もしかしてだけど――2
林間学校の最初のレクリエーションは山登りだ。
山間にある宿泊施設に荷物を置き、生徒たちは近くの山を登る。
山登りがはじまってから二〇分後、俺たちの班は最後尾にいた。足取りの重い彩芽に、残りの班員が合わせているからだ。
彩芽はビッショリと汗を掻いており、息遣いはゼーゼーと荒い。見るからに苦しそうな様子だった。
「大丈夫、彩芽ちゃん?」
「大丈夫と言いたいところですが、正直、辛いです」
心配する知香に、彩芽が疲弊した顔つきで答える。普段の彩芽なら、知香を心配させないように笑みを取り繕っていただろうけど、そうする余裕さえないらしい。
彩芽に付き添っている美影が、俺たち三人に頭を下げる。
「遅れてしまい申し訳ないのですが、皆さん、どうか彩芽様をお許しください。彩芽様はお体が弱く、激しい運動が苦手なのです」
「そっか。たしかに彩芽ちゃんは、体育の授業を休むことが多いもんね」
心当たりがあるらしい知香が、「ふむふむ」と納得の頷きをした。
そんなやり取りをしているあいだにも、彩芽の歩くペースは落ちていき、ついには立ち止まってしまう。
膝に手をつき、肩で息をする彩芽。疲れ具合を見る限り、これ以上、無理をさせるわけにはいかないだろう。
先生に連絡して、助けを求めたほうがいいかな?
考えていると、彩芽が俺たちに頼んできた。
「すみませんが、誰か手を貸していただけないでしょうか? ひとりで登るのはちょっと難しいので」
「無理して登らなくてもいいんだよ? 事情を伝えれば、先生も許してくれるだろうし」
「いえ、諦めたくはないんです。辛いですけど、最後まで登り切れば、皆さんとの素敵な思い出になるでしょうから」
気遣う俺に、弱々しいながらも彩芽が笑った。健気すぎる発言と笑みに、庇護欲がかき立てられる。
「だったら、無理するな、なんて言うのは野暮だよね」
「うん。素敵な思い出にしたいって気持ちは、あたしたちも一緒だし」
「俺たちがやるべきことは、高峰さんを支えて、みんなでゴールすることだな」
彩芽の望みを叶えるべく、俺・知香・修司は団結した。
「よし! 彩芽を助けよう!」
「うん! よろしくね、哲くん!」
「しっかり高峰さんを支えてやれよ」
「彩芽様をお願いします、神田さん」
「あれっ!? 俺に一任する流れですか!?」
三人から異口同音に任せられて、俺は愕然とする。
不自然すぎるほどの自然さ。まるで示し合わせたかのように息ピッタリだった。
あんぐりと大口を開ける俺に、修司と知香が説いてくる。
「だって、哲は高峰さんと仲がいいだろ? それに、俺が高峰さんの手助けをしたら、ちぃが嫉妬するだろうからな」
「彩芽ちゃんとの仲をもっと深めるチャンスだよ、哲くん!」
「ふたりの言い分はわかるけど……任せるなら、俺よりも美影のほうがよくない? 美影は彩芽の付き人だし、俺よりも体力があるしさ」
「残念ながら、わたしにはできません」
唇を固く引き結んだ、断腸の思いと言わんばかりの表情で、美影が首を横に振った。
「彩芽様をお支えしたいとはわたしも思います。ですが、わたしにはやらなければならない任務があるのです」
「やらなければならない任務?」
「野生動物への対策です」
予想外の答えに、俺は目をパチクリさせる。
呆然とするなか、美影が続けた。
「クマはもちろんのこと、イノシシでさえ人命を脅かします。彩芽様をお守りするため、近辺に脅威がないか、探らなければならないのです」
「いや、流石にこの近くにはいないでしょ。林間学校に用いられているんだし、きっと安全は確認されてるよ」
「ですが、昨今は市街地にもクマが出没しているのですよ? いないと言い切ることはできないのではないでしょうか?」
「それは、たしかにそうだけど……」
美影の言い分はもっともだ。滅多なことはないだろうけど、ここが山中であることに変わりはない。万が一はあり得る。
しかし、だからと言って、美影に行かせるわけにはいかない。いくら強くとも、彼女は女の子なのだから。
そう考えて、俺は反論した。
「それでも、やめておいたほうがいいよ。もしもクマと遭遇したら、美影が危険だ」
「ご心配なく。正面からぶつかるのは厳しいですが、搦め手を使えばどうとでもなりますので」
「ど、どうとでもなるんだ……」
美影の返答に俺はドン引きする。単身でクマを倒せるなんて、俺Tueeeが過ぎるのではないだろうか? 本当に人間なのか疑ってしまう。
俺が頬を引きつらせるなか、軽くストレッチをして、美影が背を向けた。
「それでは、行って参ります。くれぐれも、彩芽様をお願いいたします」
「無茶はしないでね!? 危なくなったらちゃんと逃げてね!?」
心配する俺に答えることなく、美影が林のなかに消えていった。
残された俺の肩に、イジワルそうな笑みをした修司と知香が、左右から手を置く。
「月本さんのお願いを無下にするわけないよな、哲?」
「彩芽ちゃんを放っておいたら、ガチで美影ちゃんに殺されちゃうよ?」
「わ、わかってるよ。もとから、彩芽を置いていくつもりなんてないし」
ぶっきらぼうに応じて、俺は彩芽のもとに向かった。
嬉しそうに目を細めて、彩芽が頼んでくる。
「ありがとうございます、哲くん。腰に腕を回すようにして支えていただけますか?」
「そ、そうしたら、ガッツリ体に触れちゃうけど、大丈夫?」
ためらう俺に、変わらず純粋な笑みを浮かべながら、彩芽が頷いた。
「大丈夫です。哲くんになら、なにをされても構いませんので」
平然と投下される爆弾発言。
その衝撃が凄まじくて、酸素を求める金魚みたいに、俺は口をパクパクさせる。
気恥ずかしさに口元をモニョモニョさせて、照れ隠しに皮肉った。
「か、からかう余裕があるなら、まだいけそうだね」
「からかう?」
俺の皮肉がわからないのか、彩芽はコテンと首を傾げていた。からかっているわけではなく、本心からの発言だったらしい。
そんなに簡単に信頼しないでくれよ! 俺だって男なんだからね!? 男は狼なんだからね!?
悶絶しそうになりながら、覚悟を決めて、彩芽の腰に腕を回す。
力を込めたら折れてしまいそうなほど細い。胸は出ていて、ウエストは引っ込んでいる。顔や性格だけでなく、彩芽はプロポーションまでも完璧なようだ。
「そ、それじゃあ、もうちょっと頑張ろうか」
「はい」
ドギマギしながら声をかける俺に、彩芽が笑顔で応じた。




