絹の道、シルクロード 殺し屋シトレー
イリシュとダーシャが、ちょうどマスカレイドに到着した二日後の事だった…………。
マスカレイドの貧民窟だった。
よく晴れた昼下がりだった。
家と家の二階、三階に紐が通され、紐から洗濯物が干されている。
家々の下では少年達が路上でサッカーなどを行っていた。
露店をしている大人達が腹立たし気に少年を怒鳴り付ける。
ある家の二階で、大音量でアダルトビデオを流している青年がいた。
ビデオの内容は教会の若い純粋なシスター達が、悪魔崇拝者を名乗る覆面の男達によって次々に酷い凌辱をされている内容だった。シスター達は神への祈りと、悪魔崇拝者達に対して決して屈しない姿勢を取るという内容だったが、次々とシスター達は徹底して人としての尊厳を破壊されて性的に凌辱されていく。
そのビデオを寝っ転がって眺めながら青年は、とろん、とした表情をしていた。
部屋の中はかなり汚く、虫などが這っている。
「ビデオの内容は作り物。職業女優と職業男優が演技してるだけ……。やっぱ、本物のシスターを俺の手で凌辱してぇわ」
男は床に転がっている小瓶を手に取る。
中には白い錠剤が入っていた。
男は錠剤を十錠程、一度に口に入れる。
彼の部屋には、大量の刃物が壁に突き刺さっていた。
むしゃくしゃすると、刃物で何かを刺す癖が抜けない。
「仕事を依頼したいんだが。いいか?」
部屋の外で青年を呼ぶ声が聞こえる。
「おい。俺のオ●リ中は声を掛けんなって、何度も言ってるだろうがよぉー」
青年はビデオを消して、ガリガリと、床に転がっていた錠剤を齧り始める。
「前金として売春宿に行く金を奢ってやろう」
「性病持ちばっかだから飽きたわ。一人で自家発電している方が楽でな。この前も裏通りの元売春宿の女が二人程、死んだってよ、路上でだ。全身、湿疹だらけだったそうだ。末期だったんだろうな」
「今回はお前の性癖に刺さる修道女がターゲットだぞ。嫌なら他に仕事を回す」
青年は立ち上がる。
年齢はまだ二十代前半といった処だった。
顔に無数の傷がある。特に唇に縦に裂かれた傷が激しかった。
「その女。殺す前に犯していいんだよあなぁ?」
「お前の好きにしろ」
青年は喜んでドアを開けた。
ドアの外には、闇組織の長である魔王ヒルフェの姿があった。
ヒルフェは自らの口髭を撫でながら、にやりと笑う。
†
シトレーは二枚の写真を渡されていた。
シスター姿のイリシュと、ラフな格好をしているオリヴィの写真だった。
「男の方は興味ねぇーな」
「二人共殺せ。生活費は必要だろう?」
「男はさっさと殺すが。このシスターのガキ、本当に好きにしていいんだな?」
「俺が許す。もっとも、そうだな…………」
ヒルフェは顎に手を置いて考える。
「理想は男の方は生け捕りだな。こちらで粛清したいからな。シスターの少女はお前の好きにしていい」
「本当に好条件じゃねぇか。本物の生のシスター犯れんのかよ」
「前から聞きたかったんだが。お前のその性癖は何なんだ?」
ヒルフェは首を傾げる。
「教会に恨みがあるからだ。貧民窟にもあるだろ。祈れば神が答えるって。答えてくれねぇーよ。偽善者共だから許せねぇ」
「あと。仲間にエルフの男がいるみたいだが、そいつはどうでもいい」
「殺していいって事か?」
顔面に傷のある青年は、ニタニタと笑う。
「だからどうでもいい。生かすか殺すかはお前が決めろ」
「じゃあ状況と気分で決めるとするわ」
「あと。サンテがマスカレイドに来てる。お前に会いたいそうだ」
サンテの名前を聞いて、突然、殺し屋の青年は半泣きになった。
「俺やっぱ帰っていいっすか……?」
「お前と夕飯が喰いたいんだと」
「いやマジで帰りたい。姐さんマジ、怖いんだわ」
殺し屋の青年は、おいおいと顔を覆って、泣いていた。
「なんだ貴様は」
ヒルフェは呆れる。
吸血鬼の王がマスカレイドの裏社会に圧力を掛けた。
それでかなり身動きが取れなくなった者もいる。
だがヒルフェや、フリーの殺し屋のシトレーなどには関係が無い事だ。
ビジネス相手であるシンチェーロの面子を潰されたのは、ヒルフェの面子にも関わる事だ。シトレーくらいイカれた相手に始末して貰った方がちょうど良い。
†
「私からご飯に誘われたら、10分前に来いって言っていたんだけどなあ?」
サンテはボロボロのセーラー服を襟を弄りながら、段ボールの上に座り、正座するシトレーを見下ろしていた。
「すんません。俺、時間守れないんで」
シトレーはうつむいて言う。
「列車の時刻に間に合わなくて、殺しの依頼失敗したって噂本当?」
「ほんとです。すんません」
「たっぷり三十分近く遅刻してんだけどなあ? そんなに私の顔が見たくなかったのおぉー?」
サンテは自らの口元に入れた口ピアスを弄りながら、顔が傷だらけの男を言葉で責め立てていた。
「まあいいわ。脚、楽にして。一緒に夕飯を食べましょう」
地面にはシートが置かれ、その上には、屋台で買ってきたと思われる焼き鳥やエビの串。焼きまんじゅう。袋に入ったチャーハン。果物。ジュースや缶の発泡酒などが大量に置かれていた。
「いただきます……。姐さん、せっかくですから、食堂に行きませんか?」
シトレーは倉庫内を見渡す。
汚らしく、しばらく使われていない。カビの臭いもする。
「私は今、隠密で動かないといけないのよねぇ」
サンテは焼き鳥のタレをべろべろと舐め回していた。
「シトレー。世界情勢のニュース見ないだろぉ」
「はい」
シトレーは焼きまんじゅうを口にしながら、発泡酒の蓋を開ける。
サンテは露骨に面白く無さそうな顔をしていた。
「魔王ベドラムが世界を征服すると宣言して、吸血鬼の王ソレイユが新たに魔王として戴冠した。エルフの森を支配していたリベルタスが死んだ。ジュスティスはクラーケンの海域で行方不明。これから、世界の権力の構図が大きく変わろうとしている」
「なーんも知らないっす。ってか姐さんとヒルフェの親父が“魔王”っていう、よく分からない肩書きがあるって事くらいしか知らないです」
シトレーは焼き鳥を頬張る。
彼は育ちが悪く、マナーというものを知らない。
べちゃべちゃと、串に残ったタレを舐めていた。
「自分には、世界情勢とか関係無いっす。その日暮らしなので」
シトレーの普段の仕事は、ゴミ漁りや日雇い労働ばかりだった。
殺しで得た金は、簡単に使ってしまう。
サンテとは五年来の付き合いになるだろうか。
十代の時、密漁区で上物の真珠を生む貝を密漁しようとした時に、そこはサンテの支配する領海だった為に、シトレーの当時の密漁仲間達はみなサンテにその場で殺された。
シトレーだけが生かされたのは、彼だけが怯えて逃げずに、サンテに刃物を向けた意気込みを買われたからだった。その後、サンテを通して、ヒルフェを紹介されたので、生活費を稼ぐ為に、定期的に殺しの依頼を請け負っている。
……毎回、殺し屋の仕事で得る金は高額なのだが、大体、高級娼館通いとギャンブルで金を全部、無くしてしまう。人の命の値段が、スロットマシーンの台へと吸い込まれていくのを見て、シトレーは何とも言えない快感を得たものだった。
「此処に呼んだのは、ヒルフェの依頼と並行して。私の依頼も手伝ってくれないかなぁ?」
サンテはべちゃべちゃと、焼き鳥の甘いタレが付いた自らの指を舐める。
「……勘弁してください。俺、要領悪いんで、同時に二つの事出来ないんすよ」
シトレーは頭抱えていた。
「大抵、用事が二つ以上出来たら、頭ん中、パニくってモノ壊したり無くしたりする事が頻発するし。この前、テレビのサッカーの中継を熱中して見てたら、ラーメン茹でてた事忘れて、鍋焦がしました。大事な依頼だと思うんで、マジで同時に二つ以上の事やるのって出来ないっす」
「ヒルフェの依頼が終わったら、いいって事だなあ?」
「……それでしたら…………」
シトレーは少し考える。
「いや。前払いで生活費出してくれるんなら、姐さんの方を優先します。勿論、内容次第なんすが」
「いいよ。お前は私の傍に付いているだけでいい。私の配下は海の化け物ばっかでな。さすがに人間の付き人も用意したい」
「誰か偉い人とでも会うんすか?」
「そう。会うんだよ。あと」
サンテはくっくっ、と笑う。
「この要件には、そのヒルフェにも付いてきて貰う事になる。どっちみち、ヒルフェからの要件は後になる事になるさ」
サンテはくちゃくちゃと、揚げパンが入っていた袋のシナモンを舐める為に袋ごと口に入れる。
「シトレー。お前、私で卑猥な妄想はするか?」
サンテは舌を大きく出す。彼女の舌にも大きなピアスがあった。サンテは舌ピアスを指先で弄り始める。
下品な会話は二人の間では当たり前だった。
二人はそういう世界で生きてきたし、上品な普通の会話の仕方が分からなかったから。
シトレーは少し考えた後、素直に言った。
「しないっすね………………。姐さんはそんな対象じゃないっす」
「しねぇのか」
「行きつけだった高級娼館の子とか、ビデオとかで妄想するんすけど。姐さんではしないっすね」
サンテは少し考えた後、ぽつりと呟く。
「……あたしが相手じゃ駄目か?」
「すんません。俺、まだノーマルなんで」
しばらく二人の間で沈黙が流れる。
「昔はこれでも私は路上売春婦、店に雇われてた風俗嬢として働いていた。他に仕事無かったし。でも私の“身体”を見て嫌がる客多かったな。女装した男とかニューハーフとか、すんげぇデブ、ブス、熟女の方がいいんだとよ」
サンテは淡々と無感情で身の上話を述べていく。
「稼げました?」
「変態から沢山、稼げた。大体、頭がイカれ過ぎていて普通の性行為に呆れる奴らばっかだったけどな。金払いは良かった。貴族が多かったな」
サンテの左腕が変形していく。
彼女の左上はカニとタコのような姿へと変わっていった。
「別の女の嬢と私とヤラせて、それを見て楽しむだけの変態もいたな」
「人間の性欲は理解出来ぇえーっす。俺だって女の首絞めたり傷付けたりするけど、そっちのタイプの変態はわかんねぇーっす」
シトレーはふと思った。
サンテは自らを“女”として、これから会う人物に売り込みに行くのだろうか……?
「ん。まあいいや。私はステンノーに会いに行く。奴とこれからの世界について話し合いたいからな。お前は私の付き人として付いてこい」
「そんな…………。姐さんの付き人なんて…………」
「私が信用出来んのは、人間だとお前くらいのもんだ。後は海の怪物達だよ。それだと困る」
そして。
シトレーは気付いた。
ステンノーと言ったか。
エル・ミラージュの有名な王子だ。
世俗に疎いシトレーでさえ、その存在は知っている。
人間でありながら“悪魔”と呼ばれる人物。
マスカレイドの裏社会の者達さえ、その名前、その存在は恐怖の対象とされている“人間”だ。
もしエル・ミラージュが本格的な武力による戦争を引き起こせば、マスカレイドも巻き込まれるだろう。ステンノーは気まぐれでそんな事をやりかねない。
シトレーはそのビッグネームと会う事に対して、すぐにドン引きした顔をしていた。
「やっぱ、俺、帰っていいっすか?」
「帰ったら、私が殺すからな」
サンテはそう言って、シトレーの背中を蹴り飛ばす。




