生きた街があったっていう証だから」
彼女はアルバムを強く抱き締めた。
†
「人間であるエル・ミラージュのステンノーが“魔王”として戴冠したからな。もし奴の側が戦争を仕掛ければ、あらゆるものが終わる。人間と魔族の戦争という物語が崩れ去り、人間界には大きな不幸が訪れるだろうな。それを阻止しなければならない」
ベドラムとソレイユは廃墟の中を歩きながら、深刻な顔をしていた。
エル・ミラージュは核兵器を大量に保有している国だ。
ステンノーと、国王のザイレス。
そして背後にいる軍事産業をどうにか封じ込める必要がある。
「人間と魔族の戦争という物語が続いていれば良かったんだ」
ベドラムは、地面に転がっていた小動物のヌイグルミを蹴り飛ばした。
ヌイグルミは空中で爆裂する。
興味を持って拾った子供を殺傷する為の、子供の玩具を装った悪質なタイプの地雷だった。
この辺りには戦争で使われた兵器の残骸なども、今なお残っている。
ベドラムは王都の居酒屋で冒険者達と食事をした事を想い出す。
小さな街で浮かれ騒いで、自分達が英雄になれると思っている馬鹿な連中。
危険なダンジョンに潜り込み、過去の遺物を漁ったり、モンスター退治をして周りからちやほやされたいと思っている愚か者達。
ベドラムやディザレシーでさえよく分かっていない、過去の大魔王と勇者の戦いの物語に夢を見ている者達。
彼らにもきっと、大切な家族がいるのだろう。
「この荒野を創り出したのが、人間と魔族の戦争などではなく、人間同士の戦争であるという事は未来永劫に伝えなければならないんだろうな」
ベドラムは転がっている、遥か昔に白骨化した死体を見ていた。
「私が語り継ぐ。人間の代表にはなれないけれど、王都ジャベリンの代表ではあるから」
ロゼッタは写真機を取り出して、戦争の惨状を写真に収めていた。
「イリシュには悪いけど………………」
ロゼッタは独り言でも呟くように言う。
「あの子の幼馴染。エートルって言ったっけ? エートルは弱いから死んだわけじゃない。無知だから死んだ。この世界の事を何も知らなかったから死んだ」
ロゼッタは冷たい表情をしていた。
「手厳しいな。それはその男に言っているのか? イリシュに言っているのか?」
ベドラムは水筒に入れておいた果物のジュースを飲みながら訊ねる。
「私自身に言っているつもり。私は愚か者になりたくない。死ぬなら、せめて、ちゃんとこの世界の事を知って死にたい」
「今後、人間も魔族も関係無くなるな。何故、過ちを繰り返すんだろうな」
二人共、同じように大きく溜め息を付いた。
ベドラムは森の方に未だ残っている、ぬいぐるみ型地雷を不快そうに破壊しながらまわっていた。幼い子供を殺傷する為に作られた爆弾だ。動物達はすぐに危険を感じて地雷に触れる事は無いみたいだったが、ベドラムはそれでも忌まわしいものを消し去るように玩具型地雷を壊して回っていた。ヌイグルミだけでなく、オルゴールや船の模型の形をした爆弾も無造作に置かれているみたいだった。
ロゼッタは丁寧に此処で生きていた者達の遺品をカバンに詰め込んでいた。
遠くでは、黒竜と吸血鬼の王が二人を見ていた。
黒竜は天空から、地面へと降り立つ。
<おい。男同士。秘密の話がある>
ブラック・ドラゴンは、二人の若き女君主達には聞こえないように、吸血鬼の王に訊ねる。
<ソレイユ。貴様はこの『崩壊炉の原子炉』の“設計図”を手にして、何がしたい>
ディザレシーは吸血鬼の王に訊ねる。
「君らは色々、私を信用していないけど。目的はシンプルだよ。吸血鬼側に、魔族側に“光の魔法”や“太陽の魔法”と呼ばれる。実質的な大量殺戮兵器のサンプルを、科学兵器の設計図と、それの応用で生まれる魔法の概要共々に知識として握っておく必要があるんだよ。特に我々、吸血鬼は人間や他の魔族よりも、より耐性が無いからね」
<教会が保管しているってのも、人間側が意図的にやっているのか?>
「人間界の教会は腐った権力の温床なんだ。ジャベリンなどの田舎の国なら、教会が掲げる貧困者の救済や、信仰による救い、孤児院の運営などに勤めているのだけどね。世界全体から見れば、既得権益……人々からの寄付や国からの福祉の資金を横領している場所と化しているんだよ」
<信仰に救いが無いんだな。大国の貧困層は教会を憎んでいると聞くな>
「ジャベリンは珍しい国だよ。元老院や教会がちゃんと民主主義を支える場所として機能している。でも大国の元老院、所謂、大国では“国会”と呼ばれている場所はマフィアが入り込んでいたりする。大国の教会は、腐った元老院によって維持されている。福祉の為に教会に流れる資金が元老院に所属している者達のポケットに入る」
<ロゼッタとはその辺りをちゃんと話し合った方がいいな。だが、ソレイユ。貴様はまだ信用ならない>
「………………。信用を勝ち取れるように努力するよ」
<後。ロゼッタは、ベドラムや俺達、殺したがってるだろ。眼付き見れば、分かるぞ。いつ寝首かこうか考えているな>
ディザレシーは楽しそうに、何故か嬉しそうに笑った。
「君は観察眼が鋭いね。それは私も見抜けなかった」
ソレイユは何処吹く風といった口調だった。
<あの娘は化ける。強さの質こそ違うかもしれないが、いずれベドラムと並ぶ。俺は楽しみだ>
ディザレシーは、まるで妹がもう一人出来たような口調だった。
そして。
<俺はお前を殺したい>
ディザレシーの口元から笑みが消える。
しばらく二人の間で沈黙が訪れた。
「この荒野に来て、わざわざ戦争の残り香を肌で感じ取っても。君やロゼッタはそんな感じなんだね。嘆かわしい事だ」
ソレイユも口元から笑みが消える。
<そうならないように外交努力してるんだろ。殺意ってのは我慢するものだ。誰だって、殺したい奴の一人くらいはいる。だが、ソレイユ。お前が先ほど言った事以外の目的で“太陽の魔法”を悪用するなら、ベドラムやロゼッタの代わりに、俺がお前を始末するからな>
ディザレシーの口調には抑揚が無かった。
ソレイユは強大な黒竜の発言に、返答しなかった。
しばらくして、帰る準備が整った。
三名共、それぞれの国を統治している権力者だ。
だからこそ、世界の真実を見なければならない。
しばらくして、ディザレシーに声を掛けられ、四名はこの地を去る事となった。
魔王ヒルフェ。
魔王サンテ。
魔王ステンノー。
三名との戦いに備える為に。
少なくとも、今は結託しなければならない。




