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クレール・光の伝説「いにしえの【世界《ル・モンド》】」  作者: 神光寺かをり


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呼ばう声

 同じ【(ザ・ムーン)】という言葉が、クレールの脳裏には別のイメージを思い浮かばせている。

 痩せた、若い女性だ。親から男の名を与えられ、親に男の装いを強いられ、親により男として生きる決心をさせられた、ヨハネス・グラーヴという女性が、怒気を含んだ悲しげな眼差しをおのれに向けている。


 若いヨハネスの背後にまた別の人影がある。

 彼女を鬼へ変じさせた、遙か昔に死んだ悲しい人間の存在だ。

 容姿は判然としない。顔貌(がんぼう)も解らない。男のようでもあり、女のようでもある。

 その後ろにも、またその後ろにも、多くの人々がいる。

 顔の区別の付かない彼らの瞳が、やはり、怒気を含んだ哀しげな光を放っている。


 真っ黒な闇の中で揺れる眼光は、クレールに別の心像を想起させた。

 それは一つの言葉だった。


『私の【世界(ル・モンド)】』


 クレールの頭の中で、男の声がこの言葉を繰り返す。何を意味するのか解らなかった。


『この【アーム】の、(なまえ)?』


 導き出した一つの回答例を、彼女自身の感覚が否定した。

 彼女が普段【アーム】の正体を見抜くときに見える景色と、今自身の脳裏で繰り返される心像は、どこか異っている。

 歴然とした違いではなかった。ただ、どこかが、何かが違うのだ。

 心の耳をそばだてて、「声」を聞いた。


『私の【世界(ル・モンド)】』


 ――呼びかけている。

 誰かの名を呼んでいるのだ。

 この命の欠片は、自身の正体を明かしているのではない。誰かを捜しているのだ。

 薄暗がりの中を彷徨(さま)い、どこにいるか解らないその人を……この小さな命の残骸は、探し求めている。


『私の【世界(ル・モンド)】』


 この「声」を、クレールは知っている。

 夢現(ゆめうつつ)にその声で呼ばれた気がする。

 夢幻(ゆめまぼろし)にこの声を聞いた気がする。

 尖った爪と、尖った角と、尖った視線を伴って、胸を締め付ける声音だ。

 低く、落ち着いた、男の声。


『本当に、そうだったろうか』


 クレールは己に問いかけた。


 返ってきた答えは否定だ。


 夢で聞いた声ではない。

 幻に聞いた声ではない。

 現実に聞いたことがある。

 この声は耳に馴染んでいる。


 クレールは日にかざしていた左手を、指を開いたまま移動させた。彼女に向けて突き出されている折れた剣の切っ先に、紅差し指の付け根をあてがう。

 剣を持つ男が、言う。


「そいつがなんであれ……そいつのおかげで、俺もお前さんも狂わされちまっている」


 聞き馴染んだ声に、エル=クレール・ノアールの鼓膜が振るわされた。

 青白い顔を上げて、声の主を見た。

 ブライト・ソードマンは紫檀(ローズウッド)の細く短い棒の、切り落とされて鋭利に尖った先端に目を落としている。

 その顔は相変わらず硬く冷たく凍り付いていた。笑みも怒気も沈鬱(ちんうつ)安慮(あんりょ)もない。()(およそ)表情の類は、彼の顔の上からは見いだせない。


『この人は、こんな顔立ちだっただろうか?』


 ふ、と心細さを感じたクレールは、(うかが)うように彼の顔を覗き込んだ。


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