ふん
「 お礼に夜ご飯一緒にどう?太朗も大丈夫そうな個室があるとこにするけど。もうお母様ご飯の準備なさってるかしら」
車に乗り込むと彼女が俺に言った。
「 ああ礼とか良いよ。せっかく使用料只なのに、スイミングクラブより高くつくんじゃねえの?」
彼女が困った顔をしたので彼女の言葉に便乗した。
「 家で飯準備してると思うし」
そう言われれば彼女も折れるしかないだろう。実際は夜家で飯を食わなくても、それがどんな内容であれ朝飯に回されるだけなので何も問題なかったのだが、今の時点で親しくなっても所詮俺は彼女の恋愛対象にはなれないという思いが俺を憂鬱にさせていた。
それに彼女だって本当に俺と飯を食いに行きたいと思っていたなら、帰り際の今ではなく母ちゃんが飯を作り出す前に、今日会ってすぐに確認していたはずだ。
きっと、俺と長く一緒にいることを躊躇っているのだろう。
表面上は平静を取り繕いながら、内心卑屈な考えに囚われている自分が情けなくてイラついていた。
「 じゃあお礼はまた今度」
彼女がしつこくそう言うので、余計な言葉をきつい口調で投げつけてしまった。
「 だから礼とか良いって。あんまりしつこく言うとまたキスするよ」
彼女は前を向いたまま口ごもった。太朗がすでに寝ていたのがせめてもの救いだった。
車内の空気はかなり重苦しかった。
俺の気持ちを無視する彼女を、このまま無視し返して帰ってしまいたかったが、そんなことをすれば別れてすぐ猛烈な後悔の念に襲われるのは目に見えていた。
「 ごめん」
何とか搾り出した低い声が車内に小さく響いた。彼女が前を向いたまま返事をしないので仕方なく続けた。
「 ごめん。プールで太朗をみるのは構わないんだ。可愛いし。でも、俺を近づけたくないのに無理して飯とか誘ってもらっても嬉しくない。礼ならこうして送ってもらってるので十分だよ」
彼女は俺を見ない。
「 近づけたくないって何?あたし、お兄ちゃんには太朗と仲良くして欲しいと思ってる」
俺の言葉が足りなかったせいか、話を逸らそうとしているのか、彼女が静かな、かすかに震える声でとんちんかんなことを言った。
「 違うよ、本気で言ってんの?それとも話を逸らそうとしてんの?太朗にじゃない。自分にこれ以上近づいて欲しくない、特別な気持ちを持って欲しくないって思ってるだろ?」
彼女は唇を噛んで前を見据えていた。
「 思ってるよね。・・・・・・俺無理なんだよ」
もう良いか。どうせ俺の気持ちはとっくにばれてるんだし、はっきり告白したって今更何が変わるわけじゃない。そう思った時丁度彼女に聞かれた。
「 何が無理なの?」
彼女の強張った横顔を見ながら、俺が思いを告げることで笑顔になってくれれば良いのになと思った。でも当然それは夢のような話だった。
「 俺、仲良くしながら、好きにならないとか無理なんだ。もう既にどうにもならないぐらい好きだし。そっちの望みどおりにするなら、俺もう、会わない方が良いと思うよ」
ああ言っちゃった。自分で言ってどうすんだよ。もう会えねえじゃん。
黙り込む彼女が俺に何かを答えるより早く、俺の携帯が鳴り出した。
表示された母ちゃんの番号に苛立ち、即効で切った。すぐにまた鳴り出した携帯に舌打ちしてもう一度切ると、彼女が静かに言った。
「 出たら?」
「 良いよ」
彼女が睨むような顔で俺をちら見した。
「 電話してて」
そう言うと、いきなり車の向きを変え、ファミレスの駐車場に車を突っ込み、こっちを見もせずにドアを開け出て行ってしまった。
思わずでかいため息が出た。謝罪は失敗だ。
しつこくかけてくる母ちゃんにムカつきながら、電話を取った。
「 何?」
「 あんたプールでしょ。もしかして今日太朗君来たの?」
何で分かったんだよ。
「 それが何」
「 今日ねえ、ウナギとカニとたこ焼きと高級アイスクリーム貰ったのよ。冷凍庫に入りきらないからおすそ分けしようと思って!太朗君とママうちまで連れてきて!」
すげえ勢いで言われた。
「 無理」
「 なんで!?あんたがヘタレで誘えないんならあたしが誘うから電話代わって!」
「 違う。今喧嘩みたいになってるから絶対無理。じゃあな」
そう言って通話を切ると、電源まで落としバッグに投げ込んだ。
彼女は中々戻ってこなかった。幸い太朗はプールで疲れているのか熟睡していた。
エンジンはかけっ放しでクーラーは効いている。太朗の腹に、横にあったタオルをかけると静かに車から出た。
車の見える範囲で彼女を探そうと周りを見回すと、すぐ隣のデカイ車の陰に彼女の頭を見つけた。
助手席の死角に居たようだ。
「 ねえ」
声をかけると、肩をびくっと揺らし、隣の車の向こうに逃げて行った。泣いてんのかな。
追いかけるフリをして反対に周り彼女の車と隣の車の間の角で待ち伏せると、案の定彼女が顔を伏せたまま出てきて俺の胸にぶつかった。
「 何やってんの?逃げ道ばればれだろ」
背を向けようとする彼女の両腕を正面から捕まえると、一層俯こうとした。
「 泣いてんの?分かってる?ほんとに泣いていいのは振られた俺なんだからね」
腕を掴んだままそう言うと、彼女が俯いたまま唸る様に答えた。
「 うう、分かってる。ごめん」
「 分かってるから、俺から逃げてんの?すぐ捕まったけど 」
「 泣き止んでから、戻るつもりだった」
相変わらず顔を伏せたまま、低く抑えた声は震えていて今にも嗚咽が漏れそうだった。思わず腕を離し、彼女の頭を胸に引き寄せた。
「 止めてよ、この期に及んでそういう可愛いことすんの。俺無理だって言ったろ?せっかく会わないって言ってんのに」
彼女は俺から離れようと、俺の胸に当てた手を突っ張ろうとしていたが、非力だった。
「 振られた俺を差し置いて泣いてんだから我慢して。俺のこと可哀想とか思って泣いてんの?俺、嫌だよそれ」
彼女が俺の腕の中で緩く首を振った。
「 違う」
「 なんで泣いてんの。俺に申し訳ないって言うのも一緒だからね」
彼女がもう一度首を横に振った。
「 じゃあなんなの。俺謝らなくちゃいけないの?」
「 謝って」
予想外の返答に聞き返してしまった。
「 へ?」
「 謝って。うう、もう会わないって言ったの謝って。違う、謝らなくて良い。会わない方が良い。好きにならないで。でも謝って」
そう言ってまた泣き出してしまった。
分からん。
ほんの少しだけ泣いてすぐに復活した彼女は、両手でどんと胸を突き仏頂面で俺から離れた。
「 近づいて欲しくないって分かってるんでしょ 」
「 はあ?抱きついて泣いてたのそっちだろ」
「 ふん」
彼女は鼻息を残して車に乗り込んだ。
「 可愛くねえなあ」
彼女はそう呟きながら助手席に乗り込んだ俺を半目で見ると、もう一度「ふん」と言った。
思わず顔が緩んでしまうが、彼女が俺を横目で睨んだ。
「 何よ、何で笑ってるの」
その顔もつぼにはまった。
「 何でって。可愛いからに決まってるだろ」
笑っていると、彼女は無言で前を向いた。
「 照れてんの?」
「 煩い」
不貞腐れた彼女がとても子供っぽく見えて嬉しかった。何かスッキリしたような。何がスッキリしたんだろう?




