40 葬送
松原の乗ってきた紺色のワンボックスで J B のアジトに向かう間、誰もが無言になっていた。
ウイルはイオの体を抱いたまま、持ってきたノートパソコンを開き、反応のなくなったイオにコードをつないで必死の形相でキーを叩いている。
「バッテリー残量が・・・ほとんどない・・・。」
器材の載ったCIA仕様のワンボックスに、イオの新しいボディの入った箱と武器の入った箱を載せたのでスペースがなくなり、ミシマの死体はそのまま砂に埋めてきた。
イオの新ボディも、武器も、武装勢力に渡すわけにはいかないのだ。最も優先順位の低いのが、ケント・ミシマの死体だった。
浅い穴に死体を埋めて、ディクスンが一応祈りの言葉を唱えたが、松原はずっとそっぽを向いていた。
J B のアジトは、町はずれの古いガレージ付きの建物の中にあった。
古びた表札に何かの会社名が書いてあった。
「治りそうですか、博士?」
アイリーンがウイルの手元を覗き込む。
ウイルはコンセントからバッテリーに電源を供給してみたが、イオは再起動しなかった。
穴の開いたイオの体にコードをつなげたノートパソコンのキーを懸命に叩いている。
その表情に、どんどん絶望の色が広がっていった。
「ない・・・」
ウイルは声を震わせて、それだけを言った。
「治せないんですか?」
ジェフが訊く。
「何も・・・ない・・・・。イオの中身が、ない・・・。どこにも、ない・・・。」
ウイルは、ノートパソコンにイオの残っているデータを救出できる限りコピーして救出しようとしていたのだが・・・。
パソコンの画面に現れるのは、無意味な、途切れ途切れの文字列でしかなかった。
「なぜだ・・・・?」
銃弾で壊れたのは一部のプロセッサだけなのに・・・。
イオの中身が・・・何もない。
まるで、全てが幻だったみたいに・・・。ウイルが組み上げたはずのプログラムが、痕跡すらないのだ。
全てが、切れ切れの、出鱈目な文字列でしかないのだ。
イオは・・・死んだのか?
意識を持った AI が死ぬというのは、こういうことなのか?
身体を得た人工意識が・・・・。
近くにサーバーすらないあの砂漠の中で・・・。あの場所で、稼働中の「意識」は・・・銃弾を受けて・・・。
バックアップの先さえなく・・・。
この体の中で・・・、人と同じように・・・・?
「魂は・・・どこへ行った・・・?」
絶望的な顔でウイルがつぶやいた言葉に、松原が床にぺたんと尻餅をついた。
「わ・・・私の・・・アトム・・・。」
「イオ! イオ・・・!」
ジェフがイオの前にひざまずき、これまで見せたことのないような表情で、イオの体を両手で包むように挟んだ。
「ま・・・守ると、約束したのに・・・。」
アイリーンはジェフの泣き顔というものを初めて見た。
「約束したのに———!!」
「な・・・治せるだろ?」
松原がムンクの絵のような顔でウイルに向かって叫んだ。
「ここに! 新品の体があるんだ! もう一度、最初から組み直せば! プログラムは、あんたの頭の中にちゃんとあるんだろ?」
松原が両手で指し示すイオの新しいボディを、ウイルは虚ろな眼差しで見た。
そうだった・・・。
イオは、あの体になれることを夢見ていたな・・・。
ウイルはふらりと立ち上がる。
穴の開いたボディから腕と頭を外し、感覚センサーのコネクタを外し、胴体から集積回路部分を引きずり出す。
破壊されたプロセッサを新しいものに取り替え、新しいボディの方にセットして感覚センサのコネクタを1つ1つつないでゆく。
時間をかけて、1つ1つ、慈しむように。
そんなことをしても、そこに入れるべきバックアップデータが・・・どこにもないのに・・・。
松原が言ったように、新たにプログラムを組み直してこのボディに入れれば・・・。確かにこのボディは動き出すだろう。
そのための基本ソフトも、紛れ込ませる生命のアルゴリズムも、パソコンの機密ファイルの中に残ってはいる。
その構成もミックス手法も、ウイルの頭の中にはある・・・。
しかし・・・。
そうして生まれた新しい「人工意識」は・・・・
イオではない。
あの、音楽に合わせて、くるり、くるり、と踊っていたイオではない。
大学の散歩道で、小さな虫を見つけて笑っていたイオではない・・・!
全てをつなぎ終えても、ウイルは悲しげにイオの頭を撫でさすり続けるだけだった。
人は・・・、悲しすぎると涙も出ないものらしい。
ウイルのその一連の行動は、まるで葬送の儀式だった。
古川教授は、それを見守る牧師のようでもあった。
「松原さん。我々は外へ出ましょう。」
ジェフが床にへたり込んだままの松原の肩にそっと触れた。
「3人だけにしてあげましょうよ。」
松原が、子どもに死なれた父親みたいな呆けた顔でジェフを見上げた。
足を引きずりながら出てゆく松原とジェフに続いて、ディクスンとアイリーンも外に出た。
外はもう夜で、晴れた空には星が出ている。
4人は誰からということもなく、夜空を仰いだ。
都市部の夜空なので、降るような、というほどではないが、小さな宝石は何の穢れも知らないように輝いていた。
「俺たちの仕事って・・・なんだろうな・・・。」
松原が、ぽつりとつぶやく。
「人は死んだら星になる——とか言うが・・・。世界初の人工意識は星になれたんだろうか・・・。」
松原が柄にもないことをつぶやいたが、誰も笑ったりはしなかった。
「博士は・・・もう一度創るでしょうか・・・?」
誰に言うともないアイリーンのつぶやきに、ジェフが小さく首を横に振る。
「私は、国に帰るよ。査問委員会にかけられるだろうが・・・。私も、そろそろ引退の潮時だろう。」
「マツバラさん・・・、師匠、まだ・・・」
ディクスンが松原にすがるような目を向けたが、松原は力無く微笑んだだけだった。
「あとは上層部でよろしくやってくれればいい。」
夜色のワゴン車が、夜の闇の中に走り出した。
どこかでクルアーンを詠唱する声が聞こえていた。




