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もうしない


動物園でのイベントは盛況で、花火大会や夏祭みたいにぎゅうぎゅう詰めではないけど程よく賑わっていて、快適だった。

幼児向けの催しは少なめだったが、その分太朗が好きな動物も見てまわり、太朗もかなり楽しんでいたようだ。

太朗はペンギンとシロクマが好きだった。

ちょろちょろは相変わらずだが広い園内を長時間歩き回るのは3歳児にはきついようで、彼女がバギーを持参していた。

しかしそっちはほとんど荷物置きとなり、太朗は俺の上か走ってるかだった。

俺役に立ってるよな。もし親子ふたりで来てたら、バギーに載ってる分の荷物を彼女が持って、太朗を乗せたバギーを押してまわったのだろうから。

もしかすると、太朗が走り回るのを、荷物とバギーを抱えて追いかけたりもするのかもしれない。

幼児連れってほんとに大変だな。彼女の役に立てた充実感で、デートらしいことは何もなかったが満足だった。



「 えっと、花火が19時からだって。10分くらいで終わるみたい」 

彼女がパンフレットを見ながら言った。太朗は、この期間限定で出ている祭りっぽい出店で買った焼きそばと箸巻きを食べている。太朗の残りを俺が食うつもりだ。

「 10分しかねえの?」 

「 子供用だからねえ。皆すぐ飽きちゃうからだろうね。体験したってだけで満足なのよ子供って」 

「 ふーん」 

「 太朗、もうごちそうさま?お兄ちゃんにあげていい?」

「 いーよー。ごちとーたーん」 

彼女は早速椅子から降りようとする太朗にジュースと飛行機をあたえると、俺を見て言った。

「 あたしが太朗の残りでいいのに」 

申し訳なさそうな彼女に首を傾げる。

「 これ全部食えんの?」 

彼女が眉を寄せ嫌そうな顔をした。太朗はほとんど食っていない。

「 ・・・食べれないけど、お兄ちゃんが太朗の残りって変でしょ?」 

「 いいよ別に」 

彼女が俺を見てため息を吐いた。

「 そんなにこれ食いたかったの?」 

既に二口ほどでほとんどなくなってしまっていた箸巻きを指したが、呆れた様に首を振られた。

「 違うわよ。もういいや」 

何が良いのか分からなかったが、早く食わないと太朗がちょろちょろし始めるので後にすることにした。

「 早く食べなよ。太朗が行っちゃうよ」

彼女はようやく自分用の焼きそばのパックから輪ゴムを外した。



「 はー、楽しかったねえ」 

運転席に座りハンドルに手をかけた彼女が、前を向いたまま言った。

「 たのしかったー。あのねえぼくねえはなびー」 

「 花火興奮してたもんな」 

「 すぐ飽きちゃったけどね」 

「 ほんと最後の方、ほとんどの子供が上見てなかったな」 

太朗も、俺が買ってやった光る輪っかを転がしてキャーキャー言っていた。

「 そうね。あれはあれで面白かったね」 

「 うん」 

彼女がふうと息をつくと言った。

「 さあ、帰りますかー」 

「 はーい」

 太朗が元気に返事した。



「 今日もまた早かったな、寝るの」 

「 そうだね、駐車場出るまで持たなかったねえ」

結構な長さの列に続きのろのろと駐車場内を進んでいるうちに、太朗はいつも通り口を開けて夢の中だった。

「 なんか、ごめん」 

彼女が怪訝な顔で俺を見た。

「 え?何が?」 

「 いや、1日歩き回って疲れてるのに、俺運転も代われないからさ」 

彼女が嫌そうに前を向いた。

「 またそう言うこと言って」 

そう言うことがどういう事なのかは分からなかったけど、何やら気分を悪くさせたのは確実のようだ。

楽しかった一日に水を差したようで胸が痛くなった。黙った俺に彼女が声のトーンを変えた。

「 ねえ、今日はすっごく助かった。やっぱりひとりじゃ花火まで頑張れなかったと思うし」 

確かにひとりで一日中太朗と外にいるのはきつい。俺が役に立ったと感じていたのは勘違いではないようだ。返事をしない俺を窺うように彼女が続けた。

「 今度お礼するから何か考えてて」 

ああ、何か失言したけど今度はあるのか。良かった。

「 何でも良いよ」 

「 えー?じゃあ何が好きなの?」 

「 何って?」 好きなのはあなただけど。

「 えーと、そうねえ。食べ物とか、うーん、食べ物とか?」 

自分では普通に笑ったつもりだったが、凹んだままのせいか鼻で笑った風になってしまった。駄目だろ俺。

「 食いもん限定?」 

「 何でも良いんだけど、思いつかない。品物あげるのはなんか変だし」 人間も品物に含まれるのかな。じゃあ、俺が欲しい彼女は貰えないんだろうな。あ。と、思った時には口が開いていた。


「 やっぱ食いもんでいいや」 

「 何?食べたいものある?」 

「 うん」 あなたの唇が食いたい。もしくはあなたが食いたい。なんて、言える訳ねえだろ!馬鹿な自分と、急激にばくばくしだした心臓に辟易する。

「 やっぱ良いや」 

「 もう、何なのー?お兄ちゃんどうかした?」 

彼女が俺の顔を覗き込んだ。

「 いや、どうもしてない」 

「 どうもしてなくないでしょ。なんで怒ってんの?」 

怒ってんじゃないよ、凹んでんの。

「 怒ってない。ごめん。じゃあ」

言っちゃ駄目だ、今度がなくなるかもしれない。今日じゃなくていいだろ、また今度、ずっと先に言えば良い。

「 うん。何?」 

ばくばくするのに。胸が締め付けられるように痛い。ダブルだときついな。

「 食いたいもの」 

「 うん?」 

丁度赤信号で車が停止した。


身体をシートから浮かせて、彼女の柔らかくて細い腕に手をかけた。

「 ん?」 

彼女は俺が触れた腕に目をやったが、俺を見ない。

「 こっち」 

「 え?」 

顔を上げた彼女の唇に、自分の唇を押し付け軽く吸った。

少しだけ顔を離すと、彼女は唖然として固まっていた。チャンスかな。いつ叩かれるか、突き飛ばされるか、それに、次があるかどうかも分からないもんな。

もう一度、ほんの少し開いた彼女のしっとりした唇に自分のそれを合わせた。ぴったりと吸い付くようで何とも言えず気持ち良かったが、軽く合わせただけの状態が物足りない様な、こっちの興奮が触れた所から震えとして伝わってしまいそうな、もどかしさに耐え切れなかった。

彼女が呆然としているのをいいことに、俺に押されながら後退ろうとする彼女のうなじの辺りを手で支え、その柔らかい唇にさらに強く唇を押しつけた。

このまま、ぎゅうぎゅうに抱き締めてしまいたい。頭がどうにかなりそうだった。

後ろの車にクラクションを鳴らされ、はっとして俺を押しやり前をむいた彼女が車を発進させた。



「 どういうこと?」 

随分長かった沈黙の後、彼女が静かにそう言った。こっちをちらりとも見ない。

流石に嫌われたのかな。もう次はないかもな。胸が重く痛む。何とか低い声を絞り出した。

「 食いたいもんくれるって言うから」

またしばらく無言でいた彼女が、硬い声で言った。

「 冗談でこういうことしないで」 

「 冗談じゃないし」

確認する気にもならないが、雰囲気と声の調子からも彼女は硬い表情のままだろう。俺の言葉を無視し返事もしない。

「 そんなに嫌だったんだ?」 

避けようと思えば避けられただろ?自分勝手に彼女を責めたくなる。

彼女は俺の問いには答えずに言った。

「 こういうことされると、もうお兄ちゃんに会えなくなる」 

彼女の声音の変化に視線を向けると、彼女は前を見つめたまま今にも泣き出しそうな顔をしているよう見えた。

怒らせるのは構わないが、泣かせるつもりではなかった。

「 ごめん、悪かった。もうしない」

彼女は唇を噛んで、俺を見ないまま声なく頷いた。 









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