何様だよ
車内に嫌な違和感があった。ああ、タバコの匂いだ。彼女の車に俺以外の男の気配を感じ、ムカついた。
待て俺。勝手にキスして拒否られたうえに、告白さえしていない。彼女が他の男を車に乗せていたとしても、俺にムカつく権利はないだろ。
「 ねえ、サダオは大丈夫?」
一瞬サダオの心配をしているのかと思ったが、すぐに違うと気付いた。
「 ああ、なんか勘違いしてるなあいつ。上手く言ってくれたの?」
宮本はあの後、お前の目が正しかったと俺に謝ってきた。気持ち悪かった。
「 一応無理矢理だったって言うことは理解したみたいだから、反省はしてたけど」
「 ふうん。俺のことはなんか言ったの?」
彼女が前を向いたまま眉を寄せ微妙な顔をした。
「 うーんそれが、わざわざあたしとお兄ちゃんが仲良くしてること教えてもお兄ちゃんに迷惑かけそうだし、お兄ちゃんがサダオを殴ったことには触れられなかったのよね。あんたが悪いんだから、誰かに見られてて非難されても当然なんだからねってはしつこく言っといたけど」
彼女と俺が仲良いっていう言葉で簡単に浮かれてしまう俺は何なんだ。無視されてたんだぞ。
「 ふーん。じゃあ俺は正義の味方ってことになってんだな、きっと」
ちらりと俺を見た彼女が面白そうに笑った。
「 ああそうなんだ。じゃあ安心だね。良かった」
これもなあ、俺の心配してくれてると思ってたけど、もしかして自分のせいで人に迷惑かけるのが嫌なだけなのかな。
ふと静かな背後が気になって振り返ると、やっぱり太朗が寝ていた。
「 ほんとによく寝るなあ」
久しぶりだったのにもう少し話せば良かったな。きっと俺が車を降りる時もぐっすりだ。結構残念だった。
「 ご飯ちょっとしか食べないからね。エネルギー温存してるんじゃない?」
確かに祭りの日も呆れるほどちょっとしか食ってなかった。
「 父親は大きいの?」
「 え?」
急な話題転換についていけなかったようで、彼女が怪訝な顔をした。
「 マッチョだって言ってたろ?太朗小さいからさ。母親似?」
彼女がなるほどというような顔をした。
「 小さくはなかったかな。でも背が特別高いって訳でもなくて、えーっと、柔道してたけど真ん中くらいの階級で、そんな感じ」
「 ふーん」
自分で聞いといてかなり面白くなかった。何やってんだ俺。
「 太朗はあたしに似てるのかなあ。大きくなれると良いんだけどねえ」
「 背はともかく、運動はできそうだよな。走るのも早いし」
「 うん、それはあたしに似なくて良かった。男の子運動苦手だと可愛そうだもんね。もしかしたら球技が出来ないかもしれないけど」
苦く笑う彼女に、斉藤を思い出しながら言った。
「 まあもし運動できなくても気にすることないんじゃない?俺の友達にもすごく良い感じの奴がいるよ。運動全般駄目みたいだけど」
彼女が返事をしないので何となく横を向くと、さっと俺から視線を逸らす彼女が見えた。凹む。
「 良いこと言うね。流石お兄ちゃん」
本心なのか、誤魔化しなのか分からなかった。適当な事言ってるのかもなと思うと、悲しくて、頭に来た。
「 どんな人だったの父親」
半ば投げやりな気分で尋ねると、彼女が嫌そうに俺を見た。
「 えー、どんな人って何?性格?見た目?」
「 どっちも」
ふてぶてしく促すと、視線を前方に戻し軽く溜息を吐いて諦めた顔をした。
「 うーん、そうねえ。見た目も性格もねえ、真面目?朴訥とした感じで、生真面目で、優しくて、誠実かな」
はあ?
「 は!?」
想像していた男とのあまりの違いにでかい声が出た。慌てて後ろを確認するが太朗はすやすや寝ていた。
それにしても!優しくて真面目で誠実な奴が、妊娠した婚約者捨てる訳ねえだろ!
「 考えてることは分かる」
彼女が俺を見てさらに嫌そうに顔を歪めた。
「 だから言いたくないのよ。優しすぎるせいでぎりぎりまで我慢して、真面目で誠実すぎて、好きじゃなくなったあたしと結婚出来なかったのよ」
俺の反応を非難するような面白くなさそうな声音の彼女に腹が立った。
「 なんだよそれ。自分を捨てた男を庇う必要ねえだろ」
「 庇ってるわけじゃない、事実だもの。そう言う人だったの。馬鹿正直で」
彼女に淡々とした調子でなおも否定され、耐え切れなかった。
「 馬鹿正直じゃなくて馬鹿だろ。庇ってなくて何なんだよ。信じられねえ我慢とか。何様だよ」
我慢って何なんだよ!この可愛い人と結婚するのに我慢って何なんだよ!
「 我慢して結婚してやろうと思われてた訳?あんたのこと馬鹿にするにも程があんだろ!優しくなんかねえよ。自分勝手で情けねえからぎりぎりまで言えなかっただけだろ!最低だよ。そんな奴庇う必要なんか、」
彼女を傷付けておいて庇われる男にムカついて罵っていると、前を向いたまま唇を噛んだ彼女が今にも泣きそうな顔をしていることに気付き我に返った。
「 ごめん!俺こそ何様だよな。ごめん、マジでごめん。土下座したい。車停めてくれたら土下座する、ちょっと停めてくれない?」
焦って手を合わせて頼むと、彼女の表情が崩れた。
「 うう、もう止めてよ、本当に。泣くわよ」
抱き締めたくなるような情けない表情でそう言いながら、彼女は笑っていた。
「 真面目なマッチョがタイプな訳?」
ちょっとした沈黙の後しつこくそう言った俺に、彼女が今度こそしっかり普段通りの声で答えた。
「 まだその話するのー?土下座するって言ってなかった?」
「 馬鹿の話じゃないよ。タイプの話」
彼女が呆れたように俺を一瞥した。
「 馬鹿呼ばわりなのね。まあ、いっか。タイプねえ、まあ昔はそんな感じだったけど、今だったらそうだなあ、経済力があって、誠実で、ずっとあたしと太朗を好きな人、とかかな」
「 ふーん」
だよな。分かっていたことだけど、経済力と言う単語が彼女の口から出ると胸が痛かった。
「マッチョは入ってないんだ」
大した身体じゃないけど、良い身体だって言われて調子に乗ってたのにタイプに入ってない。
「 まあ好みだけで言ったら勿論入ってて欲しいけど、今タイプって聞かれてもねえ。結婚相手と太朗の父親として考えちゃうからね、子持ちの分際で贅沢も言えないし」
そう彼女が言ったところでコンビニが見えた。
「 家まで行く?」
「 いや、道狭いしいいよ。時間かかるだろ?」
「 そう?」
彼女がコンビニの駐車スペースに車を入れた。
しつこいのは分かっていたけど、今聞いておかなきゃ次にこの話題を持ち出す勇気がない。次が有るのかも分からない。
「 結婚相手は金持ちが良いの?」
彼女は少しだけ躊躇う様子を見せてから、でもはっきりと答えた。
「 最低限家族が暮らしていける稼ぎがあれば良いけど、あたしが大黒柱なのは絶対嫌。せっかく結婚するなら、早く生活費のプレッシャーから解放されたいの」
そして、俺の目を見た。さり気なく強調された早くという言葉に、自分が牽制されたのだと分かった。彼女が面と向かって俺にそれを伝えようとしていることも。
「 ああ、そりゃそうだよな。分かる」
政木が言うように、彼女が俺のことを誤解していたのかどうかは分からなかったが、例えそうだとしても今日俺が会いに来たことで、俺が彼女に少なからず好意を持っているということはばれてる。と思う。
そして彼女は、俺がこれ以上彼女に特別な感情を持たないことを望んでる。今日はっきりしたのはそういうことだった。
胸が痛い。友達付き合いは以前通りしてくれるんだろうけど、マジで凹む。涙でそう。
でも、どうしようもない。彼女のその当然と言える望みも、俺の彼女への気持ちも、どうしようもない。




