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もう俺駄目だ

しばらく会話が途切れると、彼女とこんなに近い距離にいるということにまた心臓がばくばくしだした。

良かった。俺彼女の真後ろで。例え斜め後ろからだとしても、顔を見ながらじゃきっと緊張しすぎて会話できてない。

「 ねえ。まだ真っ直ぐでいいの?」 

「 あ、はい。かなりずっと真っ直ぐです。でかい警察署まで。そこを左です」

心の中で準備していた答えをなんとか伝えた。

「 はーい」

彼女が息子と同じような調子で俺に返事してめちゃくちゃ可愛かった。いや、顔は見えないけど、とにかく彼女自体が。


「あ、そういえば、席替わったの?もしかして最初に手を振ってたお友達があの席に座ってる?」

彼女が、思い出したように声を上げた。

「 あ、はい」 

「 外見すぎて先生にみつかったんじゃないの?」 

面白がる声音の彼女に言い当てられた。

「 ああまあ・・・そうです」 

「 あははーやっぱり?でもお友達はいっつも寝てるよね。どっちがましか分かんないね」 

彼女はまだあの席を見上げているのだ。またあの特等席を失ったことに対する後悔の念が強まった。

彼女が助手席を覗き込んだ。

「 こっちも寝ちゃったー。あんたも寝てばっかりだねえ」 

彼女は赤信号で停車したついでにサイドブレーキをひくと、助手席のほうに身を乗り出した。

腕をいっぱいに伸ばしているのか、シートの間から淡い色の柔らかそうなカットソーが上半身の形に沿うのが見えて、また心臓が鳴った。


「 シート倒すから引っ張ってくれる?」 

はっと顔を上げると、彼女がそんな俺を見て笑った。そしてすぐに子供に視線を戻した。

言われた様に助手席のシートを軽く引っ張った。子供の頭と一緒に、子供に覆いかぶさるようにしている彼女の身体も少しだけ俺のほうに近づいた。

黒い滑らかな髪が、水を含んで重たげに揺れる。

やっぱり彼女の匂いだった、車内に漂っていた良い匂いが、いっそう強く香った。


「 ありがと」 

たぶん彼女は、自分の上半身を見て顔を赤くしている俺に気付いていた。でも、気にせず笑ってた。

少年よ初心で可愛いなあ、みたいな視線に、年齢の差を感じてショックを受けた。

彼女はいくつなんだろう。

そして俺はそんなことを気にしてどうするつもりなのだろう。

彼女は子持ち人妻だ。

その時ようやく、乱暴に投げ込まれたのだろう彼女の荷物が後部座席を散らかしていることに気付いた。

もとい、彼女は子持ち人妻いい加減だ。

雨の所為で締め切られた小さな車内、子供はいるが寝てて存在感がない。まるで密室に二人きりのようだった。

雨の音が煩くてよかった。息の仕方を忘れてしまったかのように息苦しい。

静かな車内では、俺の整わない呼吸音が彼女に聞こえてしまいそうで、きっと窒息していたに違いない。


     

「 そこのコンビニでいいです」 

「 そう?」 

彼女は車を、コンビニの駐車スペースにやっぱり頭から突っ込んだ。

「 ありがとうございました。なんかスミマセンでした」 

後部座席から声をかけると、彼女が振り返って俺を覗き込んだ。

近すぎて彼女の目を直視できず視線を下げると、声に合わせて柔らかそうに動く唇に目がとらわれた。 

「 いーえー。あたしのせいでバス逃したんだから気にしないで。これあげる。はい」

彼女はさっきのビニール傘をもう一度俺に差し出した。

「 タオル被っていくし大丈夫です」 

「 いーからいーから。100円なんだし。はい」 

短く爪を切った彼女の手から白い傘を受け取った。

服や雰囲気からは子供がいるなんて感じられないけれど、その手を見ると、家事なんてやってないだろうクラスの女子とは全然違っていて、母親なんだなと感じた。

相変わらず彼女の顔を直視できず、そのまま頭を下げて外に出た。

彼女の傘を差してドアを閉めてから、車の方に向き直った。 

彼女が運転席の窓を開けてくれた。 

「 ありがとうございました」

最後ぐらいはと、顔が紅潮するのを自覚しつつもきちんと彼女に視線を合わせて礼を言った。

彼女は俺を見てにっこり微笑むと手を振ってくれた。

「じゃあねー。風邪引かないようにねー」 

可愛い。年の差は感じるけど、それでもやっぱり可愛かった。

もう俺駄目だ。諦めるとか、忘れるとか、なかったことにするとか、無理。きっと無理。


彼女の車がバックして方向転換するのを見守って、彼女に今度は俺がぎこちなく手を振った。

彼女は笑顔で手を振り返して車を発進させた。

俺も何とか彼女の車から目を引き剥がして、自分の家の方向に取り敢えずの一歩を踏み出した。

「 お兄ちゃん待ってー!」 

彼女が俺を呼んだ。

相変わらず壊れそうな位ばくばくする心臓を持て余しながら振り返ると、運転席の彼女の奥から彼女と似た可愛らしい作りの小さな顔がのぞいていた。

「 起きたー。お兄ちゃんにばいばいするって言ってんのー。ほら太朗。ばいばーい」

彼女がお手本を見せるように俺に向かってばいばいした。

彼女に続いて同じ様な顔をした子供が俺に向かって小さな手を振った。

「 ばいばーい!」 

二人顔を並べて俺が返事するのを待っている。

なんだこれ。めちゃくちゃ可愛いんだけど、どうしたらいいんだこの親子。

激しく恥ずかしかったけど頑張った。

「 ば、ばいばい」 

一人は満足そうに、もう一人は苦笑して窓が閉まった。

 


コンビニから家まで、いや家に着いてからも、足元がふわっふわだった。

雲の上を歩いてるみたいな新感覚だった。俺にこんな技が可能だったとは、驚きの事実が発覚したな。

彼女の傘を部屋に持ち込み、濡れた制服のままベッドに倒れこんだ。

仰向けになり顔を掌で覆うと彼女の顔や声が思い出された。交わした言葉を反芻し、悶々とした。

ふと気になって尻のポケットに手をやった。

「うあ?マジで?携帯ないじゃん・・・」 

いや待てよ。彼女の車の中かも。

俺!やった俺!










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