僥倖《ぎょうこう》
「本心を申しますと、若様には……いえ、お二方には、この一座の客分として、一緒に旅をしていただきたいとさえ思うておりますので」
照れてはにかんだ、しかしまじめな顔で言う。
「なんですって?」
驚きの声を上げたのはクレールだ。理由がわからなかった。泳いだ視線を、彼女の隣でふんぞり返っている男に投げた。
ブライトは微ぬるい苦笑で口元をゆがめていた。
「阿呆チビよ、ウチの姫若を何に利用するつもりだ?」
「利用だなんて、旦那、人聞きの悪い事を言わないでくださいな。
正直に申し上げましょう。私はどうやら若様にいかれちまったようでしてね。つまり惚れ込んじまった」
「ほう?」
声音はむしろ穏やかだった。が、目の奥には明らかな怒りの色が揺れている。
マイヨールの額に脂汗が滲み出た。
「とんだ誤解です、旦那。
若様は私にとっちゃ美の神だということです。拝みたい縋りたい奉りたいんでございますよ。
決して色子にしたいとか、そんな下衆っぽい劣情なんぞは、これっぽっちもありゃしません。
本当です、信じてくださいな」
その言葉に、クレールもブライトも嘘の色は感じとらなかった。だが、ブライトは口元の「歪み」を消さずに、劇作家の目玉を睨み付けた。
「それに、惚れたのは若様にだけじゃありません。ソードマンの旦那にもぞっこんなんで」
ブライトが太い眉をあからさまに顰めたのが、クレールには何故か滑稽に見えた。
マイヨールは脂汗を袖で拭い、真率そのものの顔つきで、
「このマイヤー・マイヨール、人生五十年とすればとうに半分以上は生きてきたことになりますが、旦那のようにちゃぁんと物事をご存じの方には、ついぞ逢ったことがない。これからも多分、いや絶対に出会うことは無いでしょう。
それにね、旦那は私の良くないところを厳しく指摘してくださった。
莫迦はただ怒り散らすが、旦那はちゃんと叱ってくれる。そんな私にとって有難い人は、亡くなった先代の座長ご夫婦以外にいなかった」
目頭に光るものが浮かんだ。
マイヨールは才覚ある脚本家であり卓越した演技者だ。涙を誘う言葉を紡ぎ、自分の目玉から水を絞り出す事ぐらいは、容易にしてやってみせられよう。
今にじみ出た涙が、はたして本物か否か、観ている者には解らない。
クレールは本物と思った。ブライトは少々疑っている。
「私はね、お二方に出会えた奇跡を感謝してる。幸せだと思ってる。
ねえ旦那、幸せが長く続くことを願わない人間は居ませんよ。そうでしょう?
だからね、私あたしはお二方に側にいて頂きたいんです。
ああ、お願いだ、お二方。どうか何も仰らないでくださいな。
こいつはただの我が侭だってのは、私だって百も承知だ。
でも、こんなところで、こんな風に分かれなきゃならないなんて……口惜しいことこの上ないんですよ」
言い終えてなお、マイヨールの心中の口惜しさは大きく膨らむ。
『役者にしろもの書きにしろ、私ゃなんて因果な商売をやっちまっているんだろう。ど
んなに本音を語ろうとしても、全部芝居がかった台詞になっちまう』
天性、劇作家にして役者の男が、洟をすすり上げた。




