絹の道、シルクロード 王都ジャベリンの居酒屋。 2
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時刻は明け方に近付いていた。
人間の世界の“月の光”が大地を照らそうとしていた。
人間界の光は吸血鬼の肌を焼く。
ソレイユは空を眺めながら、コートをはためかせていた。
「いいのか。連中が飲み食いした分、全部、払って」
ベドラムは首を傾げる。
「人間達から信用を勝ち取る事は必要だよ、ベドラム。政治交渉は暴力以外でも解決しないといけない」
「さすが、人間界の裏社会を味方に付けた魔王様の言う事は違うな」
ベドラムは丘の上に座り込む。
風で草木が靡いていた。
「しかし。意外過ぎる程の歓待を受けた。ああいうのは、人間界侵略を目論む魔族とかじゃなくて、人間の英雄や勇者がもてはやされるものだな。本当に失笑もんだ」
ベドラムは丘から、ジャベリンの美しい景色を眺めていた。
山々に囲まれ、城下町はよく舗装されている。
「ジャベリンの庶民達と話したいって言い出したのは君の方だろう? 私はそれに付き合っただけだよ」
「ん。ああ、王都のラーメン屋もまあまあ美味かったし。居酒屋のパフェは良かった。人間の庶民ってのは、みんなあんな感じなのか? 平和ボケしてるな。冒険者なんていう命のリスクを顧みない愚かな職業が成り立っているって聞いて、苦笑いしか出てこなかったな」
ベドラムは空を見ながら少し考え込んでいた。
「やはり我々、魔王は…………。魔族は人間から恐れられた方がいい。少なくとも、今の世界では。種族同士の溝は深い。力のある魔族の誰かが人間共に取り入って、そのテーブルをひっくり返せば、積み木が崩れるように、簡単に友好関係も崩れ去る」
ベドラムは苦々しい表情をしていた。
「もうすぐ戦争が始まろうとしているのに。この私が世界を征服すると宣言したのに。この国の庶民共はあのザマだ。平和っていう甘い蜜にどっぷり浸かってやがる。ソレイユ、お前の計画もジャベリンの民には宣言しているんだろう?」
ベドラムは悪態を付く。
「私の方の宣言は、一部の者達だけだよ。私がかつての魔王軍を結成する事を目的とするのは。魔族同士は今や争いが続いている。それは人間側に伝えない方がいい。権力争いに巻き込む事になるからね」
ソレイユは小さく溜め息を付いた。
「あ。魔王軍を結成したあかつきには、人間達と和平を結ぶつもりだよ。彼らと仲良くやっていきたいからね」
「本当に言っているのか? お前に人情みたいなのがあるのは分かる。でも、お前も“人を追い詰める時は追い詰める”だろ? でなければ、裏社会に影響を与えられない」
ベドラムは胡散臭いといった顔をしていた。
「私は“他人を詰める”のは、疲れたんだよ。何百年以上も生きていれば、そうなる」
少し前のドラゴンと吸血鬼の内戦が開けそうになったばかりだというのに、ソレイユはそんな事を言い始める。
「あっそう。お前、本当は何歳だよ?」
ベドラムの問いに、ソレイユは答えなかった。
「人間界で語り継がれる多くの物語のように。“人間の勇者が、魔族の群れを退治していき、世界を侵略する大魔王を討ち滅ぼして、世界の全てが平和になれば”本当に良かったんだろうな。でも、私達の生きている世界では、そうならなかった」
ベドラムは、何処か空しそうな顔をする。
「作家は偉大だよ。そして嘘つきだ。善と悪がはっきりした物語を、多くの者達が喜ぶのだと気付いたのだからね」
ソレイユは光が刺し込もうとしている空を眺めていた。
「当面のこちら側の人間側の敵は、このまま行けば、悪夢の魔王サンテ。陰謀の魔王ヒルフェ。そして他ならない人間である裏社会の王シンチェーロ、……そしておそらくは、エル・ミラージュの王子って処になるだろうな。連中を抑えても、どうせ他の“悪”がのさばるだけだろうが」
そう言うと、吸血鬼の王は、朝日が完全に何処かに昇る前に、何処かへと消え去っていってしまった。
朝の光には、ドラゴンであるベドラムにもヤケに眩しく痛々しかった。




