埋葬されない死体
マイヨールの顔から血の気が引いた。
「シルヴィー……」
小さく声を漏らす。つぶやきは、だが周囲の誰の耳にも聞き取れなかった。
鼓膜を劈く破壊音が、再び空気を振動させる。
男の叫び声がほとんど間をおかずに二回。
最初は雄叫び、二度目は悲鳴に近かった。
攻め込んだ側が逆に痛手を喰ったのだろうということが「遠耳」にも知れた。
「おや、まぁ」
グラーヴ卿の声には意表外の驚きが混じっていた。
「イーヴァンたら、あれほど『力』を別けてあげたというのに、それでもエル坊やに適わなかったなんて。
……それともあの子を泣かせたのは下男の方かしらん?」
声音の調子は変わらなかったが、口元に浮かんでいた冷たい微笑が、僅かに小さくなった。
「奈落の底の宝物の方は後回しだわ。坊やの方を見に行かないと」
グラーヴ卿は意味の通じない独り言を呟きながら、更に一歩足を前に出した。
言葉を聞いているものがいるだろうなどとは、どうやら考えもしいないらしい。それどころかマイヨールが目の前に立っていることすら見えていないようだ。
マイヨールは確かに小柄だが、痩せた文官貴族の腕力に易々と屈するような軟弱者ではない。道を塞ぎ、進もうとするグラーヴ卿を体全体で押し戻した。
その時、彼は貴族が着込む黒いローブの肩口の盛り上がりが、すとんと落ちたのを見た。中にあった物がいきなりなくなったような、不可解な動きだった。
卿が肩幅を広く見せかけるために大きなパットでも入れていたのだとしても、そしてそれが落ちたかズレたかでもしたのだとしても、合点が行かぬ。
初め、マイヨールは鍔広の帽子のために物の大きさを見誤ったのだと疑った。
それにしても、外套の肩の幅が頭の幅とほとんど同じに見えるというのは、いくら何でも狭すぎはしまいか。
肩が、腕そのものが、突如としてなくなったのでなければ、このような急激な変化は起きないはずだ。
「閣下……」
何か言おうとしたが、マイヨールの口と頭は動いてはくれなかった。
ぴったりと体を付けた格好のグラーヴ卿が漂わせる、白粉と香水の強烈な芳香の後ろに、ひどい悪臭を感じた。
かつて嗅いだことがある、胸の痛くなる臭気だ。良い印象など小指の先もない。
物心つく前のかすかな記憶の中。父母が死んだとき。先代の座長夫婦が亡くなったとき。
漂泊の旅一座の者が命を終えたとき、その亡骸を葬ることは容易ではない。
旅先で無縁の遺骸を引き取ってくれる墓地を探す困難は大きい。棺を曳いて幾日も歩くこともあった。
かつて愛する家族であった「腐り逝く亡骸」も、こんな胸を突き上げるこの臭いを発していた――。
マイヨールは身震いした。膝の力が抜けた。まともに立っていられなくなった。
後ずさりし、楽団溜まりの囲いに尻をぶつけ、その縁に座り込んだ。
「こいつは……死人だ」




