僕の好きな、蝶の写真
「はい、コーヒー」
「ありがとうございます……」
わざわざ話すのに家にあげてもらってしまった。
そこらへんで話すつもりだったんだけど。
ていうか家がでかい。
ほんとでかい。
しかもなんか門と玄関の扉に凄そうなセキュリティシステムがついていたし。
「秀映くんはさ、蝶の写真を撮るのが好きなの?」
「はい。もともと写真を撮るのは好きで、舞花と出会ってから、蝶の写真を撮るのが好きになりました。それ以外の写真を撮るのも好きですけど」
「そうなのね。舞花もそれに影響されて、最近写真が好きみたいなの」
「はい。舞花も楽しそうに写真を撮ってます」
「それは私も嬉しいの。でもね、私からすれば、舞花はただ逃げるために写真を撮ってるようにしか思えない」
「……」
「結局一ヶ月写真を撮ってたみたいけど、それで何が得られたの?」
「何が得られたか……」
「だってそうでしょう。舞花は今、女優を目指すわけでもない、学校で勉強を頑張るわけでもない。すごく無駄な時を過ごしてるわけじゃない。それでいて写真は撮ってるわけだから、それで何か得られてないと、全くもって意味がないわけでしょ」
「いや、無駄なんてことは……」
僕は否定しようとしたけど、どう否定すればいいのかわからなかった。
でもさ、菜々はきっとわかっていない。
菜々はきっと、努力することもできて、才能もあるから。あるどころじゃなくて、もう誰よりも豊富だから。
知らないし、わからないんだと思う。
みんながみんな、うまく行くわけじゃない。
みんながみんな、努力しただけ報われて、歩んでいけるわけじゃない。
みんながみんな、無駄な時を過ごさずに前に進めるわけじゃない。
僕の右肘が、久々に痛くなってきた。
かつて、僕が抱いていた、叶う確率なんてほとんどない夢。
野球選手になりたいと僕は思っていた。
実際は、地元の少年野球でもベンチ。
だから僕は必死に、毎日限界の限界までボールを投げていた。
そしてその結果肘を壊し、肘の軟骨のあたりの手術をした後は、僕は野球をしていない。
そうして何にもやりたいことがなくなった僕は、幼馴染に勧められて、写真を始めた。
そこで写真の魅力に気づいて、今に至る。
そんな空回りして爆発して、どこかに飛んで行ってしまった夢しかない僕は、きっと何を言っても、菜々の心に響くことはないだろう。
それだけ、菜々と僕に厚みの差があるということだ。
けど。
僕は今、写真を撮るのが好きで、これまでにたくさん写真を撮ってきた。
それだけは確かだ。
だから僕は菜々さんに言った。
「僕は写真で、人の心を動かせたらいなと思っているんです」
「……そう。私、結構みてるわよ。夕暮れのそらさんの写真。まあ無難だわね」
「……」
「私ね、映画監督、カメラマン、小説家、スポーツ選手といろんな人に会ってきた。みんなね、人の心を動かそうとしているのは当たり前なの。もちろん、私もね」
「あの、僕の写真、見ていただけませんか? まだ夕暮れのそらのアカウントでは、投稿してないものです」
僕が言うと、菜々は笑った。
「回りくどく言ったつもりが伝わらなかったのかな。私はあなたの写真に特に何も思うところはなかったって言うつもりだっんだけど」
はっきり言うなあ……。
それでも僕は、鞄の中から、プリントした写真の入った封筒をとりだした。
だって、悪いけど、渡して見てもらいさえすればいいのだから。
「え、プリントして持ってるの?」
「はい。もうそれは、すごい写真なので」
「……なんの写真?」
「……そうですね。僕の一番好きな、蝶の写真です」
「まさか……悪魔のアゲハチョウじゃないでしょうね」
「違いますよ」
僕は封筒から十枚くらいの写真を取り出した。
そして菜々に渡す。
「……!」
菜々が何かを言いかけたけど、口を閉じた。
そして一枚一枚、順々に写真を見ていく。
五分くらいかけて、何周も写真を見ていた。
その後に、一言つぶやいた。
「舞花……ずっと笑顔なのね」




