第十四話 命を散らせて
~第一幕・恐るべき瑪那~
竜妃となった子音を妖術で操る巳影。子音を救うために残った士狼と別れて洞穴を脱出するために出口へと向かう潮たち三人組は、巳影に裏切られ負傷していた部下たち――鷹茜、亥藍と葛恵を連れて共に逃げようとしていた。その時――
『ここにいたのね』
声が響き、竜の祠の泉の畔にいた一行の前に泉の中から瑪那が現れた。不思議なことに、水面を波立たせること無く「スッ」と浮かび上がり身体も衣服も全く濡れていない。そのまま水面を滑るように近づいてきた。
「あなた……竜妃と一緒にいた……瑪那?」
「どこにいってたんだよ、竜妃が大変なことになっちまったぞ!」
潮と古兎乃は瑪那を問いただす。
「だめ……駄目だ……そいつは……」
潮に背負われた葛恵が呻きながら絞り出すように潮に語りかけた。
「――なんだって?」
「葛恵はこいつにやられたんだとよ……」
潮が葛恵に聞き返していると亥藍は鷹茜をゆっくり地面に降ろし腰の段平を抜き、構えた。
「おい、竜妃が巳影に操られて大変なんだろ?! 助けたくないのかよ!」
潮は瑪那を怒鳴った。しかし瑪那は呆れ顔でため息をつく。
「何言ってるの、わたしは竜妃様の命令でお前達を始末しにきたんだけど?」
「待って潮、子音が竜妃になったって話だよね?! その子音は巳影に操られている、ということは……」
古兎乃は状況を把握し表情を凍り付かせた。
「潮、古兎乃、ソイツらをツレて先にイケ――」
タイガーJは抜刀の構えをしながら瑪那の前に歩み出た。
「J?!」
「アレはオソロシイ気配がする――ケガニンをつれてイカント邪魔だ」
歩み寄ろうとする古兎乃を強い言葉で制止するタイガーJ。
「ケッ! 一人で格好つけんじゃねぇよイロモノ野郎」
Jと並ぶ様に前に出て構える亥藍。
「ちょっ!?……」
二人を制止しようとした潮の背中から葛恵が身軽に跳躍して離れた。
「おい、お前!?」
葛恵は何やら口を動かして何かを咀嚼していて、それを地面に吐き捨てた。それは何か植物の破片の様に見えた。
「あれは――あの薬草は?!」
古兎乃は植物片が忍びが用いる強い鎮痛効果のある薬草だと気付いた。葛恵は少し顔をしかめながらも立って歩いていた。
「やっと薬草が効いてきた……お前らは鷹茜様を連れて外へ行け」
「でも、その薬草は傷を治すんじゃなくて痛みを和らげるだけで――」
「いいから早く!」
葛恵は古兎乃の言葉を遮り亥藍の隣に立ち懐から手裏剣を取り出し両手にひとつずつ握った。
「葛恵、足手まといになるんじゃねえぞ」
亥藍は瑪那を睨みながらニヤリと笑う。
「亥藍殿こそ、そうならない事を願いますよ」
葛恵も瑪那を見据えながらそう答えた。タイガーJは「ヒュウ」と短く口笛を吹くと潮と古兎乃をチラリと見て拳を突き出して親指を立てた。
「潮、古兎乃、ソノ男だけなら連れてイケルだろう? 急げハリアップ!」
「お前ら、先に行ってるから早く来なよ!」
潮は頷くと古兎乃と共に鷹茜を肩で担いで洞穴の出口へ向かう。瑪那はその様子を冷めた目で見ていた。
「フゥ、終わった? 、一応理解してるようだね一人じゃ勝てそうにないって――まあ殆ど死に損ないばかりだけど」
「オヌシ、竜妃は操られてイル……助けようとはオモワないのか?」
タイガーJは瑪那に問いかける。瑪那はうんざりしながらため息をついた。
「関係ないね、そんなこと。わたしは竜妃様に仕える精霊。だから竜妃様に従うだけ――」
そう言うと次の瞬間、瑪那が三人の視界から消えた。葛恵は後方に手をつき素早く回転し、タイガーJは横に跳躍した。そして亥藍の目の前に瑪那が現れ手刀で首を狙う。亥藍は段平で手刀を受け、力で押し返す。瑪那はひらりととんぼ返りで着地した。
「あは! 一番鈍そうなデカブツを狙ったけど、やるじゃない」
瑪那の指先の爪が伸びて妖しく光っている。刹那、瑪那の背後にタイガーJが恐ろしい速さで回り込み抜刀横一文字から切り返しの逆袈裟という連撃を繰り出した。
「流派・絶刀――鋭流」
瑪那はJの連撃を左右の爪で火花を散らしながら受け流す。
「ちぃ、この――」
瑪那はJの斬撃の速さに反撃できなかった。その瞬間に合わせるかのように葛恵が瑪那のさらに背後に回り込んで両手の手裏剣を投げつけた。瑪那は素早く振り返り手裏剣を両手の爪で弾く。そこに亥藍が大上段の構えから縦一文字の斬撃を浴びせた。瑪那は爪を頭上で交差させて亥藍の斬撃を受け止める。外見からは想像できない膂力で亥藍の打ち下ろされた段平を防いでいた。
「ああもう!」
瑪那は苛立ち叫んだ。そこにタイガーJが前転して素早く間合いを詰め、すれ違いざまにがら空きの胴へ抜刀の一撃を見舞った。すると瑪那は糸が切れた人形のように崩れ落ち倒れた。
「流派・絶刀――急」
タイガーJはそう呟くと刀をくるりと回し鞘に納刀した。
「やったか?」
亥藍が倒れた瑪那を覗き込んだその時、瑪那は起き上がりながら爪で亥藍を突く。亥藍は咄嗟に身を捩るが脇腹を深く抉られた。瑪那の身体は服が斬られた跡もなく自らの血ではなく亥藍の返り血で染まっていた。
「ぐぉ……」
亥藍は瑪那に抉られた脇腹と竜妃の術で斬られた傷から血を大量に流し苦悶の表情で地面に両膝と手をついた。
「これでひとつ!」
瑪那は手刀で亥藍の首を狙う――が、背後から葛恵の投げた手裏剣が飛んできたためにそれを手刀で弾いた。
「もう!」
瑪那は子供の癇癪のような声を上げ、亥藍の髪を掴んだと思うと葛恵に向かってその巨体を投げつけた。
「!?」
葛恵は有り得ない出来事と身体の痛みで身動きが出来ず、亥藍の身体の下敷きになってしまった。
「かはぁ!?」
衝撃と痛みで呼吸さえ難しく、亥藍の身体の下から抜け出せない。瑪那は亥藍が落とした段平を片手で軽々と持ち上げ、倒れた亥藍に近づく。
「これで一度に二つね」
瑪那は倒れた亥藍ごと葛恵を刺し貫こうと段平を突き立てる。その瞬間、亥藍は腕と膝を立てて身体を浮かせて四つん這いの状態で段平を背中で受け止めた。
「――が、亥藍殿!?」
葛恵は自分を庇った亥藍に驚いた。
「止まったか……ザマまあみろ、俺の身体の勝ちだぜ……ぐはぁ!」
瑪那は段平を引き抜く。吐血して仰向けに倒れる亥藍。
「なによ馬鹿みたい、ちょっと順番が変わるだけじゃない――」
段平を飽きた玩具のようにポイと捨て、子供が拗ねるように頬を膨らまして顔をしかめる瑪那にタイガーJは、士狼との立ち合いで見せた極端に低い姿勢からの目にも止まらぬ踏み込みで一気に間合いを詰めた。上段横一文字、袈裟懸け、下段横一文字の流れる様な三連斬りをすれ違いざまに叩きこんだ。
「流派・絶刀――髄」
タイガーJがそう呟くと、瑪那は首と上半身と下腹部から血を吹いて人形の様に俯せに倒れた。Jは刀を血振りして納刀すると皮帽子を目深に被り亥藍の方へ振り向いた――
「な……に!?」
タイガーJが亥藍の方へ振り向いた瞬間背中に衝撃が走った。瑪那が立ち上がりJを爪で背中から刺し貫いたのだ。Jはそのまま俯せに倒れ地面には血だまりが広がった。Jはなんとか首を起こして瑪那の姿を見ると、その身体には傷一つ付いてはいなかった。
「こ……いつは……潮、古兎乃、ソーリィ……」
タイガーJは力尽き、事切れた。
「ふう、やっと二つね。こんなに手こずってたら竜妃さまに叱られちゃう――」
瑪那がまだ仕留め損ねていた葛恵の方を見た。葛恵は片腕をだらりと下げたままよろめきながら立ち上がった。歯を食いしばり、瑪那を睨みながら片方の手で小刀を構えた。
「さてと、もうひとつ」
瑪那は葛恵を見つめて無邪気に微笑んだ――
~第二幕・瑪那の追撃~
潮と古兎乃が鷹茜を両脇から抱えて参道を下って洞穴の入り口へ向かっていたその時、地面が揺れ地響きが鳴った。警戒して立ち止まり様子を伺うと、それはすぐに止んだ。
「また地震か……崩れなきゃいいけど」
潮は洞穴の天井を怪訝な表情で見渡した。この辺りは地面が揺れたためか、参道の灯篭が所々倒れて薄暗い。すると抱えていた鷹茜がピクリと動いた。
「う……ここは……今どうなっている……」
「気が付いたのか? 説明は後でするから、今は逃げるよ」
「潮、もうそろそろ出口のはずだから行こう!」
鷹茜は潮と古兎乃に肩を貸されながら亥藍や葛恵の事を考えていた。
「潮、変だよ……出口が近いはずなのに外の明りが見えないよ?」
「なんだい、もう日が暮れちまったのか――」
潮たちは唖然とした。岩が崩れて参道の敷石が途切れている……洞穴が埋まっているのだ。
「なんだよ……ここまで来て……」
潮は唇を噛みしめ、古兎乃は愕然としていた。鷹茜は何か恐ろしい気配を感じて振り返った。
「わたしが埋めたのよ、あんたたちを逃がさない為にね」
後ろには瑪那が立っていた。灯篭が殆ど倒れてしまっているので薄暗くてはっきりとは分からないが、得意げな笑みを浮かべ身体は赤黒い血で染まっていた。
「お前!? Jとあいつらは……」
潮は肩を震わせながら瑪那を睨む。
「聞きたい? わたしがここにいるって事がどういう意味かわかるよね?」
「そんな……タイガーJが……ウソだ!」
古兎乃は涙を浮かべて叫んだ。
「古兎乃、やるよ……」
「――うん」
潮と古兎乃はそっと鷹茜を降ろしてそれぞれに武器を構えた。
「どうせ死ぬんだからやめなよ、大人しくしてれば苦しませずに殺してあげる」
「ふざけんじゃないよ! はいそうですかってやられる奴がいるか!」
潮は歯を食いしばりながら薙刀を振り回し左右の袈裟懸けの連撃を加えるが、瑪那は軽々とそれを躱す。古兎乃は横に回り込み、Y字パチンコで石つぶてを放つ。
「うっとおしいなあ!」
瑪那は石つぶてを爪で弾く。その隙に古兎乃は間合いを詰めて小刀を抜き潮と共に斬りかかる。
「やああああ!」
潮と古兎乃は息の合った連撃で瑪那に斬りかかるが瑪那は軽々と踊るように躱す。
「やっぱりさっきの奴らがおかしかったんだ、わたしが人間なんかにあんなに何回も斬られるわけないもんね」
瑪那は舌を出してからかう仕草で挑発した――が、いつの間にか背後を取った鷹茜が瑪那を羽交い絞めにした。
「な……こいつまだ動けたの?!」
「お、オイ!」
「え! な、何?!」
潮と古兎乃は鷹茜の行動に驚いて動きが止まる。
「俺ごと刺し貫け、早く!」
その言葉に瑪那は顔色を変えた。
「ふざけんな! やめろぉ!」
瑪那は力づくで鷹茜を振り解こうとしたが、鷹茜は人間離れした膂力で離すまいとしていた。
「そんな!?」
古兎乃は戸惑っていたが潮は意を決した表情で薙刀を構えた。
「うおおおお!」
潮は渾身の力で鷹茜ごと瑪那を薙刀で刺し貫いた。手ごたえを感じた潮は薙刀を引き抜く。
「そんな……ウソでしょ……ありえない……」
瑪那はその場にストンと倒れた。鷹茜はよろめきながら数歩歩き、倒れる。潮は鷹茜に駆け寄り上半身を抱え起こした。
「おい……なんて無茶な……バカヤロウ……」
鷹茜は微かに微笑むと力を失い息絶えた。潮は遣る瀬無い思いで鷹茜の身体を地面に寝かせた。
「――潮」
潮は古兎乃のか細い声を聞き、顔を上げた。潮の視線の先では古兎乃が立ったまま口の端から血を垂らしていて、腹部に真っ赤な染みがあり爪のようなものが突き出ていた。
「古兎乃?!」
「潮……にげ……て……」
古兎乃は消え入るように声を発し倒れる。そのすぐ後ろには右手を赤く染めた瑪那が立っていた。
「なん……で……お前……」
潮は立ち上がり震える手で薙刀を構えた。瑪那の身体にはさっき刺したはずの傷跡が見当たらなかった。
「なーんてね、精霊が人間の武器で死ぬわけないじゃない? 本当、あんたたち人間の馬鹿っぷりには呆れるよ」
瑪那は古兎乃を刺した爪を眺めながら薄ら笑いを浮かべていた。その様子に潮は肩を震わせ怒髪天を衝いていた。勝てる望みなどない、しかし潮は仲間たちの為にもこの化け物に一矢報いなければ気が済まなかった。潮はありったけの力を込めて薙刀を振り回す――
「クソ……ちくしょぉぉぉ!!」




