温泉旅行――3
スイートルームは、素晴らしいの一言に尽きた。
「広いお部屋ですね!」
「そ、そうだね。広いね」
「インテリアに和と洋が共存しているように感じます。いわゆる、和モダンというものでしょうか? オシャレですね」
「そ、そうだね。オシャレだね」
「ベッドもフカフカで、とっても寝心地が良さそうです」
「そ、そうだね。いい夢が見られそうだね」
「あっ! 露天風呂まで備え付けられていますよ! なんて素敵なんでしょう!?」
「そ、そうだね。素敵だね」
ラグジュアリーな設備の数々に、彩芽が大はしゃぎしている。はじめて飛行機に乗った子供みたいだ。
一方の俺は緊張の最中にあり、彩芽が話を振ってきても、空返事することしかできなかった。
許してほしい。これから俺は、彩芽と一晩、一緒に過ごすことになるのだから。
彩芽とは同居しているけど、『一緒の家で過ごす』のと『一緒の部屋で過ごす』のとでは、わけが違う。距離感も緊張感も難易度も、段違いなのだ。
だ、大丈夫かな? 彩芽と同じ部屋で過ごすなんて。理性と心臓が保つか、心配で堪らないよ。
ドキドキハラハラソワソワするなか、テラスで景色を眺めていた彩芽が、俺に振り返った。
「見てください、哲くん! 素晴らしい眺めですよ!」
彩芽が向けてきた笑顔は眩しいばかりのもので、この旅行を満喫していることが伝わってくる。
その笑顔を見ていると、不安に囚われているのがもったいなく思えてきた。
いまさら心配してもどうにもならないんだ。だったら、現状を受け入れて、この旅行を楽しむのが一番だよね。
苦笑を漏らし、俺を呼ぶ彩芽のもとに向かう。
テラスに出ると、息をのむほどの絶景が広がっていた。
風にさざめく木々の緑。水飛沫を上げる川の流れ。温泉街では、浴衣姿の人々が行き交っている。
八階の高さから眺めていることもあり、まさに大パノラマだ。
「本当だ。この景色を見られただけでも、ここに来た甲斐があったね」
「そうですね。雄介さんに感謝です」
「お? あっちこっちで湯気が上ってる」
「まさに温泉郷という風景ですね」
ふたりして景色を楽しむなか、「あっ」と彩芽が声を漏らす。マンガなら、頭の上で電球が灯っていたことだろう。
「そういえば、温泉旅行にふさわしいものが、こちらにありましたよ」
室内に戻った彩芽が、ベッドの上に置かれている衣装を手に取り、広げてみせる。
彼女の言葉通り、その衣装は温泉旅行に欠かせないものだった。
「おお! 浴衣だ!」
「はい。温泉と言えばこれですよね」
彩芽が見せてきたのは、麻の葉模様の浴衣だった。温泉郷で営まれているだけはあり、ホテルの備品に含まれていたようだ。
「せっかくですし、着てみませんか?」
「そうだね。そのほうが風情が出るだろうし」
ワクワクしながら答えると、彩芽が目を細めて、「どうぞ」と浴衣を手渡してきた。
「ありがとう」とお礼を言って、彩芽から浴衣を受け取る。
「では、早速着替えましょう」
「へっ!?」
直後、渡された浴衣を床に落としてしまった。
目の前で、彩芽がシャツのボタンを外しはじめたからだ。
「ななななにしてるの!?」
「浴衣に着替えているんです」
「そんなことはわかっているよ! どうして俺の前で着替えているのかを訊いているんだよ!」
「て、哲くんでしたら、側にいても構わないからです」
「嘘だ!」
「う、嘘じゃありません!」
「無理しなくていいって! 本当は恥ずかしいんでしょ!? 彩芽、顔が真っ赤だし!」
「た、たしかに恥ずかしいですけど、無理はしていません。哲くんになら、見られても平気ですので」
「はぇっ!?」
飛び出す爆弾発言。
その衝撃は計り知れず、俺は頭を殴られた気分だった。
愕然としているあいだにも、彩芽はボタンを外していく。
ひとつ、またひとつとボタンが外される度、俺の鼓動は激しくなっていった。胸のなかで、スーパーボールが跳ね回っていると錯覚してしまうほどに。
彩芽の素肌が少しずつさらされていき、ついに、純白のブラジャーが覗く。
俺はもう、限界だった。
「お、俺は向こうで着替えるから!」
落とした浴衣を拾い上げ、転がるようにして踏込に避難する。
スパァンッ! と勢いよく引き戸を閉めて、肩で息をする。心臓はいまだにハイビートを刻んでいた。
「あ、危うく欲望に飲まれるところだった……勘弁してくれよ、本当に」
いままで彩芽には散々アプローチされてきたけど、ここまで大胆なものはなかった。旅行に来たことでテンションが上がり、箍が外れてしまったのだろうか?
俺は顔をしかめる。
「この旅行、なにごともなく終わればいいんだけどなあ」




