17.耐久限度
俺は姿を隠す為に、黒煙をばら撒きながら移動する。
爆焔炭の爆発が何度も消し飛ばしていくが、それを上回る量を出す。
「キフリ! いい加減にしなさい!」
カフラが再度怒鳴った。
それと同時に水弾が放たれ、黒煙を少しだけ消滅させる。
俺は黒煙から黒布を出現させ、周囲の木々に張り巡らせた。
「なぁあっ!?」
キフリが黒で塗られていく地上を見て驚く。
この間にも水弾と爆焔炭が、黒煙と黒布を破壊し、消し飛ばしている。
だが、目晦ましには充分だった。
魔女達の視界を遮る黒布に紛れて、俺は両手から出した黒布を木の上に絡ませ、振り子の原理で飛び上がる。
さらに黒煙を発生させ、煙幕として体に纏うのも忘れない。
「このおっ!」
キフリが飛び上がった黒い塊に気づき、爆焔炭を上に放つ。
黒煙の塊の真ん中を、爆焔炭が爆発せずに突き抜ける。
なぜなら、そこに俺はいないから。
俺は黒煙の形を変えて、横に膨らませていたのだ。
爆焔炭は俺の横を通過しただけだ。
俺は鎌を口に持ち換え、そのままキフリに飛びかかる。
「ああぁあぁっ!!!」
怒りで何も見えなくなっているのだろう。
キフリが俺を睨み、体から炎を吹き出しながら暴れる。
俺は足を下にして、キフリにぶつかった。
キフリの両手首を掴み、両足を腹に乗せて体勢を固定する。
俺の勢いに押され、身動きの取れないキフリは、背中を下にして落ちていく。
キフリから発生した炎が、俺の体を焼いていく。
体内から力が消失していくのを感じる。
接触部分のダメージは大きい。
だが、体に当る炎は、ほとんどローブで防ぐ事に成功している。
俺が今まで溜めていたストックを全部減らすには、巨親蟹の燃炎岩を直接三十回は食らわないと足りないと思うので、問題はない。
そのままの状態で俺はドレインを発動させた。
キフリの体が接触している部分から、黒く変色していく。
炎で受けるダメージより、ドレインで得られる生命力の方が多い。
この状態が続いたとしても問題はない。
俺のわずか数cm上を、水弾が通過していく。
カフラがキフリを助けようと、援護射撃を行っているのだ。
だが、落下速度が速いため、狙いが定まらないようだ。
そのままキフリを地面へと叩きつけた。
「がはぁっ!」
キフリの腹、黒く変色した部分が砕け、細かい石炭に変化する。
両腕の手首は折れ、真っ黒な石炭になると砕け散った。
ふと、背後に冷気を感じ、すぐさまその場所を飛び退く。
俺の横を、人の大きさほどもある巨大な氷柱が通過していった。
「いい加減にしてもらえないかしら?」
氷柱が放たれた方向を向く。
そこには白銀の令嬢となった、カフラが浮いていた。
青かったドレスは凍りつき、真っ白な霜に覆われて鎧のように変化している。
顔も雪で覆われたかの様に、真っ白なものへと変貌していた。
「まったく、好き放題にやってくれましたね」
白く輝く唇から言葉が吐かれる。
仮面のような冷たさを感じさせる顔の中で、瞳だけが熱を持っていた。
氷の女王のようになったカフラが、怒りをあらわにしているのだ。
「こんな事位で調子に乗られるのは、気分が悪いわ」
口に咥えていた鎌を両手で持つ。
なるほど、凍水の魔女の名は伊達ではないということか……。
「本気になったということかな?」
青い魔女は実力を隠していたらしい。
「うっぐ、あぁ……」
少しの間地面に横たわっていた、獄焔の魔女のキフリが立ち上がる。
さすがに、止めまでは刺せていなかったか……。
立ち上がったキフリの姿はボロボロで、体から出ていた炎も今は収まっている。
両手はなく、腹には削られたことによる大きな痕が残っていた。
おそらく緑の魔女のクフルが植物の集まりであるのと同じく、キフリは石炭の集まりで出来ているのだろう。
だから、力を失った部分は元の姿に戻り砕けたのだと思う。
俺は鎌で攻撃できないかと様子を窺う。
すぐさま氷柱が三本飛んできて、俺とキフリの間に突き刺さった。
「余所見している場合では、ないのではなくて?」
空中で、こちらに手を向けたカフラがこちらを睨む。
「まったく、無様な格好ね。貴方は一度屋敷にお戻りなさい」
カフラは俺から視線を外さずに、キフリへと話し掛けた。
「あ、うぅ、カフラ姉さま。私、私がいたらない所為で……」
炎を出していた時には気付かなかったが、キフリも結構な美人である。
きつそうな少し吊りあがった目をしていて、肩までの長さの髪がウェーブしていて、胸の大きさもクフルよりは大きい。
「後でたっぷりお仕置きしてあげるから、今は戻りなさい。邪魔になるわ」
キフリの顔も見ずに冷たい声で話を続けるカフラ。
「仇を、私のジョルジュの仇を取って……。お願い……」
キフリがカフラを見上げながら懇願する。
「分かっているわ。使い魔の分も、貴方の分も、しっかりとお返ししておくわ」
それだけ聞くと、キフリはよたよたとよろめきながら、空へと飛んでいった。
俺はどうにか隙を突けないかと様子を見ていたが、どうにも出来ないようだ。
氷柱の攻撃でどれほどのダメージを受けるのか?
ローブを貫通して俺を貫くほどの威力があるのか?
氷柱に貫かれて身動きが取れなくなり、無防備に攻撃を受け続ける嵌めになるかもしれない、今はダメージを無視して攻撃できる場面ではない。
知らないことが多すぎる。
「あの子はね、クフルが先に使い魔を得た事を、随分気にしていたの。
毎日毎日、森の中を探し回っては、『今日も使い魔にできるような魔物は居なかった』と愚痴ってはまた出かけていたのよ」
なんか、唐突にキフリの話をし始めた。
俺としては、魔女共の事情など知ったことではないのだが……。
恐らくキフリが離脱するまでの時間稼ぎなのだろう。
「あの不細工な蟹達を見つけた時はそれは大喜びして、特に蟹達を統率していた四本腕の大きな蟹には『ジョルジュ』なんて名前まで付けていたのよ」
蟹じゃなくてザリガニなんだがな……。
この世界にはヤシガニやザリガニという生物はいないのかも知れない。
魔女達が知らないだけという可能性もある。
ところで、この話は続くんだろうか?
無視して攻撃したら駄目かな?
「それを調教するのにも随分と時間を割いて、それはもう夢中になるくらいにね。
その巨大さや、他の使い魔に負けない強さを、よく自慢していたわ」
たしかに大蟹と巨親蟹は強かった。
その生命力を吸収して強くなった俺が言うのだから、間違いない。
「だから、貴方には償ってもらうわ。
それはもう、残酷な殺し方で終わらせてあげる」
やれやれ、やっとお話は終わりか?
俺の準備はとっくに出来ている。
「さあ、死になさい」
カフラの静かな宣言と共に戦闘が再開された。
複数の大きな氷柱が撃ち出され、俺を襲う。
だが、俺も何もせずに、棒立ちで話を聞いていたわけではない。
ローブの下から吐き出した黒煙は、すでに俺の周りを埋め尽くしている。
もっとも、それはカフラにも見えていたので、奇襲にはならないだろうが、俺が何をしようとしているかまでは分かっていないだろう。
キフリを襲う時に目晦ましで出現させていた黒布は、いまだに周囲の木々の間にぶら下がり、木と木の間を繋いでいる。
そこに更に黒布を出現させ、蜘蛛の巣状に広げていく。
これで、空へ飛び上がる為の足場が出来たというわけだ。
俺は氷柱を避けながら飛び上がる。
黒布の足場を踏みしめ、階段を二段飛ばしで上るように、次の足場へ飛び移りながら駆け上がっていく。木の天辺と同じ高さの黒布に、上手く飛び乗った俺は、そのまま黒布に体重を預け、目一杯後方へ引っ張った。
「それはさっき見たわ」
ここまではな……。
俺は枝のしなりと黒布の振り子運動を使って、弾丸のように空中へと飛び出す。
カフラは小さな氷柱を連射して、俺を牽制してくる。
大量の氷柱が散弾のように降り注ぎ、張り巡らされた黒布を消滅させていく。
どうやら黒布を再利用させないつもりらしい。
俺に向かってきた氷柱を鎌で弾くが、その衝撃で軌道がずらされる。
俺は氷柱を弾いた分だけ後退し、カフラの左前方に落下していった。
構わずに俺は攻撃動作に入る。
斜め上に振った鎌が伸び、攻撃範囲が急激に広がる。
「なっ!!!」
完全に油断していたのだろう、伸びた鎌の刃がカフラに届いた。
ガチリッ!
刃が硬い何かにぶつかる音と感触。
カフラの細い腕が出現した氷に覆われていた。
自分の腕から氷の塊を出現させ、盾の様にして防いだのだ。
「ちぃっ!」
俺は舌打ちをしながら、体重と力を乗せて、そのまま押し込める。
俺に舌はないのでどうやって舌打ちをしているのか、俺でも分からないが。
完全にカフラを押し切れなかった俺は、先に地面に着地した。
地上から未だ空中に留まっているカフラごと、鎌を引っ張る。
「くっ!」
カフラが空中に体を残そうと踏ん張るが、空中では大きな抵抗ができないようで、鎌に引っ張られて地上へと落ちていった。
カフラが地上に衝突した直後に、鎌を元の長さに戻しながら駆ける。
俺が辿り着く頃には、すでにカフラは立ち上がり、体勢を立て直していた。
カフラは両腕から剣のような氷を作り出し、纏わせている。
「ふっ!」
その氷の剣が俺に向かって薙ぎ払われた。
剣から矢のような氷柱が複数発生し、俺を襲った。
鎌でいくつかは弾くことに成功したが、残りがローブに当る。
勢いを殺された俺だが、それでも鎌を振るった。
あっさりと躱され、逆に懐に飛び込まれてしまう。
「地上なら勝てると思ったのかしら?」
袈裟形に体が斬られ、ローブが引き裂かれる。
肋骨が三本ほど切断され、欠ける。
ドライアイスを触ってしまった時のような、冷たい焼ける痛みと斬られた痛み。
「がっ!」
俺は声をあげながらも後ろに跳ぶ。
そのまま、カフラの後ろにまわっていた鎌の刃を引き寄せる。
だが、予想に反して腕から伝わってきたのは、硬いものに阻まれた刃の感覚。
「無駄よ」
カフラは腕と同化した氷の剣で、しっかりと背後を防御していた。
苦し紛れに下から黒煙を出し、黒布でカフラを襲う。
カフラは片手で鎌を防ぎながら、もう片方で黒布を切り払った。
あっさりと全ての黒布が切り払われ、消滅する。
だが、ここで引いては負けてしまう。
更に黒布を出現させる。
捌ききれなくなったカフラに、黒布が纏わり付く。
全身の六割を拘束出来た事を確認し、全力で後方に跳んだ。
カフラならすぐにでも拘束を抜け出すはずだ。
いまだカフラは黒布で覆われている。
何とか攻撃範囲から逃れることには成功したようだ。
体を確認する。
吸い取った生命力のストックはまだある。
なのに俺の骨は切り取られてしまった。
どういうことだ?
もしかしたら、体自体は強力な攻撃を受けると、破壊される可能性があるのか?
だとしたら不味い。
力を残したまま体が破壊されて、死んでしまうかもしれない。
しかし、それは杞憂だったようだ。
身体から黒煙が湧き出し、肋骨の欠けた部分が、盛り上がるように再生する。
引き裂かれたローブも元に戻っていった。
しかし、それと同時に、大量の力が減っていくのを感じる。
なるほど、強力な攻撃を受けると体は壊れて破損する。
だが、溜め込んだ力を消費すれば、再生することが出来る。
俺を倒すには再生する前に、全ての体を破壊するか、持っている力を全て使わせればいいってことか。
再生する前に連続攻撃を受けなければ、死ぬことはなさそうだ。
自分の強さを再認識すると同時に、安堵する。
相手にとっては、面倒極まりない事だろうがな……。
俺がそんな事を考えていた数秒間。
その間に、カフラを覆っていた黒布が白く凍っていく。
白くなった黒布が、バリバリと音を立てて割れ、剥がれ落ちていった。
カフラがニヤリと笑う。
「残念だけれど、私にはあまり意味が無いわ」
俺は注意深くカフラの動きを見る。
カフラの速度は俺とほぼ同じぐらいだ。
もしかしたらカフラの方が少し速いのかもしれない。
速度による優位性はほぼ皆無といっていい。
こんなことなら、動きの鈍い空中で仕留める方法を考えるんだった。
「そろそろ、お遊びは終わりに致しましょう」
カフラは片手を上げると、精神を集中させるように虚空を睨んだ。
カフラの腰から下、霜で覆われたドレスのスカート部分が大きく膨れ上がる。
肥大化する下半身に押し上げられ、頭の位置が高くなっていく。
膨れ上がったドレスは氷の塊に変化していき、形を四足の獣に変えていった。
爪が生え、牙が飛び出し、鋭い目が開く。
カフラは、大きな獣の下半身を持つスキュラのような姿へと、変身した。
熊のような大きな獣の上で、カフラは見ただけで凍るような微笑を見せる。
「少しは、足掻いて見せて」




