間章 宿敵との決戦の後に。
マスカレイドから帰還したメンバーのうち、ロゼッタとイリシュは疲労からベッドで泥のように眠っていた。アリジャという女の方は特殊な治療が必要だったので、そのまま医務室へと運ぶ事になった。
マスカレイドであった事を騎士団長ヴァルドガルトは聞いて、頭を抱えていた。
フリースも同じように、沈んだ顔をしていた。
ベドラムが訪問して、会議室が暗く、フリースだけがいる事に首を傾げていた。
騎士団長の方はいない。
後は、何名かのお付きの騎士達や魔導士達がいるだけだった。
ベドラムはふんぞり返りながら、真っ赤な高級ソファーに寝転がる。
「ザートルートを通して、ロゼッタ馬鹿王女から、マスカレイドでの情報が私には届いている。この国の王女様は本当に面白い事をしてくれたそうだな。倫理の魔王ジュスティスを倒したそうじゃないかっ!」
ベドラムは嬉しそうにしながら、今にも祝杯を挙げたいといった気分の顔をしていた。
対するフリースは困った顔をしていた。
「お祝いは出来ないかな……………。状況が状況だから…………」
珍しく、フリースはうつむいていた。
構わず、ベドラムは高いワインを開けてラッパ飲みを始める。
普段はドラゴンは酒の類を控えるらしいが、お祝いと言ってベドラムはアルコール度数の低いワインを飲んでいた。
「マスカレイドでは、奴隷商人共が蔓延り、女子供をさらって虐待して性的凌辱の見世物まで行い、違法ドラッグを街に広めている人間共の組織がいる、と」
ベドラムは、わなわなと怒りに打ち震えていた。
すぐに酔うベドラムは、顔が真っ赤になっていた。
「ロゼッタのやった事を全面的に私は肯定するぞ。なんでも不快なクソ野郎を殴り飛ばしたそうじゃないか。最高に気分が良かっただろうな」
ベドラムは足を組みながら、ワインを飲み干す。
「そうだっ! この私も、その組織に我々の家族達を差し向けていいか? 炎のブレスと爪によって、思い知らせてやろう」
ベドラムは、酒の勢いもあり、いきり立っていた。
フリースは少し困り顔をしながら、彼女をどう止めようか悩む。
「そんな事したら、マスカレイド全体と戦争になるよ。マスカレイドという都市を発展させて維持しているのは、マフィア。つまり人間の犯罪組織なんだよ。我らのロゼッタ王女様が。歓楽都市の裏の王であるシンチェーロを何の考えも無しに殴り飛ばして、もう王都ジャベリンと、マスカレイドの関係性はかなりまずい状態になりかねないよ…………。最悪、戦争の火種になるかも……」
「ならば。戦争を起こせば良いだろ。そんな腐った国など、ドラゴンの炎によって焼き尽くしてやろうっ!」
ベドラムは楽しそうに加虐心たっぷりの表情をしていた。
「はあっ………………」
フリースは頭を抱えていた。
「ベドラム。君は本当に性根が破壊を望む魔族で、ロゼッタの方は、本当に性根が善人の人間なんだね。なんで、ちぐはぐな筈なのに、君達はそんなに似てるんだろう。君達がやっている事は、本当に君達の理想とは程遠いよ……」
「胸糞悪い奴らを炎で燃やして皆殺しにして何が悪い?」
ベドラムはシンプルに訊ねた。
「一般市民は、マフィアの犯罪によって生活を豊かにしている。あの国は貧困層の間から奴隷が生まれ、薬物やギャンブルが広まり、性風俗がにぎわっている。マフィアはあの国が生み出した必要悪として機能しているんだよ。マスカレイドは汚いものを国民が維持する事によって、文明を発展させてきたんだ」
「ならば。その文明に終止符を与えよう。私の手で」
ベドラムは意気揚々と腰の剣の柄を握り締めていた。
「はあ。本当に何も分かってないよねぇー」
フリースは本当にどうすればいいか分からないといった顔だった。
「私達が口にしている食事も、衣類も、娯楽施設もさ。元々は奴隷や、違法的な犯罪があったからこそ、便利な暮らしが発展してきたんだよ。下水道を整備して綺麗な水を飲めるのも、鉄道という便利なものを享受出来るのも奴隷や貧困層の汗と涙があってこそだよ。王都ジャベリンにだって、夜の街はある。売春婦はいる。売春婦の多くは借金を抱えて身体を売っているからね。ロゼッタの国だってそんなものだよ。人間は色々、難しいんだよ…………」
フリースは半ばヤケになりながら、椅子に座った。
「ベドラム、ロゼッタ。なんで君達は、胸糞悪いって思ったら、すぐに行動しちゃうのかなあ…………。ベドラム、君は世界を全て支配したいって考えているみたいだけど、世界征服による恐怖政治が国民の安心をもたらすとも限らないのに」
ベドラムはフリースの話を聞いて、その場にある椅子を蹴り飛ばした。
椅子は見る見るうちに、炎に包まれて灰へと変わっていく。
「魔王が世界を征服すれば、人間の小さな戦争など握り潰せる。それは駄目な事なのか?」
ベドラムは真面目な顔で訊ねた。
「駄目だし、っていうか。世界全体の幸福を考える事、それは難しいよ。特にマスカレイドなんて、人間の世界全体の国々の貿易に携わっている。もう、今でさえ、ロゼッタ王女のせいで、マスカレイドとジャベリンの政治はかなり危ういのに、ベドラム、君が介入してきたら、人間社会と全面戦争にもなりかねない。そこまでシビアだよ。沢山の無用な血が流れる…………」
「クソな人間共なら、沢山の血を流せばいい」
「戦争に参加させられるのは、おそらく、ただ何も知らない自分達の祖国を守りたい若者達だって知っても? ベドラム、悪人を潰そうとしたら、沢山の善人が犠牲になるんだよ…………」
言われて、ベドラムは再び、ソファーにふんぞりかえるように座った。
「私はシンプルに物事を考えているから分からん。ただ、若い善人の兵士の命を多く奪おうとは思わん。ロゼッタが帰ってきたら、あの馬鹿王女ともっと話し合う」
そして、竜の魔王は時間魔導士を睨み付ける。
「フリース。貴様の言っている事が、妄言かどうか後で確かめるからな」
そう言うと、ベドラムは腹を立てながら部屋を出ていった。
「なんだよ。君達、本当は仲良しじゃないか…………」
何となく勘付いていた事だが、フリースは少し呆れた。
†
フリースは医務室で眠っているアリジャの下へ向かう。
彼女は呼吸をしているが、意識を取り戻さない。
ジュスティスの放った剣が、深々とアリジャの胸元に突き刺さるような形で“一体化”していた。
ロゼッタの分析だと、ジュスティスの魔法の全貌は「物質を融合させる事」だ。応用によってキメラの軍団以外の様々な事が可能となるだろう。
そして、医療に通じる魔導士達によれば、剣はアリジャの肋骨を貫き、肺や心臓と融合しているらしい。つまり、無理に引き抜けば、そのままアリジャは死に至るというわけだ。
彼女の婚約者であるオリヴィの行方は分からない。
オリヴィとアリジャ。
この二人がどのような関係だったか、どちらかから詳しく聞かなければならない。
更にロゼッタが、マスカレイドの裏のボスであるシンチェーロと、彼らが雇っている魔王ヒルフェを敵に回した事によって、一歩間違えば、王都ジャベリンは歓楽都市マスカレイドとの戦争に発展しかねない。
加えてベドラムはあんな調子だ。
今回、フリースの予想を大きく上回り、ロゼッタの魔法は成長を遂げた。
ロゼッタの魔法『アクアリウム』は未知数だ。
ベドラムは口出して言わないが、かなりロゼッタを買っている。
いずれ、ロゼッタは、魔王に次ぐ実力者の魔法使いになるかもしれない。
現にジュスティスを倒している。
もし、ロゼッタが更なる強力な魔法使いになった時に、彼女の危うさをフリースは止める事が出来るだろうか…………。既にベドラムだけでも、潜在的な脅威になっている。
加えて魔王ジュスティス。
本当に死んだのか?
仮に生きていたとするなら、復讐の為に再び、この国に訪れるかもしれない。ロゼッタの命を狙って…………。ジャベリンの民を大量のキメラへと変えて。
問題は山積みだった。
考えに考えた末、フリースはある結論を出した。
エルフの里を訪れよう。
そして願わくば、エルフの里の遥か向こうにあると言われている、妖精の住む巨森フェアリアヘイムへ……。
エルフの長老や妖精王から、何か助言が聞けるかもしれない。
問題は…………。
辺境にあるエルフの里である『世界樹のエレスブルク』は、自由の魔王であるパペット・マスター、リベルタスの領土でもある事だ。
リベルタスはエルフや妖精達と複雑な政治交渉の際に、領土の一部を『闇森』として共有しているらしい。
「いざとなった時の用心棒に、魔王ベドラムに来て貰うしかないか…………。リベルタスの危険は未知数だしね…………」
フリースは大きく溜め息を付いた。
ベドラムは自由の魔王の脅威は底が知れないと言っていた。
なら、呼ぶしかない。
ロゼッタも連れていこう。
イリシュも必要になるだろう。
エルフの里は「迷いの森」だ。
元々、ロゼッタ達が歓楽都市に行っている間に要件を済ませようと思っていたが、中々、守備が高く道のりも長旅になるので、結局、ベドラムの家族達のドラゴンの背に乗って向かう事になるだろう。
後一人、パーティーに、森の中を案内人としてくれるガイド役としてのメンバーがいればいいのだが……。
「無いものを望んでも仕方無いか。行くしかないよね」
そうフリースは決めた。




