10.深森の魔女、凍水の魔女
長い髪を束ね上に纏めた髪型。
少したれ目の緑がかった瞳。
幼さを感じさせるピンク色の頬。
それが下からでも良く見える。
俺の視力はメガネが必要なほど低かったが、今では遠くのものも良く見える。
その視力で空中の少女を睨みつける。
少女は鼻で笑うとこう言った。
「なんだ、てっきり聖騎士のお仲間かと思ったら、あなた魔物じゃない。」
少女は横に垂れた髪を、耳に引っ掛けるように掻き揚げる。
「神域語なんて使っているから、勘違いしちゃった」
神域語? 何だそりゃ? まあ、今それを聞くのは間が悪い。
「俺は『そこのニ人とは関係ない』と言ったはずだが?」
「どうでもいいわ、そんなこと。あなた、私の使い魔になりなさい」
少女は傲慢にそう言い放った。
「私はナイトキング様の愛娘、深森の魔女のクフルよ。
私の下に来なさい。いい思いをさせてあげるわ」
いい思い?
残念ながら、俺は今骸骨である。
いい思いが出来る肉体はない。
なので全然心は揺れない。
「お嬢さん、相手に迷惑をかけた時は、まず謝罪だと習わなかったのか?」
「調子に乗らないことね。どうせあなたの攻撃は私には届かないわ」
それはどうかな?
俺は鎌を歯で咥える。
両腕の袖から五本ずつ黒布を発生させ、左右の木々の上に絡ませた。
俺は出来るだけ高い場所へ絡ませた黒布を手繰り寄せながら、高く後ろへ跳び上がる。すると、振り子の要領で、自然とクフルのいる空中へと体が引っ張られる。
気分は蜘蛛男か、アルプスのブランコだな。
「なっ!」
俺はクフルより上空に飛び上がると、布を消滅させ真上から強襲した。
鎌を手に持ち替え振り下ろす。
ゆっくりとした速度で、クフルが後ろへと下がっていく。
どうやら、空中では素早く移動できないようだ。
「このぉっ!」
クフルが叫び、両手を上に突き出すと、何もなかった空間に樹木が生い茂った。
それは複雑に絡み合い、分厚い盾に変形する。
ドレインを発動させた鎌が樹木に当たり、攻撃が防がれる。
俺の体が弾かれ、少し後方へと押し戻される。
クフルより下に落下した俺は、慌てずに鎌を左手だけに持つ。
自由になった右腕から、黒布を発生させる。
伸びた黒布が、クフルの足元へと伸びる。上手くクフルの足に絡まった黒布にぶらさがり、高度を維持することに成功する。
「痛っ! この、骸骨野郎がっ!」
クフルの可愛い顔が一瞬で変化し、木々が絡まった樹木の化物へと変化した。
両腕も蔓と蔦が絡まった触手へと変化し、俺へと襲い掛かる。
俺はその触手を、左手だけに持ち替えた鎌で弾いた。
「このっ! 離れろっ!」
クフルの足に絡まっていた黒布が、腕の触手によって切り裂かれた。
自然の法則に従い俺は落下していく。
この感覚は余り好きじゃないな……。
この世界に来る前のことを思い出した俺は、足元から発生させた黒布を周囲の木々に引っ掛け、落下速度を遅くさせる。
上手に着地した俺を、クフルの両腕である触手が再度襲ってきた。
俺は襲ってきた触手を少しの動きで避け、鎌から放していた右手を伸ばす。
そのまま右手で触手を掴み、脇に挟むようにして引っ張った。
「なっ!?」
まさか掴まれるとは思っていなかったのだろう。
ガクンと姿勢を崩したクフルを、ハンマー投げをするように振り回し、木へとぶつけた。
「きゃあぁっ!」
醜悪な樹木の化物の顔から、可愛い少女の声が漏れる。
木にぶつかったクフルは地面へと落ちた。
これで傲慢な深森の魔女を、地上へと引きずり落とすことに成功した。
立ち上がろうとするクフルに向かって走る。
左手だけで鎌を振り上げる。
右手は蔦の触手を掴んだままだ。
また空中に浮かれると厄介だからな。
「がうるがぁああぁっ!」
クフルが叫ぶと地面から太めの蔦と蔓が飛び出し、俺を迎撃する。
目の前を覆うくらいの蔦と蔓の数に少し焦る。
素早く鎌を両手に持ち替え、回転させ攻撃を防ぐ。
鎌の間を抜けた何本かが俺の体に当ったが、ローブが防いでくれた。
ローブに弾かれた蔦と蔓が、鎌に切り裂かれ千切れる。
触手から手を離してしまったので、空に逃げられるかもしれない、そう思った俺はすぐさま黒煙を足元から発生させ、クフルへと移動させる。
「ぐるぅがあぁあぁっ!」
クフルは黒煙を危険だと判断したらしい。
短く戻った両腕の触手を使って黒煙を振り払った。
発生させた黒煙が半分に減る。
残った黒煙が黒布へと変化しクフルに絡みつく。
黒布が数本しか発生しなかったが、クフルの体を拘束することには成功した。
俺は駆け寄ると、大きく踏み込み、鎌を刃が下段から跳ね上げるように振るう。
攻撃してくる蔦と蔓の隙間を潜り抜けて鎌の刃が走り、クフルへと迫った。
唐突に、水の塊が横から飛んできた。鎌に当たり軌道が逸らされてしまう。
刃はクフルの横を通過した。
更に横から三発の水弾が飛び出し、俺を襲った。
鎌が弾かれたことで、姿勢を崩していた俺に連続で当たる。
吹き飛ばされた俺は木にぶつかる。
びしょ濡れになった俺が向けた視線の先には、青いドレスを着た美女がいた。
「なにをしているの? 男達の始末はついたのかしら?」
「あ、う……。カフラ姉さま。それが、変な骸骨の邪魔が入って……」
ゆっくりと、クフルの顔が垂れ目少女の姿へと変化していく。
同時に蔦と蔓が地面へと戻っていった。
クフルの申し訳なさそうな顔は、上空に浮かんだ眠たそうな目をした美女に向けられている。
その美女が俺を見る。
長い睫毛、切れ長の瞳、ストレートの長い髪。
どれもがその美しさを際立たせていた。
だが俺の目を引いたのはそれだけじゃない。
その、なんと言うか、ドレスがびしょ濡れだったのだ。
肌から常に水が染み出ているのか、ヒラヒラのついたドレスが体にピッタリと張り付いていて、ボディラインを強調していた。
大きな胸もしっかりとだ。
だが、だが待て俺よ。
クフルのお姉さまでカフラという名前なのだから、あの美女も魔女だ。
魔女であるならば、クフルのように本性は醜い姿のはずだ。
見かけに騙されてはいけない。
「もう、ここはいいわ。あの子の使い魔があっちで見つかったの」
「えっ、じゃあ聖騎士は?」
「どうやら彼女達は運が悪かっただけみたいね。でも、どちらにしろお父様に挑もうとするような馬鹿な人間だから、結果は変わらなかったでしょうけど」
そう言うと『カフラ姉さま』とやらは、こちらを見てこう言った。
「はじめまして、私は凍水の魔女カフラ。
悪いけれど用事があるから、この子を連れて行くわね。
あなたに追い駆けてこられても困るから、相手を用意していくわ」
カフラがしなやかに手を横に払う。その指先から雫が飛んだ。
周囲へとばら撒かれた雫は地面に触れる前に空中で停止し、浮かび上がると、大きな水の塊へと変化していった。
さらに、水の塊は変形し、虎のような狼のような四足の獣へと変身した。
獣から生えている青い毛は波打ち、その体からは雫が滴っている。
水流魔獣といったところか……。
「いつか、絶対ぶち殺してあげるから、待ってなさい!」
クフルはそう言い放った後、カフラと一緒に空を飛んで逃げてしまった。
追い駆けて後ろから切り付けてやろうかと思ったが、目の前の水流魔獣が俺を狙っているので、それは出来そうにない。
一、二、三……八体か、どれほどの強さか見せてもらおう。




